こういうタイトルが好きな読者の方もおられるでしょ(笑)。久々のサービスです(うふ)
あるお客さんといろんな整体・カイロ・接骨院の話になり。
そこから気功、ヒーリングといったことも話題にのぼり。
その流れの中で
「じゃあ、ヒーラーはスプーンを曲げられるのですか?」という会話がありました。
たぶん、そんなことをしようという発想自体がないと思いますよ?とお答えしました。
なぜかというと、ヒーリングでは、究極ではという条件をつけたほうがいいでしょうけど、「最善のことがおこってほしい」という願いをもつからです。
腰痛であれば「この腰痛よ、治れ」ではなく「この人にとって最善のことが起これ」なんですね。
いま、治るべきなら治れ、あとで治るべきならあとで治れ、治るべき時期でないなら、まだ治るな、治らないほうが良いなら治りませんように。
でも、御心にかなうなら、治ってくれたらうれしい(笑)。
まあ、そこまで長いことは考えていませんけど?
受験のことを考えてもらうとわかりやすいです。
「●●高校に受かりますように」が一般的な願いであり、祈祷するときの願文になります。
「受かるべきなら、受かりますように。落ちるべきなら、落ちますように。どちらにしても最善のことが起こりますように」がヒーリング的発想です。
耳にはするでしょう?受験に落ちたから「今の俺がある」みたいな話。
その人は受験に失敗してよかったわけです。
高校に受かりますように、が成就しなくて良かったわけですよ。
つまり頭で考えた「願い」を聞き届けるのがいいのか、その人の将来の運命的なものまで「良くなるように。そのために今、起るべきことがおこりますように」がいいのか、という、ね。
熱がでれば強制的に解熱するほうがいいのか、出るものは出したほうがいいのか。下痢をしているなら強制的に止めたほうがいいのか出し切ったほうがいいのか。
(実際には「起こりますように」というか、「起ることを信頼している」ので、ヒーラーは「なにもすることがなくなってしまう」。
「それ(最善)が起ることを知っているから」という面白い境地に達するようですが。)
話を戻すと。
スプーンにとって
「曲がって使い物にならなくなることが最善か否か」なんです。
だから「曲がれ」は念力であり超能力であり、の世界です。
「スプーンが曲がるかどうか、とにかく最善のことが起れ」。
曲がったらスプーンの一生は台無しですからねー(笑)。
ただ、曲がることで人の物質万能の意識が「変わる」。そのために僕(スプーン)は曲がってあげる、ということはあるかも、ですね(笑)。
結論は、ヒーラーはスプーンの意志を尊重する、です。違うか(爆)。
追伸
かいつう館に来てすぐによくならなかったときは、僕がヒーラーだったとき。
すぐに痛みがなくなったときは、僕が超能力者だったときです。
(オチですってば。)