言葉との戯れ

言葉との戯れ

つまりただの戯言

若い時の苦労は買ってでもせよという言葉があります。

 

歳を重ねてくると確かにそうだなと感じるところがあります。

 

 

30代になると新しい事に挑戦する気力が無くなってくる気がします。

それは体力的にもそうだし、時間的にもそうだし、立場的にもそうだし。

 

20代の頃はそれこそ体力はあるし、立場的にもまだ失敗ができるタイミングだと思うし。

 

経験というものは生きる上でもすごく大切な要素だと思います。

 

 

こんな事を感じたのは今いる部署が関係する研修を若手の職員に受けてもらうことがあったのですが、すごく後ろ向きな気持ちで受けているなと思ったところからです。

 

確かに今の業務には直接関係する内容のものではないかもしれません。

上司からの命令とまでは言わないけど、受講生が能動的に受けたわけでもありませんでした。

 

人が知識を得るとき、受動的に学ぶか能動的に学ぶかでその習熟度は大きく変わると思っています。

 

私はその研修の担当ではないのでそこまで関わってはいないのですが、そもそも受講させる方法も良くなかったと思います。

 

 

ただ、やっぱり経験値を稼ぐということは必要なことだと思います。

 

業務に直接関係のない事柄でも、もしかしたらどこかで必要になるかもしれない。

 

実際、私も今の仕事は大学で学んでいた内容からは大きくかけ離れています。

ただ、大学で学んだことが全く役に立たないかと言われるとそんなことはありません。

 

今までの部署ではそこまで必要としなかった資格も今の部署では必須と言えるものもあります。

 

いつどこで何が必要になるのかは本当に分からない。

 

 

だからこそ学ぶチャンスがあるならできるだけ学んでおいた方がいい。

 

若い頃はそのチャンスも多いと思う。

 

若い時の苦労は買ってでもせよとは、こういう意味なんだろうと解釈をしていたところです。

 

 

じゃあ自分ができていたかと言われると胸を張れるような生き方ではなかったかもしれません。

だから億劫になる気持ちも痛いほど分かりますけどね。

やりたい事ややらなければならない事は多くあるのに、それをやるだけの時間が圧倒的に足りていない。

 

1日は24時間しかないのに、1/4は睡眠のための時間。

労働時間が8時間として、通勤や残業などを含めればそれ以上が拘束時間。

 

結局自分のための時間がどれほどあるのか。

考えてみると少し嫌な気持ちになってしまいました。

 

休日が全て自分の時間ならいいけど、田舎ならではのやらなければならない事があれば休日を削らなければならない。

 

これだけの多様性の時代においては、人間に与えられている時間はあまりに少なすぎる気がします。

 

 

何回も書いているように仕事の内容が今年度から変わった関係で、慣れない仕事にどうしても時間がかかってしまう。

分からないことが多すぎて、精神的にも結構な負担がかかっている様に感じています。

 

平日はそんな感じなので、ここ最近は休日は完全に平日の疲れをとるための時間になっています。

寝溜めの様に睡眠を貪ってしまいます。

 

気がついたらまた仕事。

 

本当に何のために生きているんだろうとふと考えてしまうことも少なからずあります。

 

 

この土日も何をしていたか考えると、家の周りの草刈りと町内の役の仕事。

自分の事とと言えば散髪に行ったくらいですか。

 

 

あっという間にまた仕事。

先週の疲れも完全に癒えているとは思えません。

 

こうして人間は疲弊していくのかなとこれまたふと考えてしまいます。

 

 

要領の良い人は自分の時間を作ることが上手い人なんだろうなと思います。

私は要領が悪いし、生きるのが下手なので駄目ですね。

 

やらなければならない事が多すぎてやりたい事ができていない。

 

やらなければならないと思っている事も本当にやらなければならない事なのかも正直わかりませんが。

 

ただ前にも書いたように、足を止めてしまったら周りに取り残されてしまう感覚がずっと抜けない。

だから闇雲にでも前に進もうとして疲弊してしまう。

 

そんな悪循環に囚われてしまっている。

 

だからこそ今何が一番欲しいかと問われれば、時間が欲しいと即答してしまいますね。

新しいものに向かう体力の低下を問題視していますが、一昔前に読んでいた漫画を読み返すことが最近多いです。

 

時々こういう思考になるため、やっぱり漫画が手元に置いておきたい。

 

 

