さまざまな整体があることについての考察(笑)。
さらにつっこんで考えます。
誰かには合うが万人には合わない(ひとつの流派で全員を治せない)、という原因のひとつは。
「短期間で治らない」ことを突きつめないからだ、と自戒の意味を込めてそう思うんです。
「すぐに戻っちゃいますから定期的に通ってください。徐々に治していきましょう」
これだと、因果関係がはっきりしなくなるんですよ。なぜなら、時間がたてば自然と治っていくケースも多いから、です。
定期的に施術をして良くなったのか?いつの間にか治っていただけなのか?
「慢性的な腰痛はすぐには治りませんよ。時間をかけてなったものは時間をかけて治さないと」
本当にそうなのか?もし、一人でも短期間に治る慢性腰痛患者さんがでてきたら、他の患者さんもすぐに治る可能性があったのではないか?
ここを真剣に考えていけば、整体はもっと技術的に発展してしかるべきだと思うし。
でも、そうならないのは、以下に述べる二つ目の原因があるからじゃないか、と推測するんですけどね。
もうひとつの原因は。
腰痛にしろなんにしろ。
「原因をひとつにしたがる」ことだと思うのですよ。痛みの根本原因は、、、
「椎骨のズレによる神経圧迫である」
「骨盤の歪みによる神経圧迫である」
「血行不良による血の巡りの悪さである」
「気・血・精のバランス、五行のバランスの崩れによる」
「ストレスによる影響である」
「筋肉の硬さである」
いっこ飛ばして
「憑依霊によるものである」
なんてね。
よくチラシなんかで「根本原因はこれこれ。それを治さないとダメですよ」というフレーズがあります。
個人的には、ですけど。
「根本となるたったひとつの原因」があると思うから、たったひとつの原因じゃなかった患者さんが来たら、その人は治せないんではないの?と考えたりもします。
つまり、いくつかの原因が複合して関連して痛みは発生しているとしたら。
どれかひとつに絞った整体で治すには「時間がかかる」のもやむなしではないか?
(↑上述したように、ここでなぜ時間がかかるのか?を問えば「もしやこの原因ではないのか」と気づくこともあるのでは、と)
でもって。
「どれかひとつの原因に絞った」ことが、こんなに沢山の整体の流派を生み出すことになったのではないか?
原因ひとつに対して、ひとつの整体流派が生まれてるとしたら、こういう現状にうなずけはしないでしょうか。
椎骨のズレで腰痛になっている人が来れば、それ専門の先生は治せます。そうじゃない人がそこに行けば「時間がかかりますよ~」ということになっているのではないか?
でも、そうじゃない人が「血行不良」を改善してもらったら案外にすっと治る可能性もあったりして。
いろいろ書いてますが、あくまで私見です。別に整体の歴史の資料を紐解いたわけではありませんので、さらっと読み流してくださいね。
今日はここまで(といっても続きがあるかどうかは未定。笑)