今、愛、古、教、時、終、志

目次
①結果の平等性
②己を真に愛せば、人敬う事出来る
③歴史は繰り返す
④教育の結果の平等性によって
⑤目に見える物と見えない物
⑥平等を求める教師によって
⑦自分を省みる
⑧覚悟と意思
⑨生きている間は、やり直せる。
 死んだ後は、やり直せない。
⑩最後に


①【今】結果の平等性
日教組が求める事は常に結果の平等性

現在の日本国においては、精神的な
生きる為の平等感を味わえる場所が
失われつつある。

昔の日本では、孤独感等が
少なかった。

それは、近所同士が家族のように
接して、近所の人に怒られたら、
親は何故悪いのか真剣に説明し

『それは、あんたが悪い
 ごめんなさいと言いにいきなさい』

と言っていた
家庭も少なくはなかった。

今日では、子を大事に思う家庭は、
あっても、子に善悪の判断をさせず

何も考えさせず、親の道具として
育てる親も少なくはなく、自分の大事

な道具が傷つけられたと、子と言う
よりも、自分の劣等感を隠す為の

道具としてしか、価値を持たない親が
増えている。

その為に、例え子が悪い事をしても
親は子を怒らずに、悪いと言っている
人に対して

『私の道具(子)が傷つけられた』
と怒る。

そして、
今後日本で結果の平等性が進むと、
ハラスメント問題は日に日に増え、

国は、人々の対応に削がれ最後は
やがて、例え家族や親類でも、悲しく
ても殺さなければいけなくなる。

それは、法を任命した人でも同じ
親類を殺すようになる。

何故悲しいのに、親類を殺さなくては
いけないのか?

その殺す理由に、その人の個性や
義理や人情などは、存在しない。


所謂
『言われた事を言われた通りに
 やりなさい』
と言うような考え。

学校の概念として、平等と言う概念が
人を苦しめる。

教育における結果の平等性がなぜまずいのか?

人間としては、平等
宇宙の中で地球の中で生きる事は平等
学ぶ権利は、平等

しかし、
社会は、働く環境は平等なのか?
人間関係は、平等なのか?
命は、平等なのか?
運命は、平等なのか?
生まれる環境は、平等なのか?
性格は、平等なのか?