【ホイッスル!】

子供の頃の思い出が強い作品の一つですね。

必殺技とかない純粋な王道サッカー漫画だと思います。

 

当時小学生の頃はサッカークラブに所属していたので、かなり影響を受けてました。

 

ジャンプでここまで王道サッカー漫画が続いたのは、普通にストーリー構成と作画の力だと思います。

 

樋口大輔先生の絵は好きですね。

 

東京選抜編も好きだけど、都大会編が割と好き。

 

岩工戦とか洛葉戦とか。

今読み返しても結構泣ける。

 

 

【スパイラル 推理の絆】

この漫画も思い出深い漫画ですね。

 

この漫画はやっぱり心理戦の展開が魅力ですね。

多少のご都合主義は漫画を読む上で許容している部分ではあるので気にはなりません。

 

この漫画の好きなところはセリフの言い回しです。かっこいいんですよね。

 

文字だけで見るとダサいなと感じるセリフもちゃんとキャラが話すことでかっこよくなる。

 

キャラ設定がしっかりしていて、それをきちんと描いているから違和感がなくなる。

 

上手いなと思います。

 

 

【BLACK CAT】

今でこそToLOVEるで有名になられた矢吹先生ですが、自分は矢吹先生の漫画ではBLACK CATが好きです。

 

矢吹先生の作画の上達を感じられる作品でもありますね。

 

BLACK CATは何より厨二心をくすぐるいい作品でした。

 

主人公が元々強い、最近で言う「俺TUEEE系」の先駆的な作品とも言える。

 

戦い方とかが大人で子供心にはすごくかっこよく映っていましたね。

 

拳銃一つで戦うトレインはかっこよすぎますね。

 

これもかなり影響を受けた漫画の一つ。

個人的にもうちょっと続いて欲しかった漫画でもあります。

 

 

 

レビューとも言えない簡単な感想を書きましたが、どの作品も今読んでも面白い。

 

他にもあるのでまたの機会に書くかもしれないし書かないかもしれない。

 

とりあえず一昔前の漫画を読み返していく日々は続きそうです。

言いたいことも言えないこんな世の中じゃ   Poison

 

ではないけれど。

 

 

趣味嗜好は人それぞれにあるものなのに、それを大きな枠で否定される。

 

自分の好きなものを好きと言えない雰囲気はこの世の中に蔓延しているなと感じます。

 

自分の趣味に合わないものを否定する風潮はあまり良いとは思わない。

 

 

前から言っていることではありますが、私もアニメが好きだったり声優さんが好きだったりします。

最近は野球好きというのも少し敬遠される感じもしています。

 

今でこそアニメや声優は市民権を得たような感じになっていますが、当時は日陰の趣味だったと思っています。

それにそもそも日陰の趣味だと認識した上で楽しんでいた節もあります。

 

日陰でひっそりと楽しんでいるのだからほっといてくれという考えでいました。

 

 

しかし世間は日陰に無理やり光を当てて、その上で否定してきます。

 

事件の犯人の部屋にアニメのグッズがあったということをわざわざ報道するとか。

嫌われる趣味ランキングみたいな誰が得をするのかというような内容の番組を放送するとか。

 

そんなこと言わなくていいのにとか、そんなことしなくてもいいのにというようなことを公共の電波を使ってやっている現状は良い状況とは思えない。

 

 

何故、自分の好きなこと好きなものを堂々と好きと言えないのか。

言えばいいじゃないと言われればそれはそうなのですが。

 

当然、自分にも何が面白いんだろうと思う趣味はあります。

 

全てを理解することは不可能です。

 

ただ、それを粒立てて否定することはやってはいけないと思っています。

 

 

書いていたら何だかよく分からなくなってきましたが、自分の好きなものくらい胸を張って好きと言いたい。

 

犯罪じみたものは流石にまずいけれど、好きなものを好きと言える世の中になってほしいと個人的には思います。

 

 

十人十色、人間の数だけ趣味嗜好は存在しているのだから。

気が付けばもう6月です。

早くも今年の半分が終わろうとしています。

 

あっという間だなぁとかいう月並みの言葉を口にしてしまう。

 

 

まだ今月は終わっていないので上半期の総括というわけではないですし、もうくどいくらいここにも書いていますが、本当についていない上半期だったなというのが率直な感想です。

 

本当にしんどいなぁというのが総括です。

 

 

下半期に向けて運気を回復しようとGoogle先生に開運方法を聞いてみました。

 

