お客さんの話をお聞きすると、本当にいろんなヒントがちりばめられていることがわかります。
あるときに「深呼吸をすると背中が痛い」という方が来てくださって。
けっこう時間をかけたんですが、その場では「来たときより楽になったかなあ」というレベルまでしかもっていけなくて申し訳なかったなあ。。。
あ、それで、この日にお客さんと腰痛の話になったときに、「以前にとある治療院で『だいぶ前に足首の靭帯を傷めていて、そのせいで(庇ったりして不自然な状態になったり、とか)腰痛になるのかも知れませんね』と言われた」ことがあるんだそうです。ニュアンスは、です。正確に思い出して書いているわけではありませんが。
でね。この方が腰痛を感じるときをお聞きすると、同じ姿勢で座っているとき、ずっと立っているとき、なんだそうです。動いてしまうと楽になるのだそう。
これって、その説明でツジツマがあうのかなあ、て首を傾げちゃうんです。別によその見立ては間違ってる、うちが正しいっとかじゃなくて。
簡単な話、立ってるときは置いといて、「かなり以前に足首を傷めたとして、ずっと座ってる状態、つまり足首に負担がかかっておらず、何も庇う必要がない状態、に腰が痛くなるという間に因果関係があるのか?」ていう疑問。
ない、とは言わないですよ?庇ってる姿勢が常態化してしまって、それが座ると腰に負荷がかかって、とかね。
じゃあ立ってるときは?これは因果関係があるのか。あるかも知れない。だけれども、「立ってるだけよりも歩くときのほうが楽だ」という説明がつくのか?本人に自覚しないくらいの違和感がまだあって、微妙にでも庇う状態で歩くのであれば、「立ってるだけよりも歩くほうが辛」くはないのか?
ない、とは言いません。無意識に痛くない歩き方を身に付けてる可能性がありますからね。
可能性は「どっち」にもあるんだけど、まず自分の中で「疑問」をもってそれをいかにより無理のない説明に置き換えることができるか、って考えていきたいんですよ。
こうやって、完全は望めないとしても、可能な限り整合性のつく説明を自分のなかに組み立てたいと思うんです。
お客さんの話をまったく聞かない。体の現状から原因を推測していく。それでわかることもあるのだろうとは思いますが、そこで導いた原因論が、お客さんの「日常の痛み」と整合するのか?ってことですね。
僕も「これだ。これで絶対」という原因論の発見にはまだまだ達していないですが、精密な検査以前のこういったお客さんの話からまずヒントを見出すことも決して無視できない思考法だと思うんです。
今日もありがとう。
ぼちぼち子どもネタも書きたいんだがなあ。