58歳で受験した医師国家試験の準備の様子を人に話す機会があった。
本人が言う通り、あの範囲と量からして、それはそれは大変だったに違いないけれど、得意なことを極めると言う意味ではかなり生き生きと「没入」していたと思う。
深いプールに潜ったと思ったらしばらく沈んでいて時々浮かんできて息をした、と思ったらまた潜る。
特に最後の半年くらいはそんな日々だったと思う。
潜る回数が増えたり、長い時間潜った時はなかなかこちらに戻ってくる様子がなくて、自分だけの静かな集中がずっと続いているような時間だった。
その感じを見ながら、この人はサッカーの得意な子どもが何時間もボールを蹴っていられるように、漫画の好きな子が何時間も何時間も漫画を読み続けられるように、何よりも勉強が得意で好きな子どもだったのだろうと気がついた。
やりたいことが見つからなくても
やるべきことに気分が乗らなくても
子どもの頃、好きだったり、得意なことを再び始めたり深めたりすることは変化のきっかけになるのかもと思ったりする。
わたしは子どもの頃、一体何に没入していたんだろう。
なにをしている時に、どんな類のことに時間を忘れていただろうと改めて考えた。
もし「没入」のあの感じをふたたび味わうことができたとしたら、手足に絡まっているがんじがらめを解くきっかけになるのではないか。
少なくとも余計なことを考えないでいられるあの感じは、実態のない不安や恐怖のようないらん感情から一時遠ざかる時間をくれることは間違いないと思う。