何となく母との会話で
私は気が付きました
まだ、なんかこんなに頑張っているのに
なぜ
わからない
なぜ認めてくれない?
なぜ理解してくれない?と
やっているみたいだ
頑張っていないはずなのに
何故かコメントも一生懸命にする
逆で
その頑張りを止める
わかっているはずなのに
まだ、やっていた
たのしんでいるはずなのに
みとめてよ~~ってやっていた
それ、パートナーも私にやっているんだと思う
私と釣り合うように
私に認めてもらえるようにって
でも、そもそも釣り合うとか、そんなのなくて、当たり前に合うわけで
みとめて欲しいをいつまでもやっていると
それはいつまでも、ハードワークの罠におちいって
ベストはまず、自分がそのままの自分を頑張らない自分をみとめてあげればいいのだ
私もわかっているはずが、まだ、頑張っていたみたい
げ~~~~ まだ、そんな感情があったか?
がんばりをやめて(その裏は自分でない自分をお尻を叩いて演出なので)
たのしむのだ
うれしい~~って
そういう事だったみたい
なので、気持ちをもっとゆったりもって
つい、あっ ~~ って走りそうになる事を
ふっと、後ろにリラックスして
心を認めてもらおうとかそういうために
一生懸命でなくて
わ=たのしい~~~
わ~~~うれしい~~~
すご~~~い
やっぱ、うきうき
それが常識的な事をやろうとか
役に立とうとかじゃなくて
意味のないことでもOK
子供のころただ、虫をみていたり
冷蔵庫を何回もあけたり閉めたり、赤ちゃんの時はおもしろかったじゃん
お人形と話したり(返事はないけど、自分でかってに一人劇場)
そういう事でも、とにかく一文にもならない事だとしても
集中してエネルギー全開でたのしかったじゃん
そのたのしいの飽和状態が人をしあわせにする
今の所私自分のデザインで制作してもらった洋服が
その過程も出来上がる事もとても楽しい
残布で作るものも、こういう物ができるのか?って
たのしくて、うれしくて
お金はかかるけど
そこにちょっと頑張ってやっているから
いいでしょう~~っ的な感じ
その思いを手放す
純粋にシャボン玉をとばしているように
夢中になって楽しいことをやる
ありがとうございます
感謝します
愛と祝福を~
姫は末永く安心で安全な現実をてにいれます
つい、力んでしまう