唯物的な平等を作ると
『では、平等ではなかったら
 どうやって責任をとるのか?』

と言うような人々が必然的に現れる。
そして、平等ではないと不満を抱く
者がしだいに反乱を起こそうとする

それに気づき反乱を起こそうとする
者を根絶やしにする。

②【愛】己を真に愛せば、人敬う
道元禅師
『好んで愛語すべし』
しかし、
『愛語は愛心よりおこる』

《私訳》
自分をごまかさずに、全ての自分を
愛する事で、相手を敬い、相手を
愛する事が出来る。

結果の平等によって、個性を消される
為に、本当の自分を愛する事も盲目に

されて、自分も愛せず、人を愛せなく
なる可能性が高くなる。

ここに精神的な温もりや愛が欠如
しやすくなる、問題が発生する。

③【古】歴史は繰り返す

世の中には、からくりの中に
からくりがたくさんある。

西洋では、弱肉強食の反乱が絶えない
為に自由・平等・友愛と言う

信仰の自由と人々の解放を念頭に
【啓蒙思想】が生まれた。

しかし、そこから西洋ではどうなった
のか?何故そうなったのかを真剣に
考えなければいけない。

今現在、マスメディアが隠している
だけで、西洋では、人殺しが絶えない
それも、日本とは比べ物にならない
程に…

女、子供は、政治の道具や薬付けに
される。

特に西洋人の家畜政策ゴイムは酷い
薬付けにして、依存性を増やして、

テレビ、新聞メディアを使って、
右や左の思想の人達を混乱の渦にして

武器を運んで仲違いをさせて、
テレビやスポーツで熱中させて、
意識を反らして、真実を盲目にさせる

しかし、何もこれは、西洋人に限らず
度々歴史に同じような考えを持つ人物
が現れる。

そのような人達の考えの多くが、
プラグマティスト(実用主義、道具主義)
が多い。
※今、目に見えている唯物的な見方で
人を魂で見るのではなく、人を物とし
て見る

中国では、毛沢東のような人物も
生き方は、自由奔放であったが、今

起きている事柄しか見ず、人に対して
淡白で冷酷で政治と女の問題が絶えず

最後は、女を使い捨てカイロにして、
それ以外の人々もたくさん殺した。

プラグマティストを極めようとすると
唯物的な見方しか出来なくなり

優生思想に陥りやすくなり、
己の実際の経験則と矛盾に対して、

整理しきれない為に、
『矛盾は、悪だ』と言って
己の経験則が絶対なる全てだと

言うような自分本意な考えに
なりやすく、

矛盾しない事柄を持ち出し、
その事柄を自分を守る為の道具に

して、己を着飾り、然も己が
中心にいるような感覚に陥り、

自分と他人は、同じようなものだから
自分と違う人物は、生き物として
見なさなくなる。

そして
『群衆の意見は、個人の意見だ』

矛盾する者(物)気に入らない者(物)を
片っ端から根絶やしにする。

本当にこれが何度も何度も何度も
何度も続く。

そして、今後日本の教育において
結果の平等性が推進される事で人を
苦しめる。

佐藤一斎 言志四録より
人情は水の如し。之をして平波穏流の如くならしむるを得たりと為す。若し然らずして之を激し之を塞がば、忽ち狂瀾怒濤を起さん。懼れざる可けんや

人情は水のようなもので、静かな水流
のようにしておくのがよろしい。

もしも、これを激昂させたり、
妨げたりすると、人情の水は、荒れ

狂う事がある。だから恐れつつしまな
ければいけない。
所謂、ファシズムが起こる。

④【今】教育の結果の平等性によって

【利点】
・目に見える結果が決まっている事で
 教える人が教えやすい
・評価しやすい
・言った通りに人を動かしやすい
 (洗脳しやすい)
・ベネッセと文科省の利権
 (金、天下り)
・洗脳する事で若者は言われた通りに
 しか動けなくなり、
『平等な社会を目指すから国も
 苦しいから痛みを分かちあい
 なさい』と
 税金をたくさん増やして、大企業の
 ごく一部の人がお金持ちになる事が
 できる。

【欠点】
・人生には、結果が決まっていない
 為に社会にでようとして苦しむ
・人の評価でしか動けなくなる
・考えなくなる
・学問をする為の経費が増え、全て
 教育者やベネッセや文科省にお金
 を持っていかれる。
・日本の企業が外国に売られ
 国民の税金が20%まで上がり、
 貧富の差が激しくなり、貧困層を
 家畜奴隷として扱うようになる。


まだまだありますが、
確かに『今』はとっても大切な事で
『今』の私から始めなければいけない

佐藤一斎 言志四録より
人は少壮の時に方りては、
惜陰を知らず。知ると雖も太だ惜しむには至らず。四十を過ぎて已後、始めて惜陰を知る。既に知る時には、精力漸く耗せり。故に人の学為すには、須らく時に及びて立志勉励するを要すべし。しからざれば則ち百たび悔ゆとも亦竟に益無からん。

