サーフィンに関しての私の論文です。 | 梶岡博樹オフィシャルブログ~この木なんの木かじおかひろ樹~立憲民主党 衆議院 茨城3区

サーフィンに関しての私の論文です。




【共有地の悲劇とフリーライダー】
私は昨年から早稲田大学院で公共経営について、いわゆる公共について研究しています。公共経営とは、自治体経営に民間の手法を取り入れること等を研究することは、もちろんですが、広く公共についても研究しています。
今、私は修士論文の執筆に追われていますが、つくば市でサーフショップを営む友常さんの一昨日の行動を見て、考える部分があり、サーフィンの公共性についても書いてみようと思います。
私がサーフィンに対して堅いことを書くのは初めてですし、以下はあくまでサーフィンに対する私の私見でありますので、不快に思われた方は気にせず読み飛ばしてください。

【共有地の悲劇】
皆さんは、共有地の悲劇という言葉をご存知でしょうか?ゲーム理論では有名な言葉で、以下に簡単に解説します。共有地の悲劇とは、たとえば、ある海外の田舎の村の中に、100m四方の牧草地があります。村人で乳牛を飼っているのが、10農家あります。もしも、牛飼いが1農家しかなければ、牛飼いは、牧草地を効率的に管理し、自分の牛が牧草を食べきらないように、持続可能な酪農経営のために牧草を管理します。しかし、村内に10の農家がいると、みんな自分の牛だけを太らせることを考え、牧草地は荒廃し、最後に生き残った1つの農家以外の牛は飢え死にし、9つの農家は廃業に追い込まれるという悲劇のゲーム理論です。

さて、ここでサーフィンについて考えてみましょう。よく使われる言葉で「海は誰のものでもない」という言葉があります。間違いないです。海は誰のものでもありません。
しかし、サーフィンにはルールとマナーが存在します。しかし、海に看板は立っていません。スキー場のように、「初心者コース」とか「上級者ゲレンデ」というような看板も見たことがありません。ではルールは誰が決めるのでしょうか?
「海で注意された。海は誰のものでもないのに、なんなんだろう?」という初心者の声が夏場を中心に聞かれます。海は誰のものでもありません。しかし、海はその声の主である初心者のものでもありません。前述のように、サーフィンをする海岸では、レベルわけを行うような看板は立っていません。ですから、みんながみんな自分の意思で、サーフィンをする海岸を選ぶとどういうことが起こるでしょうか?それは、車に例えると、鈴鹿サーキットで、F1の車から教習所で仮免許練習中のレベルの車まで走るということです。しかも、教官が隣に乗っている仮免許練習中の車ならいいですが、いきなり自己流で一人で運転を練習する車までサーキットを走行している状況になります。サーフィンする波は右もしくは左に滑る方向が決まっています。しかし、初心者はそれすらわからないので、サーキットで例えると、F1ドライバーが走行している中で、若葉マークの軽自動車がサーキットを逆走している状況で非常に危険です。逆走の他にも「マエノリ」といって、一本の波には一人しか乗れないのですが、初心者が波の途中から波に乗ってしまい、上級者のライディングを妨害することがあります。これも、サーキットで例えると、一人だけでタイムを競う予選会をやっている中、ルールを知らない一般ドライバーがピットから飛び出てきて、選手が追突してしまう状況です。もっとわかりやすく例えると、バスケットボールの試合でフリースローの権利を得た選手が、フリースローを行おうとして、シュートした時に、ルールを知らない初心者の選手にブロックショットをやられる感じに似ています。上級者のサーファーは、自分が乗ったいい波を突然手前から邪魔されるので唖然とした顔になります。

ここまで、口うるさいことを書きましたが、サーフィンにはルールとマナーが存在します。それは、みんなが海を楽しむためのものです。ただ、楽しむためのものではなく、初心者が上級者向きの流れの早い海岸に入ってしまって、事故に遭わないためや、上級者が多く入っている海岸でルールを知らない初心者が逆走して接触事故を起こさないための安全のためのルールです。