①こまめに掃除する

②壁紙や待ち受け画像を変える

③枕の方角を変える

④不要なものを処分する

⑤神社などのパワースポットを訪れる

⑥適度な運動をする

⑦新しいことに挑戦する

 

などなど、他にもいろいろと書かれていました。

 

 

まとめるととにかく何かを変えた方がいいという結論で良いのでしょうかね。

 

変化が嫌いな私が一番苦手とするところですね。

 

だから運気が回ってこないのかと妙に納得してしまったのも事実。

 

 

そんな私に出来そうな変化とは何だろうかと考えてみました。

 

適度な運動はすでにやっているつもりです。

今のやり方が適度と呼べるのかは不明ですが。

 

新しいことに挑戦するというのは一番ハードルが高い。

 

パワースポットはあまり信じていない質だし…

 

 

とか何とか考え始めたら結局何も出来ないいつも私になってしまうので、変に考えずに取り組まないといけない。

 

手っ取り早いのはやっぱり身の回りの整理ですかね。

 

掃除も得意な方ではないのですが、不要なものを処分することは最近してないことでもあるので。

思いっきり断捨離してみてもいいかもしれない。

 

 

思い立ってはみたのですが、この週末と来週末はすでに仕事やら何やら予定が詰まっていますので、月末くらいですかね。

 

その頃の自分に期待しつつ、明日からの変わらぬ仕事に向けて身体を休めたいと思います。

散々、運が悪いなどという内容の記事を書いてきました。

 

不幸体質は変わらないようで、実績を積み重ねています。

 

 

異動した新しい部署での業務の中で、複雑な計算をする内容のものがあります。

計算式の入ったデータがあったので、今年の数字に更新して計算し決裁を貰おうと上司に回しました。

 

毎年ある計算なので当然その計算式も毎年使われているものです。

 

初めての業務なので間違いがないように例年に倣って準備しました。

 

結果は、

「そもそもこれ、計算の方法が違うんじゃないの?」

とのことでした。

 

いやいや、そんなん知らんと。

 

過去10年以上も同じ方法で計算されていたものを何故自分の時に指摘されるのか。

そもそも去年も同じ計算式で計算されたものを承認したのはあなた方じゃないですか。

 

まあ違うものは直さないといけないんですけど、釈然とはしませんよね。

 

こういう案件が立て続けに2件発生しました。

 

 

また今日は休日出勤していて昼前に仕事が終わったので、どこかで昼食を取って帰ろうと車を運転していました。

 

前の車が横断歩道の前で停止したので続いて私も停まりました。

すると後続車が減速せずに追突してきました。

 

はい、再び交通事故に遭遇しました。

 

後ろから追突された衝撃で前の車にも少しぶつかってしまいました。

 

3台が絡む事故でした。

 

私と前の車は停車中だったので、完全に後続車の過失ではあるのですが。

 

私が真ん中だったために一番破損が大きかったですし、そもそも4月に納車されたばかりの新車だったのですが。

 

2ヶ月と経たずに修理となりました。

 

100:0で相手の過失と認定されたので自分の保険を使うなどとはならなかったですが。

 

 

このブログにも書きましたが、2月には歩行中に車に衝突される事故に遭いました。

 

半年と経たずに再び交通事故に遭うとは思ってもいませんでした。

どちらも自分の過失がない事故ですし。

 

 

ここまで来るとただ運が悪かったと片付ける気持ちにはなりません。

 

お祓いにでも行かないといけないのかもしれません。

 

 

2月はなかなかに心が荒んでいましたが、ここのところもそれに匹敵するくらいの感覚になっています。

 

 

再び自分は何のために頑張っているんだという気持ちが芽生えてきています。

 

何回も書くようですが、そもそも望まぬ異動を命じられ、それでも頑張ろうと思っていたら交通事故に遭う。

それでも踏ん張っていたら好きな人は他人と幸せを手にしていた。

 

それでも受け入れて、慣れない上にやりがいを感じていない業務を行なっていたら過去からのやり方を否定される。

 

それでも他の業務もあるために休日出勤していたら再び交通事故に遭う。

 

 

もう何もかもどうでも良くなってきました。

 

なんかもう私の幸せを周りが吸い取って幸せになっているのではないかとか、そもそもこの世に私の幸せなんてないのかもしれないとか、そんなことばかり頭によぎってきます。

 

何もかもくだらないと感じてしまっている。

 

 