《訳》
人間は、若い頃には時を惜しむ事を
知らない。例え知っていても惜しむ
と言う事には至らない。

ところが40.50.60歳になると、
時を惜しむことがだんだん分かって
くる。

これが分かってきた頃には、精力が
衰えてくるし、社会的にも家庭的にも
忙しくて無益なことに時間を費やす

ことが多いので、益々勉強が出来なく
なる。だから人間は若いときに志を

立てて真剣に勉学しておかないと、
後で百たび後悔しても無益である。

⑤【今】目に見える物と見えない物

しかし、幸福と不幸、生きると死ぬ等
今起きている事実しか見なくなると、

精神的な温もりや優しさや愛が感じ
られなくなり、精神的な盲目になり、

次第に孤独感や寂しさを感じる為に
人は考える事や感じる事を
やめてしまいやすくなる。

そして終演は
・コントロールしたい者
・コントロールされる者
とに分かれて

・コントロールされたく無い者

は殺される。

そして、コントロールしたい者が
上に立つと人を考えないように

決まった方向性に進めさせようする
洗脳教育が取り決められる。

それが、昨今問題になっている、
教育の共通化やプログラミング

『決められた通りにやりなさい
 決められた通りにやれば、
 必ず上手くいきますよ』と

しかし、世の中とは、陰陽が必ずあり
例え善なる行いが達せられても

悪は消えず、悪なる行いも必然と
ある。それを受け入れられないと矛盾
と言う観念で持って苦しむ。

矛盾も偶然ではなく、必然的な観念で
受け入れる。

それを受け入れられない者が歴史を
瞞着、ごまかし、洗脳する為に綺麗な
出来事や逆に悪い出来事に塗りかえる

日本の歴史すらめちゃくちゃで
真実が教えられなくなり、歴史で

劣等感を植え付け、ただ暗記だけ
させれば良い洗脳学問になっている。

だから、
その矛盾を抹殺しようとすると
その人の人間性は、
『私の言っている事がすべて』

一方抹殺される人間も
『この人言っている事が全てだから
 仕方がない』

とネガティブな諦め方しか出来なく
なる。

中国の支那民族文化の
没法子(めいふぁーず)のような
『しょうがないやり直しをしよう』

とは、全くもって及ばない諦めしか
出来なくなる。

それが洗脳
洗脳の目的とは、その人

個人の目的を失わせれば、簡単に
洗脳がかかりやすくなる。

目的を消す方法が正に結果の平等性

教える人が
『決められた事を決められた通りに
 やりなさい。頑張れば、必ず

 平等なんだから、結果は後から
 ついてきます。』

どれだけ綺麗事を並べられても
今日の情勢から見えてくるものは

苦しむニュースばかりで、
受けとる側が実際に考える事は

『結果は決まっているんですよ
 どうせ私が頑張ったって
 一緒なんです。
 頑張る意味なんてありません。』

結果を平等にすると、
『結果が決まりきっているのに
 そんな努力する必要性あるの?』

と言うような子供が増えていく。
そして、世界基準と比べても日本の
学力が落ちる事は必然でしかない。

世界のテストの評価形式では、答えが
無数にあったり、答えから問題を作る
問題やそもそも点数はつけない。

佐藤一斎 言志四録より
誘掖(ゆうえき)して之を導くは、教の常なり。警戒して之を喩(さと)すは、教の時なり。

躬行して以て之を率いるは、教の本なり。言わずして之を化するは、教の神(しん)なり。

抑えて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なるなり。教えも亦術多し。
《私訳》
子供の個性に応じて、教え導くのが
教育。