それでは、ルールとマナーは誰が決めたのでしょうか?「海は誰のものでもありません。」それは、そこでサーフィンをする人たちが、楽しむためと安全のために、数々の経験則から生み出された不文律なのです。
「俺はそんなのめんどくせーからサーフィンは好き勝手にやらしてもらうぜ」と、一見かっこいいことを言っている中級者以上のサーファーもいます。しかし、海は誰のものでもない代わりに、その人だけのものでもありません。例えば、そのルール無用のサーファーが自宅に帰ると、生活する上でゴミを出さなければ生活できません。町内ではゴミ収集所があって、そこにゴミを出す曜日や分別の仕方等のルールがあります。ゴミを出した後に、カラスに荒らされないためにネットをかけるルールもあるかもしれません。輪番制でゴミ収集所の掃除の当番もあるかもしれません。そのルールは誰が決めたのでしょうか?公共のために町内会の住民みんなで決めたはずです。ゴミ収集所の目の前の家の人の迷惑が最小限になるようにも考え出されたルールであり、マナーであります。地域社会では、ゴミ問題やペットの飼育等、ルールやマナーを守らなければ生活はできません。ルール無用の彼は、日常生活のルールには従いますが、サーフィンのルールは従えないのです。

さて、昨日私が海岸に訪れると、写真のようにつくば市の友常さんが、重機を使って海岸のゴミをもくもくと整理していました。彼に聞くと、重機は自分の所有するものを海まで運んできたそうです。サーフィンしないんですかと聞くと、「愛する海がこんな汚くなっていたら、サーフィンしてる場合じゃないでしょう。」とのこと。私が素晴らしいですねと言うと、「梶岡くん、今朝は一般サーファーにもビニール袋を配布して、海岸清掃の協力を呼びかけたんだけど、4人から『私はいいですから』と手でビニール袋の受取を拒否されたんだよ。『私はいいですから』ってなによ?」と、とても悲しい表情をされました。

政治学の用語で「フリーライダー」という言葉があります。例えば、町内会の方々が災害時に備えて防災倉庫を購入し、倉庫内に非常食を町内会費から支出して備蓄したものを、「町内会はめんどくさいから入らないよ」と言っていた人が、震災時に防災倉庫の前に並び非常食をもらうような時に使われます。本来、行政などでは「受益者負担」が原則ですが、負担をせずに利益だけを得る、恩恵だけを受けることをいいます。いわゆる「ただのり」ですが、今回、友常さんのビニール袋を受け取らずに海に入ったサーファーは文字通り「只乗りです」。

さて、ここでもう一度「共有地の悲劇」について考えてみましょう。もしも、サーファーみんながみんな、自分が波に乗ることしか考えていなかったらどうなるでしょう?海のゴミは荒れ放題。ルールもマナーもなくて、毎日のように初心者と上級者の接触事故や水難事故が起きて救急車で運ばれる。これがサーファーにとっての「共有地の悲劇」ではないでしょうか。

繰り返しになりますが、「海は誰のものでもありません」。しかし、それは同時に「あなただけのものでもない」ことを意味しています。
茨城の海岸に到着し、これからサーフィンするあなたが綺麗な砂浜を歩ける裏には、ゴミ拾いをしているサーファーの努力や汗があるかもしれません。あなたが海の目の前に駐車ができるのは、根気強く地元町内会と交渉をして、車を停めさせてもらっているサーファーの努力があるかもしれません。そんな中で、朝からカーステレオガンガンでウェットスーツに着替えられますか?砂浜をくわえタバコでボードを持って歩いていって、海に入る直前でポイ捨てできますか?せっかく長い時間をかけて、地元サーファーがサーフィンをしない近隣住民や行政と築いてきた信頼関係は簡単に崩れます。近隣住民とのトラブルでサーフィン禁止になることは簡単です。
海は誰のものでもありません。そこにルールやマナーは存在しますが、看板はありません。ルールやマナーは、長い歴史をかけて、先輩サーファーが築いてきた不文律です。何もわからない初心者サーファーがそのルールやマナーを「めんどくさい」と、切り捨てるのは簡単です。しかし、救急車に乗ってからじゃ遅いんです。被害者も加害者もどちらも悲劇です。
「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」と言われています。
アマゾンや楽天やハードオフでサーフボードを購入することも大いに結構です。業界の裾野が広がり、サーファー人口が増えることは業界にとって間違いなくプラスなはずです。しかし、サーフボードやウェットスーツに取り扱い説明書はありません。ですから、ネットで購入した初心者は悪気もなく、上級者のサーキットを逆走して接触事故を起こすのは当然です。初心者サーファーが悪いのではなく、安易に利益だけを得ようとし、無責任に販売する業者にも非があります。
私自身もサーフボードを販売しています。でも、ネットで顔の見えない中で薄利多売で売るのは楽ですが、対面販売を行っています。それはやはり、愛する海を「共有地の悲劇」にしたくないからです。

