越前三国 海運楼ブログ ~ 海日記-越前松島水族館
 この地球の2/3は 海に覆われている。生命の起源も海から生まれた。海を中心とした水の循環が生命を育み地球を浄化している。人間の体も2/3以上が水分で成り立っている。海から蒸発した水が空気中の湿度となり雨となって大地に降り注ぐ。海は全ての水の源であり、まさしく母なる海である。
 私たちは海は広く・深く・美しいものとして感じているが、時化の海の荒々しい力強さや水平線の拡がる無限的な広さゆえ、人間の力の抗しきれない怖さを感じながら、海への畏敬を含めて海への憧れを持っている。
「海は広いな 大きいな・・・・・」昔から身近にありながら、その広さと深さゆえ近づき難い気持ちがある人も多いだろうが、漁師や船乗りは、海の怖さを熟知しながら果敢に海に挑み、海とともに生活している。陸で生活する私たちは、その恩恵で魚を食べ、石油をはじめ海外のいろいろなものを手に入れ利用して生活している。
 つまり、海が無ければ全ての生命は存在していない。
 今回の大津波で、海は身近に怖いものと感じてしまった人が増えたことと思う。しかし今回規模の津波は過去にもあった。
 人間の驕りと慢心・自己都合が、目先しか見えない経済合理性優先の行政判断と住民の自己防衛意識の欠如から多くの犠牲を生み出した。津波の前には必ず大きな地震がある。もちろん津波警報もいち早く発令された。大きな津波が来る地形であることも解っており、防潮堤もあり避難所も指定されていた。
それなのに何故 こんなに多くの人が犠牲になったのか?日常に慣れ過ぎた結果なのか、浅はかだったのかは分からない。
気象庁は 地震が来るとすぐ津波警報を出す。狼少年と思われたのかもしれない。しかし自分と家族・周りの人たちの命は、お互いが自ら守ろうと努力しなければならない。事実、三陸では住民を避難させるために現場に留まった多くの自警団・警察官・消防署員が亡くなられた。もし住民全員が危険な場所に住んでいる自覚があり、高台にすぐ避難していたら、彼らは生きていたかもしれない。自分の安全は自分で守ることが前提である。
 日本は建前的な安全システムを多く作ってきた。もちろん今回も多くの人を救ったであろう。しかし親方日の丸意識が強く、被害者意識ばかりが強い日本人は、自己責任という意識が薄いように思う。今政府が批判の矢面となっているが、それは事後処理の不味さであり、海をはじめとした大自然に対して人間の力は限られたものであり、運不運も含めて最後は自分を守るのは自分であるという自覚に基づいた自己責任意識を勇敢な救助者を不幸に巻き込まないためにも、この震災を教訓として全国民に啓蒙・教育すべきだと思う。
 リスクマネージメントという言葉があるが、欧米に比較すると日本の自己防衛意識は極めて希薄である。政治は自己責任回避を目的とした言い逃れ的屁理屈を止め、現状できることを謙虚に素直に説明するべきだと思う。
 本当の意味でのセルフディフェンスを考え、実行する時期が来たように思う。