11月4日(土)石川県立音楽堂 邦楽ホールにて

 

原作ーーーーーーー中島 敦

構成・演出---ー野村萬斎

 

山月記・・・李徴:野村萬斎

      袁傪:高野和憲

      敦 :野村萬斎

      敦 :内藤 連

      敦 :中村修一

      敦 :野村裕基

 

名人伝・・・紀昌・敦:野村裕基

      紀昌の妻・飛衛・主人:高野和憲

      敦・都人士1:深田博治

      敦・都人士2:内藤 連

      敦:都人士3:中村修一

      甘蠅:老紀昌:野村萬斎

 

今回の公演では、2005年・2006年・2015年の公演時のタイトルにあった【敦】の

文字がなくなり音楽劇と銘打って紹介されていたので、上演形態が簡素化されたのかと想像していましたが、今回もほぼ変わらずの舞台を観られ嬉しかったです。

*あの三日月型の回転台(大道具としての美術的な美しさや、高低差や距離感が

 より表現できる)が無かったのは残念でしたが、「名人伝」の小道具や映像・

 早変わりはそのままで良かった!

 

この過去作品のDVDは持っていないので、遠い記憶をたどってみると

以前は正面のスクリーンに映し出されていた中島敦(以降も敬称略でごめんなさい)の写真があたかも遺影のようで、プロローグが畏敬の念をもった追悼の場面のように思われました。(病による息遣いの音も印象に残っています)

今回は「いしかわ百万石文化祭」のプログラムのひとつということで

始めに敦先生が登場し、楽しげに語りかける形式に変えたのでしょうか。

 

観劇後に家に帰ってから、上記過去3回の公演のプログラムを取り出してみました。

萬斎さんの、この2作品を選択・上演・再演する意義は読みごたえがありますし

殊に2015年版のプログラムには上演台本が載っていて、読むと舞台が思い出されます。

プログラムの萬斎さんの「ごあいさつ」文には、上演台本を掲載した理由として

《このテキストを参考に、演劇を志す皆様が『敦』という作品を演じ、中島敦の魅力を身近に感じ、新たな感性を加えていただければ、この上ない喜びでもあります》

とあります。

《世代が変わっても受け継がれていく》《新作が古典に》だけでなく

演劇界に、作品の普遍性・不変性の魅力が広まることを願う志が感じられました。

 

『山月記』『名人伝』は、1974年に冥の会で上演されているとのこと。

演出:観世榮夫さん、万作さんが紀昌。

当時8歳?の武司くんも観劇されたそうです。

『名人伝』ではスライドや両眼を強調する半仮面、『山月記』では透明板に虎の顔を

描いたマスクが使われたとのこと、どんな舞台だったか気になります。

『子午線の祀り』のように、演出家・出演者の構成が変わればかなり趣のちがう

ものになっていくのでしょう。

 

今回の『 山月記 名人伝 』

萬斎さんの李徴と深田さん・高野さんの敦以外は配役が代変わり。

エピローグの敦@裕基くんの語りにはハムレットを

萬斎さんの甘蠅老師には、先日の狂言「財宝」の祖父を垣間見ました。

李徴が今の思いを即席の詩で述べるところは、萬斎さんの朗々とした謡で表現され

哀切ながらも聞き惚れるくらい素晴らしかった!

 

上演台本を見ると、中島敦のほかの作品からの引用のセリフも散りばめられていて

複数の敦の分身を出したこと、敦の服を下に着たままで李徴や紀昌を登場させた

ことも合わせて、萬斎さんの中島敦の作品への造詣の深さ、演出の非凡さが伺えます。(中島敦の作品を片手で数えられるくらいしか読んでない私が言えることでも

ないですが)

これからも万作家版の「山月記 名人伝」が続いていってほしい、何度でも

観たいと思います。

 

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しかし、新作が古典になるにはどんな条件・過程・年月が必要なんでしょう。

人ひとりの寿命の年月ではとうてい古典にはならないから

今私が観られるのは、ほんの始まりか過程の一瞬なんでしょうね。

 

そして「人生は、何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに

短い」という言葉に思うことは

 現在の萬斎さんの経験値・意欲・体力のまま、たとえば50年の人生の期間を

 加えられるとしたら、萬斎さんはどれだけの偉業をさらに積み重ねることが

 できるのだろう? と。

 

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今回の公演とは全く関係ないですが

 

「山月記」といえば、あをにまる氏の著作『今昔奈良物語集』のなかの

「若草山月記」が私はお気に入りなのです。

中島敦の「山月記」のパロディで、虎になる代わりに鹿になった男の話に

原作にはない展開が加えられています。

もしかしたら鹿には鹿の、虎には虎の、命輝く時があるのかも。