介護職時代の思い出〈職業訓練校編⑤〉
研修の後半戦である残りの三日間は、入所施設での実習だった。入所施設と一口にいっても、終の住処(ついのすみか)である特別養護老人ホーム(特養)、在宅復帰が目的で主にリハビリと介護サービスを受けられる老人保険施設(老健)、認知症の人が症状悪化予防を目的に少人数で家庭的な雰囲気のなかで生活できるというグループホーム、利用費用が高価な有料老人ホーム、等々、さまざまな種類があるが、私に割り振られたのは特養だった。近くの、といっても車で30分以上はかかる山奥に建つその施設は、全部で150床以上もある、まるで病院のような堂々たる外観だった。当今はやりの、ユニットケア型の特養でもあった。研修前にチャメさんに施設名を話すと、「あー〇〇ね~、昔彼女とドライヴであの辺りを通りがかったことあるんだけど、最初見たときは大規模なマンションかと思ったもん。彼女に結婚したらここに住んでみたいねえ~って未来予想を話してたんだけど、でもよく表札見てみりゃ『〇〇老人施設』って(笑)。まああそこは湖に面しているし、景色もいいよな~。老後には是非住んでみたいところだと思うよ」と言われたのだった。ちなみにチャメさんは近所の老健が配属先とのことだった。ところで、ユニットケアについてご存知ない方に一応簡潔に説明しておくと・・・。従来の老人施設では4人部屋や6人部屋が基本で、大人数(大体3~40人ぐらい)を一つの単位(グループ)にして、そのグループ所属の職員が画一的なスタイルで面倒を看る、というものだった。そこでは個々の年寄りの個別性はあまり考慮されず、仕事の効率性という職員の側の都合によって、起床就寝時間や排泄の手段・タイミング、入浴の手段・タイミング、食事の手段・タイミングなどに関する利用者側の希望が通りづらい環境なのだ。集団主義的なといえばオーバーだが、施設全体のスケジュール通り利用者が介護されるのが理想、というのが従来型と呼ばれるケアスタイルだったのである。それに対してユニットケアは、全室個室で、少人数(大体10人ぐらい)を一つの単位(ユニット)として、そのユニット所属の職員が個々の年寄りのこと細かな希望等に沿ったケア計画に準じて個別ケアをおこなう、というものである。建前上は起床就寝時間は自由だし、排泄・食事・入浴の手段とタイミングも自由である。強調しておくが、建前上は、である。現在では日本の特養の半数近くがこのユニット型へ移行・新設されているという。今でこそこのユニットケア(ないしユニットケア推進の現状)の欺瞞や偽善、宗教性、荒唐無稽さをしみじみ感じ、個人的には嫌悪感すら抱いているぐらいだが、当時は当然そんなことが分かるはずもなく、「全室個室ってアパートみたいでいいなあ(笑)」とおバカなことを感じていただけである。実習初日。夏の暑さがより極まるなか、汗を滴らせながら正面玄関に入るとすぐに受付があり、そこで新聞を読んでいた守衛さんと思しき初老の男性に事情を説明すると、3階にのぼっていくように言われた。その為、エレベーターを使ってのぼっていった。老人ホームについて教科書的な形式的な知識しかなかった当初は、「淀んだ空気が蔓延し、排泄物の空気が漂う不潔で暗い場所」という漠然とした固定イメージしかなかった。なので、エレベーターの扉が開き、光に満ちあふれた、広々とした開放感・清潔感のある空間が目に飛び込んできた時はいささか拍子抜けした。窓外には陽光できらめく湖面がのぞまれ、幅広のベランダにはプランターに植えられた観葉植物や花々が微風に揺れていた。私がユニット内をキョロキョロ見回していると、1人の老婆がトボトボとこちらに歩いて向かってきた。年齢不相応の若々しい衣服に身を包み、好奇心にあふれるように目を輝かせながら歩くその姿は、まるで少女のようだった。すると私のあと2,3歩ほどの距離のところで、とたんに彼女はフラつき、転びそうになった。慌てた私はとっさに手を出して彼女を支え、なんとか事なきを得た。老婆は身を持ち直すと、こちらを見つめ、「あらら、ごめんなさい」と甲高いが控えめな声量で謝罪をしてきた。