邪な道に陥らないように、警戒して
悟らせる。

それを、教師自らが実践し、背中を
見せて不言実行で現す。

教育は、個性に応じた処方箋を教師が
用法要領を与えて子供の手助けを
する。


⑥【今】平等を求める教師によって

平等を求める教師の多くは、
『子供の為に』
と口で並べて、

実際は、
『私の安定した収入の為に、争いを
 避けて、平々凡々のらりくらり
 したいから、子供は、私の邪魔を
 するな』

と言うような教師が増えている。
ここに、
『個性を大事にする』

と口で言っておきながら、
実際行っている事は、個性を潰して、
人を人と認めずに、

物や機械として見なして、
『全体の意見は、あなたの意見だ。
 あなたの意見は間違っている
 あなた個人意見は関係ありません』

そのような教師は、子供をバカにして
教師同士でも虐めて、自己の優越感に
浸っている事が多々ある。

そして、学校の在り方が
絶対主義、全体主義の目線で
しかなくなる。

そして、目的を失った若者が
デカダンスになる。

『どうせ私なんて○○だから』
『とりあえず○○だから』

これで、今本当に起きている真実を
盲目状態にして、興味を持たせない
ようにしている。

昨今の芸能人の薬や自殺のような様々
な問題も政治家(?)と密接に繋がって
「金、薬、女」で関与している
大物政治家(たくさん)がいる。

人の目的を消せば、人の言った通りの
行動しか出来なくなる。

『○○さんが言ってた。
 ○○さんの言った通り』

自分が考えているようで○○さんの
言いなりになってしまいやすくなる。


⑦【時】自分を省みる

自分が正しい事をしていると思って
いると、正しくない行動は案外
分かっているようで分かって
いないから、相手にとっては、
正しくない行動をとっている事が
多い。

自分が正しくないと思える時は、
正しくないと分かっているから、
正しい事を知ろうとし、案外行動は、
慎重になり、相手にとって正しい
行動がとれている事が多い。

人に良く見せる技術よりも、
自分から変わる意識を持つ


⑧【志】覚悟と意思
分かっているからこそやる覚悟
分かっているからこそやらない意思

■人の心に寄り添う為に、
 あえて苦しい環境に向かう覚悟

《災い転じて福となす》
※葉隠より
『人の心を見たければ、病気になれ』
『仁とは、われと人とくらべて、
 人の方がよくなるように行うだけ
 でよい』

《対極を知る》
※菜根譚より
低いところに居るからこそ、高いところに上るのだろうが、危険をわきまえておくこと。

暗いところに居るからこそ、明るいところに出るだろうが、でしゃばりをわきまえておくこと。

静けさを守っていたからこそ、動きたくなるだろうが、働き過ぎをわきまえておくこと。

言葉少ないを守っていたからこそ、多弁の騒がしさをわきまえておくこと。

つまり、活人は、対極に在る時に学び、対極に行きて活かすという戒めを忘れてはならない。

言い換えれば、欲望に任せた過剰反応、反動は厳に謹むのが活人ということ。

人の気持ち共感する為に
遺伝子組み換え食品の危険性や薬の

危険性が分かっているからこそ、
あえて毒をも飲む。

実際に私の場合は、肝臓が
悪くなり、アレルギー体質に変わり

大好きな甲殻類がアレルギーで
食べられなくなった。

しかし、そのような、アレルギー
体質で食べられない人の気持ちに、

私自身の実体験から、少しでも
寄り添って話を聞く事が出来るように
なった。


■分かっているからこそやらない意思

一番簡単な方法は、自分の意見を
押し通して自分と違う意見を
真っ向から否定すること。

これに、陥りやすいのが教育者

人は一度物事を考えず、生産性の道具
として、教育されると、感情に動かさ
れやすくなる。

人が苦しんだり、悲しんだりすると
何も考えたくないような思考に
陥りやすくなる。

『なんでこんなに苦しいのか?
 毎日楽してお金を稼いで生きて
 いければ良い』と…

そのような人達に見た目は高貴で
華やかで、地位や名誉があるような

人達が感情で訴えると簡単に感情に
印象操作されやすくなる。

しかし、一心教的な概念になり、
その人の言う事以外は、話を聞けなく

なり、次第にそれが群衆化しだすと、
人の感情を焚き付けるリーダーは、

