色々な業
「不例の業」
これは中々厄介な業ですが皆さん年中行事を毎年恒例で同じ時期にされる事と思います。
これは大変大切なことなのですが、この恒例のことを気まぐれにやったりやらなかったり
する場合この不例の業なのです。一定した家訓とか家の約束事を持たない業のことです。
また例えば子供を育てるにしても、子供が小さければ夜は十時には帰ってくるとか
夕食は一家が一緒に食事をするとかそいう約束事、些細なことでも生活の中で
一定のものが全然ない家に不例の業が出来るのです。これはある意味では自由な
親子が友達のような楽しく、気ままな家庭と言えます。子育てにしても
これといって目的があるわけではないのです。大きくなればそれで良いし、その後は
勝手にしなさいと言う接し方です。この不例の業というのは何代か重なっていきますと
悪口の業、と言って人から悪口を言われる。いじめられると言ったことになってきます。
何も悪いことをしていないのに、どうして学校へ行っていじめられるのだろう、別に
何も悪いことをしてないのに隣近所から悪口を言われ孤立してしまう。
この不例業は結果的に悪口を言われ孤立をしてしまう。例年通り特別な事ではなく
ちゃんとお正月を迎え、
節分には豆まきをするような年中行事や回忌や誕生日結婚記念日などがあるのです。
そう言うことをすると孤立しないのです。是非、代々の行事は続けてほしいのす。
現代は段々そういう事を面倒くさがる人が非常に多い。この不例の業は子供が成人して
からも特色が出てきて仕事で組織の中にいるときなどは伸びなくなってしまうのです。
つまり周囲から引き立てられることが無くなってっしまうのです。いじめられる
ことはあっても目上に可愛がられて重役陣にまで上がって行くことが少ない。
不例の業は約束事を持たないことつまり自由なのですが、最大に自由な生き方をしたら
最大に孤独です。こういう法則を知らないで人間は自由であるという若者がいますが、
人間として生まれてきた事自体完全な自由はないのです。女性として生まれた
男性で生まれたということ自体{約束事}であり条件なのです。