今日の海は 久しぶりに晴れ渡った明るい海 色は緑がかった藍色 海運楼の高さ見渡すと 砂地の海底の色によって 白く輝いているところや濃紺のところと光輝いている。本当に美しい海だ。三陸では 海の怖さが改めて浮き彫りになったが 津波の歴史のないこの海は もちろん 一面しぶきを上げて荒れ狂うときもあるが とても優しく感じる。 砂浜に面した姉妹館「海運座」には 海水浴場砂浜に面して 大きなBBQテラスがあり 海を最も近くに感じる食堂である。私がここに店を出したのも 何より海が好きだからであり 元々ヨット乗りであったことから 嵐にも出会っており 海の怖さはだれよりも知っているつもりだ。
海に向かっていると 全てのことが小さく見えて 心の壁が消えていくように思う。母なる海である。 「海運座」は 民宿を改装した浜焼き食堂であることから 2階に10畳の和室が4部屋と30畳の広間がある。10畳の和室は 個室希望の食事部屋に利用しているが 一階食堂が大きいので この震災の避難所として提供しようと思い 先ほど 福井県庁に電話し 提供の申し入れをした。食堂だから 食事も含めて 本当に行き場の人のない被災者の皆さんに利用してもらったほうが役に立つと思いすぐ決めた。アパートや団地でじっとしているより お客様が出入りする食堂のほうが 気が紛れると思っている。
この震災で 日本は大きく変わるかもしれない。今 トヨタをはじめとした基幹産業の工場が部品調達ができず操業が止まり 原発の放射能で 日本製品の輸入禁止をしている国が増えていると聞く。国内では 震災被災者のあまりの悲惨さをテレビで目の当たりにし 多くの人が何か できることはないかとボランティアや物資提供などに動き 節電節約は元より 喪中のように華やかさを慎んでいる。生きていることがありがたく思え 震災前の人の不幸を喜ぶような風潮など吹き飛び 軽薄な欲望主義が影を潜めた。人間は 次々と欲望を拡大し続ける動物(もちろん それが成長の原動力)であるが 同じ日本に住みながら 悲惨な境遇の変化が一瞬で降りかかり 家族の命を含めて全てをなくして 避難所しか居場所がなくなった何万人にも及ぶ被災者をこの二週間見続け 当たり前に食べ 暖かく寝るところがあり 普通の生活の中で 電気 水道ガスが使える当たり前の日常が 本当は幸せなことだと気付いたようだ。 被災者の皆さんは これから一から出直さなくてはならない。勤めていた会社をなくした人も多い。失うものがないと人間は強くなれるのだろうか。状況を受け入れられるのだろうか。生きているだけでよかったと言う被災者の映像をたくさん見せてもらった。
この国は 豊かさに慣れ過ぎ 豊かさの実感を失い 不満ばかりが蓄積し テレビを通じて軽薄で快楽主義的なバーチャルな世界で不満を紛らわす人たちがあまりに多くなりすぐたように思う。日本は リビアやイラク アフガニスタンのように戦争が身近に無く アメリカ人のように軍人として戦場に行き戦わなくてもよい。北朝鮮などのように独裁者もおらず 秘密警察もいない幸せこの上ない自由で安全な国である。しかし 今 福島原発が これからどうなるか分からない。この問題は 哺乳類として生存に最低限必要な空気が手に入らないということであり 汚染された土地は墓場になることを意味する。拡大すれば 東京もその圏内にある。日本経済は 輸出で海外に依存してきた。これから どうこの国を立て直すかは まず 原発を落ち着かせることが最重点であり その間に現場では 不明者の捜索を終え 瓦礫を撤去し 避難者の生活を立て直すための支援を大きくしていかなければならない。
津波も 原発も 想定外といった言い訳を多く聞いた。想定したのは誰なのか? ダムを造る前提の想定は100年に一度の豪雨洪水と聞いた。三陸の津波はそれより頻繁に打ち寄せ 被害も比較にならない。いずれにしても自然に対して 人間の力は小さい。科学技術やシステム 機械の力に驕り 依存心が強くなっているのに不遜になりすぎた日本人は反省し 後進国の人たちのように 自らの努力と責任で生きる力を少し取り戻すべきだと思う。国は 建前ばかり強くしないで 現実感のある政治をして欲しい。福祉も大事だが 本当に生死を前提としたリアルさも必要だろう。 今回の災害対策を見ると状況対応的な処置ばかりに見える。総理には 同じ想定をするなら 次起こりうる状況を想定した 総理にしかできない超法規的 予算無視 省庁間の壁無しの決断力と行動指示 専門分野に卓越した人選 権限委譲を期待したい。災害に運よく無縁の人たちは できる限りしっかりと 現実に仕事、生活を元気に頑張ることを期待し 支援の気持ち 行動は 行政がしっかり被災者に繋いで届くようにして貰いたい。
最後に気象庁とテレビ局に言いたい。福井にいると 豪雪風評被害に辟易する。福井に行くと この冬は35時間車に閉じ込められると思われ 多くの問い合わせを受けた。気象台は すぐ注意報 警報を出すが 当るのは10回に一回程度 正に狼少年的である。予報精度が悪いなら予報しないほうが良い。今回の津波でお年寄りが多く助かり 若者が多く犠牲になった。想像するに お年寄りはまじめに避難し 若者は 「またか」の感覚で避難が遅れたのではないだろうか。過去何回も津波警報がテレビで流れるのを見た。本当に津波が想定される地震の時だけ 特別な警報を考えたらどうだろうか。狼少年にならないために・・・ 。もうひとつ 馬鹿なコメンテーター 人格は公共の電波には載せないでもらいたい。