今は事故当日なので余計に気持ちが暗くなっているのだと思いますが。

 

 

果たしてこの先、何かいいことがあるのだろうか。

 

何か一つでいいので私にプラスの出来事が起こってほしい。

それくらい望んでもバチは当たらないと思いますが。

 

 

また感情のままに書いてしまいました。

この世がまだ捨てたものじゃないことを祈って今日はさっさと寝ます。

漫画の長期連載やシリーズ化したゲームなどは結構存在しています。

 

ある意味人気のパロメーターとも取れますが、一方で蛇足と感じる場合もあります。

そこは好みであったり受け手の捉え方の問題ではありますが。

 

自分の好きな作品は長く続いてほしい気持ちもあれば、何とか生きている間に完結してほしいという気持ちもあります。

 

 

一つの作品に深くハマることは少ないのですが、やっぱりそういう作品はあります。

 

主にゲームなのですが、キングダムハーツと軌跡シリーズは何とか完結を見届けたい。

もう何年プレイしているのか分からないくらい新作が発売されればプレイするという日々を続けています。

 

何とか生きている間に完結を見届けたいと思う作品ですね。

 

 

キングダムハーツは特に発売のスパンが長い上に現在が物語のどの辺なのかも分からない。

 

キングダムハーツ3を以てようやく一つの物語が一旦の終わりを迎えたので、今後がまるで読めない状況が続いているのがキツいですね。

 

3が発売されたのが2019年ですよ。時の流れは早いですね。

 

 

軌跡シリーズは発売のスパンは短めですが、新作の度に風呂敷が広がっているような気がしています。

空の軌跡辺りの文明感が好きでハマったのですが、最近はゲーム内の技術のインフレがすごい。

 

これも長期シリーズにありがちなところですね。

それを悪いとは言わないけど。

 

軌跡シリーズは物語の折り返しは過ぎたと明言がありましたので、完結は近いのではないかと思っています。

 

 

漫画で言えばやっぱり名探偵コナンですかね。

 

私の人格を形成する上でおそらく大きな影響を受けている作品だと思います。

コナンから得た知識は過言ではなく多いと思います。

 

小学生という一番多感な時期に漫画を読んでいましたので影響は受けますよね。

 

コナンも完結に向かっていると明言がありましたが、それから何年経ったのやら。

一時期漫画も100巻で完結するみたいな話があったような気もしていますが。

 

まあ劇場版の興行収入とかを見れば、終わらせたくても終わらせられないですよね。

 

 

作品の存続にはいろんな要素が関係していると思います。

作者の考えはもちろんのこと、スポンサーやら何やら。

 

そう考えると鬼滅の刃はよく人気絶頂の中で完結できたなと思います。

 

やはり一読者としては作者が思う結末を作者が思う通りに描いてほしいとは思います。

 

 

ただ冒頭にも書いたように好きな作品の完結はやっぱり見届けたいと思ってしまいます。

ある意味それが生きる活力になるのなら、漫画やゲームのようなコンテンツは生きるために必要なものだと思いますね。

運が悪いという話を以前ここに書きました。

 

部署が変わり配属になったと同時に、私が管理することになった施設のチーフ従業員が傷病休暇に入られたり。

配属早々に色々と配送などを頼んでいた運送業者の担当者が怪我をして、運送に影響が出たり。

 

これまた配属と同時に施設の機械が古くなり不具合が頻発する状況で、高額での更新工事の計画を立てなければならなくなったり。

 

今の部署に異動してまもなく3ヶ月。

 

この3ヶ月の間だけでも色々と不運が重なる出来事が起きています。

 

後輩に「前世でどれだけ悪いことしたんですか?」と冗談を言われました。

 

 

前世での悪行が今世に影響を与えているのなら、人生とはとても救いのない仕組みで成り立っていると思います。

その理屈で言えば前世の負債を払っているだけなのだから。

 

 

魂は流転するという輪廻転生の考え方でいけば、それはある意味で今世は諦めろという話になる。

 

今世でいくら善行を積んだとして、それが報われるのは来世での話。

 

人生がそんな救いのないシステムで成り立っているのなら、今世の私は一体何のために頑張ればいいのか。

 

あるのかも分からない来世のために頑張れとはあまりに酷な話に聞こえてしまう。

 

 

それでも今ここに自分がいることには何か意味があるはずだと思いたい。

大きな意味はなくても世界という大きなシステムの中のほんの小さな歯車の一つではあるはずだと。

 