途方に暮れていると、奥の方の居室より1人の男性職員が出てき、こちらに気がつくとハッとしたような顔つきになり、小走りで近づいてきた。「すみません、転倒しそうになってたんじゃないですか?いやー良かった。あ、もしかして研修生さんです?」まだ30歳前ぐらいの若い青年で、落ち着きのある人だった。「この方、普段は下半身の筋力とバランス感覚の低下の影響で車椅子で生活されているんですが、認知症もあり、徘徊というか歩きたがるんですよね。だから常に見守りが必要なんです。でも、今みたいに一瞬目を離した隙に、ということもあって大変なんですよ」老婆を車椅子に座らせながら、その担当の青年アオイさんは滔々と説明した。老婆を所定の位置に座らせると、アオイさんは研修内容についての説明を始めた。「基本的には、入居者とのコミュニケーションをしてもらおうと思います」『出た!またコミュニケーションか!』私はつい心の中でそう叫んでしまい、落胆してしまった。なのでつい、「食事介助や排泄介助などはさせてもらえませんか?」と聞いてしまった。「そうですねえ・・・。食事介助は窒息や誤嚥などのリスクもあり難易度が高くて実習生さんには任せないことにしてるんですよ。移乗や移動の介助、排泄の介助とかだったらやってもらえると思うんで、調整しておきますね」そう言われ、少しホッとした。ふたたびあの“コミュニケーション強迫”が3日間も続くのではないかとという恐怖感があったからだった。ちょうど朝食の時間が終わったということで、とりあえず、利用者数人が点在するテーブルについて座っている内の一つのテーブルに座るよう言われ、座った。隣には、車椅子に座ってうつむいている小柄な老婆がおり、私が座った直後、一瞬チラッと顔を挙げてこちらを見遣ったが、すぐに元の状態に戻った。私は「こんにちは」と声をかけると、うつむいた状態のまま、小声で表情を変えないまま「どうも」と一言返した。「初めまして、研修生のたっちっちです。よろしくお願いします」「・・・・・・」「最近すっかり暑くなりましたねえ」「・・・・・・・・・はあ」反応に乏しく、私は言葉に窮してしまった。この状況は、先日の訪問介護同行時と似てるな、と思った。こちらが必死に会話をしようとするも、盛り上がるどころか、成立も難しい状況は、かなり心苦しいものである。この老婆以外の利用者にも声をかけて回ったが、どれも似たり寄ったりの反応だった。どの老人もうつむいて、極端に発語数が少なく、表情も乏しかった。要介護度が高く、認知機能もかなり低くなっている人がほとんどなのだからまあ仕方ないといえば仕方ないが、前回のデイでの環境とは全然違うので、余計拍子抜けしてしまったのである。『生きているか死んでいるか分からない人たちだな。こういった人たちと一日中一緒にいたらこっちも同じような人間になりそうだ』などという失礼な感想を抱いたぐらいだ。(ところで、ユニット型特養の内情については後に詳細に書く予定であるので、今回は割愛する)居間に該当する共有スペースの中央ではテレビが大音量でついているにもかかわらず、そちらに目を向け見入る年寄りはほとんどおらず、むしろ仕事の合間に職員が見ているだけだった。「テレビなんて見てもおもしろくないよ」という意見が多かった。途切れがちで、細切れにしか会話が成立しない状況にやきもきする私を尻目に、時間は残酷にもゆっくりと過ぎていった。そんな状態の私を見かね、アオイさんは隣接する別ユニット(別名協力ユニット)へ連れていってくれ、先ほど転倒しそうになった老婆 ーー シブキさん ーー の席につかせた。彼女なら割と会話が弾むだろう、という配慮からだった。「どうも」「あらら、どちら様?男の人なんて珍しいわね」先程と同様の、好奇心でキラキラ輝く目と人懐こい微笑みで応じてくれた。「さっきは危なかったですね。でも体はなまるし、歩きたくなる気持ちは分かります」「さっき・・・?あら私、何か危ない目に遭ったのかしら・・・」これがいわゆる認知症の記憶障害というやつか!私は心の中でそうひとりごちた。「それはそうと、シブキさんは今おいくつなんですか?」「私は今年で17歳になるの。この前女学校を出たばかりで、今は家で家業を手伝いながらお見合いをしている状態なの」後に職員から聞いた情報によると、彼女は自分のことを実年齢よりも70歳以上も若く見積もっているとのこと。