人々の感情を焚き付けるだけ
焚き付けて、
感情の渦が次第に広がり、群衆が

お互い感情で傷つけ合うようになり、
特に己の感情がどこまで人々に影響

するのか、分からないリーダーが
上に立つと、お互いに傷つけ合う
群衆は、簡単に切り捨て、

常に群衆が苦しみ、傷つけ合う
集団へと変貌していき、

最後にこのような集団を作って
しまったリーダーは死ぬ前に後悔し、

『何でこのような事になったのか?』

と自分も分からない始末で最後は、
恨まれ死んでいく。


⑨【終】生きている間は、
    やり直せる。
    死んだ後は、
    やり直せない。

■今出来るやり直し

子路(しろ)が曰わく、
衛(えい)の君、子を待ちて
政(まつりごと)を為さば、
子将(まさ)に奚(なに)をか先にせん。
子曰わく、必ずや名を正さんか。
子路が曰わく、是(これ)有るかな、
子の迂(う)なるや。
奚(なん)ぞ其れ正さん。
子曰わく、野(や)なるかな、
由(ゆう)や。
君子は其の知らざる所に於(おい)ては、
蓋闕如(かつけつじょ)たり。
名正しからざれば則(すなわ)ち
言(げん)順(したが)わず、
言順わざれば則ち事成らず、
事成らざれば則ち礼楽(れいがく)
興(おこ)らず、礼楽興らざれば則ち
刑罰(けいばつ)中(あた)らず、
刑罰中らざれば則ち民(たみ)手足を
措(お)く所なし。
故に君子はこれに名づくれば必ず言う
べきなり。
これを言えば必ず行うべきなり。
君子、其の言に於て、
苟(いやしく)もする所なきのみ。


子路(しろ)が孔子に尋ねました、
「衛公が先生をお迎えして
 政治をなさるとしたら、
 先生はまず何をなさいますか?」
孔子は、
「まず名の秩序を正すつもりだ。」

と答えられました。
それを聞いた子路が、
「これだから先生は、
 本当に遠回りがお好きですね。
 どうして名の秩序を正す必要が
 ありますか?」
と言ったので、孔子は、

「お前は本当にがさつだね、
 人格者たるもの自分に解らぬことに
 は口出ししないものだ。

 もし名の秩序が正しくなければ、
 言葉の意味が混乱する。

 言葉の意味が混乱すれば、
 何事もできなくなってしまう。

 何事もできなければ、
 礼儀や音楽といった文化が
 盛んになることも無い。

 文化が盛んでなければ、
 刑罰をもって公正に人を裁く
 ことができなくなる。

 刑罰が公正でなければ、
 人々は安心して体を休めることも
 できなくなってしまうだろう。

 だから人格者は、正しい名をもって
 正しく話すのだ。

 一度話したら必ず実行せねば
 ならない。

 慎重に言葉を選び、軽々しい口を
 利いてはならんのだ。」
とおっしゃいました。

例え身が粉になろうとも、意思や魂は
生き続ける事が出来る。

■やり直しが出来ない

佐藤一斎 言志四録より
当今の毀誉は 懼るるに足らず。後世の毀誉は 懼るべし。一身の得喪は 慮るに足らず。子孫の得喪は 慮る可し

《私訳》
生きている間は、人に否定されたり、
誉められたりすることは恐れる必要は
ない。

死んだ後に何十年、何百年か後に
なって、あの人は立派な人であった

とか、あの人はつまらない人であった
とかを評価される事を恐れなければ
いけない。

今の自分の利益や損失と言う事を
心配する必要はない。

それよりも、子孫が幸福になるか、
不幸になるかということは始終考え
なければいけない。

⑩【志】最後に

日教組と戦い続けた
越川春樹氏

越川校長
「教育の場を職場闘争の場に
 すべきではない」

強い日教組からの悪評ビラ配りでも
釈然と立ち向かい、佐藤一斎の言う

今現在、自分に向けられている
褒めたりけなしたりする言葉は
恐れるに足らない。

しかし自分が死んだ後、あの人の先祖
はああだったこうだったと子孫が謗ら

れることになるのは恐れなければならない。

今現在、自分が得たり失ったり
するのは、ある意味で自業自得とも
いえるから一向に気にしない。

しかし子孫が私ゆえにものを失うことは
考えなければならない。

このような考えを大事にする
【志】
には、深く感銘を受けます。

しかし、それと共に、まだまだ私は
自己鍛練しなければいけないと
感じるばかりであります。

今後も日々精進していきたいと
思います!!