今回の望まぬ異動も何か意味があるはずだと思いながら何とか頑張れている感じではあります。

今なおやりがいも見出せていない状況ですが、自分が今の部署で求められている役割を早く理解したい。

 

今はそこでしかモチベーションを保てない。

 

 

「ただの人数合わせです」と言われてしまったら、それこそ本当に救いのない話。

友達と呼べる人はおそらく2人です。

高校生の時からの付き合いになります。

 

元は趣味が同じだったという事で仲良くなったのですが、社会人になった今では頻繁に会うことはなくても時々会って話をしたりする仲です。

 

 

今年のゴールデンウィークに名探偵コナンの映画を観に行くことを名目に久しぶりに会いました。

 

コナンの映画は面白かったとだけ書いておきます。昨年より好きでした。

 

 

映画を観終わった後、ファミレスで駄弁るという学生のようなことをしていました。

 

改めて話をしている中でやっぱり気が合うんだなと感じる部分が多くありました。

 

 

冒頭の通り、最初は趣味が同じだったという関係性でしたが、人付き合いや恋愛の考え方のような人生観が似ている気がしています。

 

お互い歳を重ねてきて、学生の頃に比べて考え方も変わってきたとは思いますが、根本の部分はやっぱり変わらない。

そこにある種の安心感を覚えたのは事実です。

 

極端に人と深い関わりを持とうとしないところとか、結婚願望がないわけではないけど自分が人の人生に干渉することはおこがましいと考えているところとか。

 

類は友を呼ぶとはよく言ったものだと思います。

 

 

変化を嫌う私ですが、この友人たちが変わらず居てくれることに安堵感を覚えます。

そこに甘えている自分もいます。

 

 

友達は少ないです。

職場の人と飲みに行ったりすることはありますが、心の底から友と呼べる人間は多分いないと思います。

 

そんな人付き合いの苦手な私がここまで本音で話せる友人に出会えたことはある意味奇跡とも言えます。

大事にしないといけないなと思いました。

 

 

ここのところの環境の変化で正直心身ともに疲弊していますが、久しぶりに気心知れた友人と話ができたことで少し心が軽くなったような気がしています。

 

加齢とともに夜遅くまで起きることが辛くなってきましたが、久しぶりに深夜3時頃まで駄弁るという時間はノスタルジーな気持ちにさせてくれる良い時間となりました。

当然ながら健康でいることはとても大事です。

病気はない方がいいし、怪我もしない方がいい。

 

当たり前の話です。

 

 

今、歯のインプラント治療で歯医者に通院しています。

 

インプラント治療にも色々と工程があり、およそ半年近く仮歯で生活をしています。

また場所が前歯なので、もう半年も思いっきりかぶりつくことができない日々を過ごしています。

 

これがすごくストレスです。

個人的に食事はストレス解消の方法の一つなので、それが奪われている現状はきついですね。

 

 

治療のきっかけは昔転んで前歯を折ってしまった時に治療した歯に不具合が生じたからです。

以前はブリッジと呼ばれる治療法での処置でしたが、少し硬いものを噛んだときに軸にしていた歯が折れかかってしまったために、再度治療が必要になったわけです。

 

前歯なので食事に直結するために、ストレスを感じずにはいられない状況にあります。

 

 

人間が生きる上で必要不可欠なことはたくさんありますが、食事もまたその一つと言えます。

毎日必ず行う行為でもあります。

 

それが普通にできないストレスは想像以上でした。

毎回気をつけながら食事をしなければなりません。

 

これが飲み会になると注意散漫になってしまい、ポロッと仮歯が外れてしまうこともあります。

 

その都度、歯医者に行って治してもらうという行為が発生してしまいます。

 

楽しい飲み会もこれが原因で消化不良に終わることも多い。

 

歯の不調一つで多くのストレスが発生してしまいます。

 

 

改めて身体の不調はどんなことであってもない方がいいなと感じています。

 

当然、治療費もかかりますし時間も取られる。

普段の生活ではストレスを感じてしまう。

 

良い事なんて何一つありません。

 

 

歳を重ねる度にどこか不調を感じずにはいられない年齢にもなってきましたが、本気で健康について考えないといけないなと思いました。

 

子供達にはとりあえず歯だけは大事にした方がいいと伝えたいです。

 

歯だけでどれだけの投資をしているのやら。

考えるだけで恐ろしいですからね。