いわゆる見当識障害というやつだが、どおりで少女のような無邪気な表情をしているワケだ。その後、私はシブキさんと施設内を散歩することになった。基本的には車椅子介助走だが、本人自身歩きたいという欲もあるので、手引き歩行なら歩いてもいいと言われたので、他職員監視の下、歩いたりした。ベランダに出て、その長い通路を歩いていると、湖面が陽光できらめく様が見えた。美しい景色に私はうっとりしてしまった。と同時に『自然に囲まれ、しかも実世間から隔絶された環境にいると、社会や政治的な事柄はどうでもよくなるのかもしれないな。利用者だけでなく職員も』というひねくれた思いも去来したりした。実習2日目。アオイさんの配慮により、オムツ交換の様子を見学させてもらえることになった。遅番で出勤してきた30代ぐらいのおとなしそうな女性の職員につき、見せてもらった。ちなみに、この女性職員も既婚者と聞き、こっそり近くの柱を怒りで蹴り飛ばした(笑)。オムツ交換に必要な清拭布と使い捨ての薄いビニール手袋を持ち、ある利用者の居室にお邪魔した。ベッドに寝ていたのは90代の女性。食事時以外の1日の大半を臥床(床に横になっている)状態で過ごしているという。糖尿病の影響で尿の量が多く、割とこまめに交換しているとのこと。認知症の影響からか、「こんにちは」と私が声をかけても「む~」と謎のうなり声を発するのみで、会話が成り立たなかった。しかし視線は薄目ながらもこちらを追ってはいた。「この方はご覧のとおり結構体格がいいので、本当は2人で交換するのが理想なんです。でも、今みたいに人手の薄い時間帯は1人でやらざるを得ないんですよね」女性職員はそう言いつつも、1人でテキパキと交換していった。ズボンを下ろし、オムツを開け、持参した温かい濡れ清拭布で陰部と臀部を拭き、新しいオムツを当ててズボンを履かせた。ものの2,3分の出来事で、その手際のよさに見入ってしまった。使用済みのオムツと清拭布は新聞紙で包み、エコバッグに入れて汚物処理室のゴミ箱にそれぞれ分類して捨てられた。汚物処理室はウンチとオシッコの匂いが漂っており、換気扇と消臭剤はあるものの、その匂いに私はノックダウン寸前だった。話には聞いていたが、他人の糞尿というのは、かなりの嫌悪感を抱かざるを得ないということが改めて感じられた(しかし、3日もすれば慣れる、ということも後に分かった)。その後も何人かのオムツ交換の様子とトイレ介助の様子を見せてもらった。排泄用品の種類や当て方、タイミング、人それぞれ違っていて、とても興味深かった。その時私はふと、以前授業でお試しのオムツを当てられなかったのを思い出した。人間歩くのはおろか起き上がるのもしんどく感じる状態になれば、オムツを使っていた方がかえって楽で心地いいかもしれないな、と感じたのだった。研修最終日。アオイさんにつき、私は入浴介助に同行させてもらうことになった。デイサービスの時とは違い、寝た状態で入るいわゆる機械浴というやつで、身体機能が著しく落ちた人が利用するものだった。介助したのは胃ろうの男性利用者で、これまた手ぎわのいい洗身で、見入ってしまった。アオイさんは洗いながら、「ところでたっちっちさんはこういった仕事をするつもりなの?」と聞いてきた。「そうですね、そのつもりです」「そうなんですね。この仕事、世間ではキツイってよく言われるけど、実際はそんなにキツくもないよ。まあ俺自身、大学出てすぐにこの世界に入ったからこの世界しか知らないけど、でも特別大変でもないと思いますよ。中途半端な気持ちでなければ、ぜひおすすめするよ。で、もし就職する気なら、ウチみたいに経営母体が公的な法人や施設の方がいいと思うよ。福利厚生しっかりしてるし、安定してるから」この言葉が、私のその後を左右することになる。研修が終わり、お世話になった職員や利用者に挨拶をして回っていると、シブキさんが「悲しい」と涙を浮かべ別れを惜しんでくれた。ひねくれた私ではあったが、素直に嬉しかった。介護職冥利に尽きるな、と感じ、また、この道に突き進んでいこう、と本気モードになるのだった。