儒教+仏教+道教
=菜根譚より

①昨今の世の中について

【群疑独見(ぐんぎどくけん)】
前集130より
群疑(ぐんぎ)に因(よ)
りて独見(どっけん)を
阻(こば)むこと
毋(なか)れ。
己(おのれ)の意に任(まか)
せて人の言を廃(はい)すること
毋(なか)れ。
小恵(しょうけい)を
私(わたく)して大体(だいたい)
を傷(やぶ)ること毋(なか)れ。
公論(こうろん)を借りてもって
私情を快(こころよ)くすること
毋(なか)れ。

[思考]
人の動きとは、自分の守る為の信念が
なければ、大勢の人からの影響を
受けやすくなる。

例え、大勢の人達が違うと言っても、
自らの信じる所があるのであれば、
釈然と行動をとる。

しかし、自分の信念ばかりだと、
偏る為に、人の意見も取り入れつつ
人の意見を排除しない。

自分の小さな恩恵の為に、大きな事を
成して、傷つけない。

国家間では、
自分の利権を隠して、表面上は、

『私は皆の為に、国民の幸せの為に
 これが国民の為なのだ』と

うたい、実際は、国民の感情を
焚き付けて衝突させて、一人を皆で
集中攻撃する。

⚫国がやっている事

人に怒りの感情を焚き付ける方法は、
残酷な事実を不幸な感情を抱いている
人達に伝えれば、一斉に怒り始める。

人に喜びの感情を焚き付ける方法は、
残酷な事実よりも、仮想的な逃避
出来る事を不幸な感情を抱いている
人達に伝えれば、一斉に喜び始める。

日本の与党も野党も己の保身と欲望
ばかりで、様々な悪行高い人達と
ずぶずぶな関係です。

けれども、ここで大事なことが、
偏らず、一歩立ち止まってしっかり
考えて行動する。

何故なら

②相対的な人の性質について

【徳怨両忘(とくえんりょうぼう)】
前集108より

怨(うらみ)は、徳に因(よ)
りて彰(あら)わる。
故に人をして我を徳とせしむるは、
徳と怨みの両(ふた)つながら
忘るるに若(し)かず。
仇(あだ)は、恩に因りて立つ。
故に人をして恩を知(しら)
しむるは、恩と仇との倶(とも)
に泯(ほろ)ぼすに若(し)かず。

[思考]
人生はことごとく相対的で
生があれば、死がある。 

善があれば、悪がある。
人に対しては、一方に良い行いを

すれば、様々な人達に
『なぜあの人だけ?』と
怨まれる。

様々な人達に怨まれると、一方だけに
徳があると思われる事もある。

優しさも押しつけると、その人に
とっては、優しさではなく、怨まれる
事もある。

だから、
徳と怨は相対するもの。
恩も仇も相対するもの。

では、どうするのか?

③天地万物は一体だと知る

【有生之楽(うしょうのらく)】
【虚生之憂(きょせいのうれい)】
前集107より

天地は万古(ばんこ)有るも、
此の身は再び得られず。
人生ただ百年、この日最も
過(すご)し易し。
幸い、その間に生まるる者は、
有生(ゆうせい)の楽しみを
知らざるべからず、亦(また)
虚生(きょせい)の憂(うれ)
いを懐(いだ)かざるべからず。

