【かいわれ大根トリビア】
昭和40年代まで、
かいわれ大根は、
大阪エリアの料亭で
天神祭の時に
振舞われる
高級野菜
だった。
古くは、平安時代より貴族への献上物として、作られていたが、
広く流通するようになったのが、江戸元禄時代。
大阪の堺市周辺で春から夏にかけて、換金が早くできる野菜として、農家に人気であった。
しかも大阪の農家ですので、商売っ気が強いこともあり、どうせ売るならと、高級品として料亭に出荷していました。
その流れが変わったのが、昭和50年代。
福岡県能古島に住んでおられた前田瀧郎氏が、大阪に出張に来られた際に、かいわれ大根に出会い、美味しく、しかも短期間で作れることに目を付けられました。
そこで、もっと大量に作り、より安価で、もっと販売できないかと試行錯誤され、現在の水耕栽培方式につながる大量生産システムを考案されました。
さて、
当時は、大量生産、大量販売、低価格提供、拡販、技術向上の時代。
野菜工場を設立し、かいわれ大根を生産する企業が続々と参入。
最初期には、内田促成が福岡県甘木市(現:朝倉市)にて、かいわれ農場を設立、続いて三重県四日市市にもかいわれ農場場を設立。
そして、海洋牧場本社が静岡県焼津市に、かいわれ農場を設立し、フランチャイズ化を進めた。フランチャイズ農場が最高20軒ほどになりました。
また、行部沢農園もかいわれ農場を設立し、フランチャイズ化を進め、6軒ほどのかいわれ農場を作りました。
もやし生産者を中心に、日本かいわれセンターが設立され、関東、関西、九州にかいわれ農場を設立。
そうすると、このような大型の野菜工場だけでなく、一般の農家もかいわれ大根を作り始めることになりました。
一説に要るとかいわれ大根を作る農家や企業が瞬く間に100軒を超えるといわれています。
そうなると、発生するのが、
ブランディングなしの価格競争と拡販競争。
あっという間に1パック100円程度であった卸価格が、
1パック30円を切ることに。。。
つづく