もし、サーファーみんながみんなネットだけで購入したらどうなるでしょうか。茨城のサーフショップは一つ残らず消滅し、海でルールやマナーを教えるものもいなくなり、業界のレベルアップのためのサーフィン大会もなくなります。NSAやJPSAもなくなり、世界に通用する選手も出てこなくなります。サーフボードメーカーやウェットスーツメーカーも消滅し、みんな中国の工場で作るボードをネットで購入するようになります。海はゴミだらけで税金を使って時々行政がゴミ拾いを行います。海ではルールを誰も守らなくなり、接触事故でこちらも税金を使って救急車が頻繁に海岸に訪れます。近隣住民とのトラブルも多発し、近隣住民との窓口となるサーフショップもなくなり、警察や訴訟にまで発展します。税金が使われる以上は、受益者負担でサーフィン料金を行政が回収し始め、海岸利用料サーファー一人につき1日3000円等が徴収されます。
これがサーフィン業界の「共有地の悲劇」なのではないでしょうか。
愛する茨城の海を「共有地の悲劇」にさせないために、茨城には茨城の海を守るサーファーがたくさんいます。どうか、ネットで購入した方も、ルールやマナーだけを学びに茨城県のサーフショップを訪れてください。海の環境がよくなることを嫌がるサーフショップはないと断言できます。できれば、ボランティア活動にも協力している茨城サーフィンユニオンの加盟店を訪れて茨城の海の歴史や文化を学んで何かを感じ取ってください。そして、海岸清掃を行っているグループがあったら、率先して手伝ってください。
ここまで読んでいただいた方で、まだ「サーフィンのそういうめんどくせーとこが嫌なんだよな」と考えている方はぜひ私までご連絡を。もう少し詳しくサーフィンについてお話させていただきます。

サーフィンは最も公共性の高いスポーツだと私は考えます。この素晴らしいスポーツを、楽しいものにするか、つまらないものにするか、海を綺麗な海に保つか、ごみだらけでルール無用の汚い危険なものにするかはあなた次第です。
自然から与えられた波で楽しい想いをしたサーファーは、公共(みんな)のために何ができるかを考えるのが自然です。みんなでゴミを拾って無料でサーフィンするか、サーフィン料を行政に徴収されて清掃業者が海岸清掃するかを決めるのもサーファー次第なんです。

生活様式の変化で、従来、家庭や地域で行われていた子育てや介護と言った分野が行政分野に拡大してきました。しかし、少子高齢化で役所にはお金も人手もありません。そこで、市民協働で官民が連携し、ボランティアの方々やNPO等々の団体が子育てや介護の支援を行い、持続可能な地域社会を実現しようとしています。これを「新しい公共」と言います。しかし、サーフィンまでもが行政分野にはみ出して、行財政を圧迫していいのでしょうか?税金は、子育てや介護をしながら働く人を応援したり、障がいや病気で働くことができない人や家庭の事情で学校に通えない子ども達のように、本当に困っている人のために使われるべきです。ですから、みんなの海は自分たちで守っていくという主体意識とサーファーとしての誇りが大切です。「フリーライダー」はやめて、「こないだ茨城に海水浴行ったら、サーファーの人たちがみんなでゴミ拾いやってたんだよね。なんかサーファーってかっこいいよね。」と、もっともっと世間から認められるようになりたいものです。もうすでに多くのサーファーがそうであるのですが、一部の心無いサーファーの行動で、サーファー全体のイメージが悪化することは非常に悲しいことですよね。

今年もそろそろ初心者サーファーがたくさん海にくる季節です。さあ、茨城の海をみんなで守っていきましょうよ。
「海は誰のものでもありません」をネガティブな印象から、ポジティブなイメージに変えて、最高の夏を楽しみましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。