結婚すると、大方は舅・姑・小舅・小姑が付いてきます。




お義母さんとは、あまり話した事がありません。 糖尿で入院していたからです。
私も直ぐ妊娠したり、電車で通勤してたのでなかなかお見舞いに行くのも少なかったのです。私は当時、人見知りも激しかったので、会話も少なかったです。
多分、優しい人だったと思います。
お義母さんと主人の物語 

主人の兄弟は、義父母の生い立ちには無関心らしい
義父は母親に連れられて米沢から来たらしい。
母親は再婚した。弟が生まれた。
主人の幼少期は義母のお母さんと住んでいたらしいです。
ある日、主人が外遊びから帰って来ると、父母兄弟が誰もいなくなって、おばあちゃんからゲンコツをもらったそうです。✊🤛
何があったのかわからず、母が迎えに来たそうです。
主人は戦後直ぐに生まれました。
戦後、ほとんどの人は農家👨🌾以外は食料に困っていました。主人の家は戦後10年たってもド貧乏だったそうです。
一生懸命に働いていたそうですが、何故か楽にならない。
義母は、子供達のお腹を少しでも満たしたいと思い、山菜や私から見ると雑草ですがヒヨと呼んでいるものを食べていたそうです。
農家の人が捨てた、さつまいも🍠のツルや小さい芋🥔を拾ってきたそうです。
農家の人がそれを見て【ドロボー】と言って追いかけてきた事もあったそうです。時には、持っていっていいと言われ、野菜を貰って来たこともあるそうです。
なんで、あんな貧乏だったんだろう?
今でも、時々思い出して言ってます。
あまりの貧乏の為、唯一の親戚も離れて行ったそうです。
食事も、乾麺を鍋に入れその中にお米を炊いた、糊みたいなものだったそうです。
主人の小学校の入学式には、両親働いていた為、おばあちゃんが来てくれました。
今は、教科書は支給されますが、当時は親が購入していました。
上の学年の人が使用したもので使える教科書はお下がりで使用していました。
主人は音楽の教科書も使用できるという事で、お下がりを貰ったのですが、使えなかった。
音楽の時間になると【忘れました】と言ってたので、先生👩🏫に【忘れ者の王様】と言われ、それがアダ名となったそうです。
両親には言えなかった。先生も👩🏫貧乏だからバカにしていたのでしょう。
六年生の終わり、中学に進学するする時
当時の担任の先生👩🏫に【教科書は心配しないでいいからネ。あなたの買ってあるから】と言われました。すごく有難くて嬉しかったそうです。
中学へ進学する頃から、両親が自分の家で商売をするようになって、経済的に少しずつ好転していました。
それでも、進学はさせて貰えませんでした。当時、金の卵といわれ東京へ!家の商売に役立つように!
それでも、友人が大勢できて楽しかった! 帰って来たくなかった! と言ってます。
主人が帰ってきたら、新しい技術を持って来た為、新しい機械を入れて手広く商売をすることになりました。
義父は、長年やってきた仕事を退きました。まだ60前だと思います。 それを?見習って義兄もその年齢で仕事のやる気を無くしてしまいました。
主人は、勿体ない!
オレだったら、もっとやれる!
主人は仕方なく、実家の仕事から撤退してたのです。
義母は主人が東京から帰って来てから、少し楽になったようです。
サイダーが好きで、スカッとすると言って良く飲んでたそうです。糖尿の為に喉が乾いていたのでしよう。子供達は、苦労したのだから好きにさせていたようです。
糖尿とは思っていなかった。わかった時は、重症だったみたいでした。
以上です。
主人と私が結婚する頃、してからも入退院を繰り返していた為、なかなかお義母さんと言う機会はありませんでした。
主人から、聞いた事しか知りません。
おふくろ、64歳で亡くなって可哀想だと言ってます。
でも苦労した分、天で良く頑張ったと可愛いがられてるよ❤️
と、私は言ってます。
この頃、私が思う事
私が主人と結婚した家、私が生まれた家、全然関係ないようですが一つ共通点がありました。
最近、気がつきました。
つづく