[思考]
天地は始まりなく終わりなく
人は長く生きて100年程あまりあるだけで

二度と同じ個体として生まれ変わる
ものではない。

人生100年月日は流れ、年を越す程に
時間は早く、今まで見ていた自分も

あっという間に白髪になり、光陰を
感じさらに時間は加速する。

楽しかった時間は無限でもない。
天地があり、天地と比べれば僅か
50年ないし、100年の生を得ている。

人として生まれた以上は、100年の生命
を有意義に使う。

世の中の動き事態が天地万物、
森羅万象であり、天地万物と比べれば
100年は微々たるもの。

世の中が
不幸、不道徳、苦しみ、楽しみ
だったとしても、

天地万物と比べれば
100年は微々たるもの。

道元禅師曰く
学人(がくにん)は必ず死ぬべきことを
思ふべし。

道理は勿論なれども、
たとへばその言(ことば)は思はずとも、

しばらく先ず光陰を徒(いたず)らに
すぐさじと思ふて無用の事をなして

徒らに時をすぐさで、詮(せん)あること
をなして時をすぐすべきなり

[私訳]
人は必ず死ぬ事を知っている。
如何に道理があっても、死ぬ事は
知っている。

それなら、自分の出来る事から
始めなさい。
時間はとても大切なこと。

どうしたら良いか分からず
寂しさを感じ動けない時は…

④人は死んで尚、唯物的にも、観念的
 にも生きている。

【事業銷毀(じぎょうしょうき)】
【精神万古(せいしんばんこ)】

事業文章は、身に随(したが)
いて銷毀(しょうき)するも、
而(しか)して精神は
万古(ばんこ)に新たなるが如し。
功名富貴は、世を逐(お)
いて転移するも、而(しか)
して気節(きせつ)は
千載(せんざい)に一日なり。
君子、信(まこと)に、
当(まさ)に彼を以て此に
易(か)うべからず。

[思考]
事業は立派でも一代であれば、
消えてしまうが、その事業を行った
者の精神は消えていくものではない。

富や名誉は、消えても、智恵は生きる。

今は目に見えない実態であったと
しても

唯物的には、文章、写真、動画には、
息づいている。

観念的には、その時の母の温もりや
優しさ等を感じたり、誰かがその人を
思う事で、思うと言う存在が成り立ち
息づいている。

目には、見えないだけでちゃんと
暖かさや温もりは、息づいている。

その人がそのように思っているだけで
思われている誰かが息づいている。

人間は無為自然

⑤一歩立ち止まり、耳を澄ます

【春至時和】
前集60より

春至り時和らげば
花も尚お一段の好色を鋪(し)き
鳥且(か)つ幾句(いくく)の好音を
囀(てん)ず。
士君子(しくんし)、
幸に頭角(とうかく)を列(つら)ね、
また温飽(おんぽう)に遇(あ)い
好言を立て好事を行うことを
思わざれば、
是(こ)れ世に在ること百年なりと
雖(いえど)も、
恰(あたか)も未だ一日も生きざるに
似たり

[私訳]
冬もあれば春も来る。春がなれば、
気候が和らぎ、花が咲く。

鳥は快い声で囀(さえ)ずり、
心の花も踊り様々な色に咲かせる

名声を兼ね備えた社会的に地位が
高い境遇でありながら、

世の手本になるような行動を起こさず
世の参考になるような思考をせずに、

言われた通り人生の一生を送るなら、
それは生き甲斐がない。

意義のない生活になってしまう。

[思考]
生きる事は、ただ、命があるだけ
ではない!!!

その命の意義を持たせる事。
自身の欲望の為だけに、時間を費やし

悪評ばかりを重ねて、百年生きても
1日も生きていないのと、
同じようなもの。

不自由な生活など全くせずに、
自分の好き勝手に生き、言いたい放題

それを正当化し、『大丈夫』と言い
いつも、事を荒立てながら生きても
最後は身体一つ

死んで尚、生きられない。
ただ、人々の悲しい感情が最後に
残る。

三國志では、後漢時代の末期から
質素倹約の墓を作るようになった。

高価な墓をやめた。
高価な墓を作れば次の世代に

受け継がれやがて、それは、
名誉を飾るものとなり

周囲から腫れ物のように見られていく
ようになる。

だからこそ、天地万物、森羅万象を
感じ、考え、実感する事が必要だと
思います。

されど、私は、過去の偉人とは、
及ばざるが如し。

然らば、私は、私の出来る限りの事
成すのみです。

成功と失敗の二極を受け入れながら
己を驕らずに今の自分と他者との

関わりを陰陽を持って考え、
私自身は今を必死に精進し、
今を
生きたい
と思います。