本当に死んだらおしまいか
人間の死に方は生き方と共通するものがあります。つまり人間の生死とは円で結ばれまわり回って元に戻ってくるのです。西方浄土というのがありますが、これは死んで西方に行きっぱなしではなくて自分が過去だと思ったことが本当は自分の未来であるという事なのです。
その考え方が、浄土宗ではこの世の中の現時点に幸せがなくても死んだ時に幸せがあるようにと「南無阿弥陀仏」と唱えるのです。死んでも運命はもちろんあります。
自分というよりも人の運命に対して重大な影響を持っているのです。一人の人間の死というのは回りを取り巻いている人間を変化させる力があります。
仏法では「段死」という言葉があります。これは毎年毎年人間は死んでいるということなので人間が毎年同じであるはずがないのです。
これが毎年遺書をことの奨励ですが、遺書を毎年変える生まれ変わっていく。この心で10年続けていく過去の自分の考え方のあやふやなところがハッキリしてきます。
今の自分自身の器をしっかり見つめ、それに見合った遺書を書いておけばいつ死んでも回りの人に混乱をあたえないですむわけです。
人が周りの人の運命に大きな影響を与えるのは生まれて来る事と死ぬことです。高貴な死を迎えるには。毎年死んで生まれ変わるというこの「段死」を繰り返す事が必要です。