せっかくなので。昨日のコメントから、さらに話を続けます。
そうなのだ、なにも、原始本能のままに生きよう、原人に還れ、というわけじゃないのよね。それじゃあ、人間してる意味が、喜びがない。
可能ならば、今の人間でありながら、常にカラダとあたまの調和をとってやる。これが、もしかしたら究極の健康、究極の幸せかも、なんて夢想します。さて、今日は特別、肩がこるからねー。一応、警告しときます(笑)
第二次世界大戦前後の新興宗教では「神人(しんじん)合一」という目標がありました。神と一体化するわけですね。仏教的には「即身成仏」がそのニュアンスに近い。今、この身このままで仏になる、ということですね。死んでからじゃなく。
僕の整体的視点で捉えなおすと、そのまえには「心人合一」または「身人合一」があるのじゃないか、と。つまり、あなた、とあたま(こころ)と、カラダ、とをぴったりひとつにする。整体的三位一体である。あたまとカラダの差をとる(悟る)。そのためには、あたまの欲望をとる必要がでてくる(瞑想する人もいますよね)。それがなくなると、相対二元論からの脱却の可能性が見えてくる。アタマの利害とカラダの利害がなくなると、ってこと。そこから抜けられるとーカラダと心の喜ぶことと、アタマの喜ぶ事が一致してるならー、損得、優劣、幸せ不幸せ、、、という概念がなくなるから、幸福だ、不幸だ、という悩みから抜けられる。それは、退屈な毎日じゃなくて、至福の時、千年王国(地上天国)、極楽浄土、の地上での完成、になる。
ええ、退屈はしませんとも。カラダが喜ぶんだから、それ、は気持ちいいに違いない。気持ちいい、んだから、心も満足しているに違いない。アタマは心を満たそうと働くから、アタマも満足してるはず。自分は満足した状態にあるのだから、他人とどうこう、がなくなる。そして、他人との間に利害の衝突がなければ(感じなければ)、自分の気持ちよさを追求できる。他人との間に上下がないなら、他人の喜びもまた、自分の喜び。自他の差がなくなれば、すなわち悟り(差取り)。あなたは私であり、あなたの友達も私であり、私でないものは無くなる。すべてが私であるなら、私が、あなたという私を傷つけようとも思わない。否、私はきっと私であるあなたを喜ばせようとするだろう、、、。
それを老子は「無」といった。「自分という個我」つまりあたま、とカラダに差はなく、私と他人の差が無く、自分という個我がないから、損得を比較する相手もまたない。
それを仏教は「空」といった。おのれ(あたま)を空しくすれば、あたまとカラダとぴったり一つになった新しい、否、元からあった自分が立ち現れる、損得がなくなれば他人と争うこともうらやむ事も比較することもなくなる。そのときに「山川草木悉皆成仏」、ありとあらゆるものに仏性を見ることになる。
それを海外では、いみじくも「人類」=ヒューマンビーイングと呼んだ。「ビーイング」=存在。ただ、「ヒトとして在る」というもの。老子は「無為自然」と言う。これが得か?人よりも儲かるか?ではなく、「何かの為に成すのではなく、自らの(あたまではなく)成すがままに」なせ、と。そしてその結果に価値判断をつけるな、と。なぜなら、勝者敗者がいるのではなく、ただ、ヒトという存在であること以上の価値はないのだから。そして、神は在りて在るもの、すべてのすべて、創造主にして被創造物、であるなら、ヒトは、それだけで神と等しく尊い「存在」であるから。(神は人を創った。神はすべてである、神でないものは存在しない。つまり、人は神である)
確かに、損得などの相対的二元論がここまで人類を発展させてきた。
だからこそ、原人に帰るのではなく、意思を持って「心とカラダを一体化」させれば、もっと素晴らしい世界にできるのではないか?それはつまり、、、
この前に小さく報じられたニュースで、日本の企業は発展途上国から、Co2の排出権を買った、と。そういう問題か?減らさなければならない、と考えているなら、止めれば良いのではないのか?フロンにしろなんにしろ、まずは「廃止するのは損か得か?」である。タバコの害が喧伝されて久しい。しかし、タバコを「禁止するのは損か得か?」である。カラダはその環境を望んでいない。しかし、アタマは望んでいる。そういうことである。これを、一つにすれば、、、。。
カラダも望み、アタマも望むタバコを作って利益を上げたらいいのである。今在る在庫がムダになる?なくなるまで今のタバコを作りたい?カラダを傷めるのがわかってて?そうなるのが、あたま優先のこの世である、、、。
いま、カラダに起こっていることを、価値判断をつけずに、あるがままに観察する。そこにはただ、現象がある。プロセスがある。そう、善悪を持ちこまなければ、ただそれだけである。下痢は良いことか悪いことか?ただ、カラダに良くないものが必要な速度で排泄されているだけである。
さて、話がとんでもないところに来た。今日、はじめてこのブログを訪れたヒトは、もう二度と来ない、と思う(笑い)。どこが整体屋のブログやねん、と(仰るとおりっすー)。
なので、「哲学する整体・第二部 完」と致します。
もちろん、僕はこんなことを考えながら商売してるわけでもありませんし、今よりも人よりも儲けてやれ、と思わないこともない人間ですので、良いように勘違いしないでね(笑)