こんにちは。
10月が始まりました。(もう1週間過ぎてた!)
雨ばかりの9月、最後の最後で気持ちのいい1日に。
 
家で大掃除をしていたのだけれど、雲の隙間から太陽が顔を出した瞬間、
 
外に出なければ!!
 
という衝動が抑えきれずお散歩に出陣。
 
訪ねたのはこちら。
 
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日蓮宗の大本山の一つ、池上本門寺。
境内は大きくて開放的です。東京でこんなにズドーンと開けているのは珍しい。
 
実は実家から近いこともあって、小さいころからよく訪れていた場所。
当時鳩がいっぱいいて、よちよち歩きでエサを手にした私はハト衆に包囲されこの聖なる地でハト恐怖症になったのです。
なんと数年ぶりに訪れたこの日、ハトは全くおらずカラスの巣窟になっていた。
どこ行っちゃったんだろう、ハト衆・・・

 

 

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大堂も素敵だけど、このお寺で一番目立つのはやはりこの五重塔。

関東最古の五重塔で1608年に建てられたものです。ロマンティックが止まらない。

ここまではいつものコースなのだけれど

江戸時代の勉強をし始め、真田丸によって戦国武将に興味を持ち始めた加治は一味違う。

 

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大堂の脇に加藤清正供養塔なるものを発見。
加藤清正とは、
 
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じゃなくて((´-`).。oO(戦国無双、やってみようかな…)、この方。
 
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元々は豊臣秀吉の家臣で、後に熊本藩主になった人。熊本城を建てたので有名なの。
 
いつもなら、あぁ、戦国大名の。で終わるはずなのだけど、一皮剥けた私は違う。
熊本の大名だった清正の供養塔が何故ここに!!という疑問が抱けるようになった。
解説には娘さんが建てたものだと書いてありました。なんでもこの清正の娘の瑤林院さんは徳川家康の十男で紀伊藩祖、頼宣の正室だとか。加藤清正が家康の養女をお嫁さんにもらっているから、戸籍上、おじさんと結婚したと言うこと?
家系図書いたらとんでもないことになりそうですね。
と言うのは、置いといて。どうやら加藤清正、熱心な日蓮宗徒だったみたい。
 
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そのため、この、山門から伸びている石段も清正が寄贈したもの。96段ありました!(ちゃんと数えた!)

大堂も元々は清正が建てたものがあったということです。(1710年焼失)

 

と、ここまでの加藤清正情報、まるで全部私が調べました♪みたいな顔?して書いてますが、

実は現地でこの情報を教えてくれた方がいたのです。(!!!)

 

私が供養塔の周りをうろうろしていると・・・

??「珍しいもんでしょう!!!」

と、高めのテンションで声をかけられました。

 マヤ「(!!!おっちゃんだ!!!知らないおっちゃんだ…!!!)」

 

人気のない場所で話しかけられてビビる私など気にも留めず、おっちゃんのマインガントークは止まらない。

一通り供養塔と清正について話し終わったおっちゃんは言った。

 

お「この供養塔を作った娘さんのお墓がむこうにあるから案内してあげるから!!僕なんでも知ってるから!!」

マ「あ、あぁ...(断れない日本人代表)」

 

大堂から墓地は道路をはさんでいるので少し歩きます。そしてその墓地が広大なこと。

なにがあるか知っていても自分だけじゃ見つけられなかったと思うの。(案内が全然ないんだもの!)

道すがら、他にも有名な人のお墓をおっちゃんが教えてくれました。

江戸期の画家である狩野探幽です。

 

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ひょうたん型のお墓がなんだかお洒落。私もどうせなら洒落たお墓に入りたいな。

蚊に刺されながら着いた場所がこちら。

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 紀伊徳川家墓所(´∀`)

先ほども書いた通り、加藤清正の娘さんは紀州藩の初代藩主、徳川頼宣と結婚します。この方は江戸で亡くなったので本門寺で荼毘に付されお骨は和歌山に移されました。(ということは、お墓だからと言ってお骨が入っているわけではないということかしら?)
また、隣にお墓がある、頼宣のお母さんで徳川家康の側室、お万の方も熱心な日蓮宗徒。家康が日蓮宗と仲が悪くなった時なんかは寺側について「和尚さん殺したら私も死んでやる!!(意訳)」と家康公を脅して場をおさめたとか。

このように、様々な縁があって本門寺は紀州家の菩提寺の一つになっています。
菩提寺が二つ以上あると言う感覚がいまいちピンとこないですよね。国許にある菩提寺とは宗派が違っていたりもするし。

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なにはともあれ、おっちゃんが居なければ、ここにたどり着くこともなかった!ありがとうおっちゃん!!(結局誰だったんだろう!!)

こんな身近に清正やら徳川に関するお墓があると知れてテンション爆上げでした。これからはもっと町歩きしよう。

今回は江戸初期の話だったけど、実は大好きな幕末にも登場してくるお寺なの。

御会式も近いし、またすぐ行こうと思います😋

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