気を巡るおはなし | 尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

1回の時間はかけますが、やることはとことんシンプルに。
笑って良くなる整体院を目指しています。お客さんを通わせない、技術の出し惜しみをしない、楽になってもらいたい、という気持ちを忘れない。そういう思いで、整体をさせていただいています。




皆さんは、「気」を感じることはできますか?

僕は、、、できません(苦笑)。

でも、きっとこのブログを見ておられる方は気を感じ取る名人ばかりだと思います。

中国医学系や漢方系、鍼灸なども、「気の滞り」という言葉を使いますよね。気がうまく巡っていない(滞っている)から「冷える」とか。肩で滞っているから「肩こり」になる、とか。

この伝でいくと、突き詰めちゃうと、違和感のあるところには「気」が滞っているわけで、つまり、、、違和感を感じられる人はすなわち「気」を感じられるということになっちゃうのです。良かったですね(笑)

そういう違和感のあるところには、常に意識がいきますよね?いつも頭が重い、とか、いつも肩が凝る、とか。
そうなんです、意(イ)のいくところに気(キ)が行くとも言えるんです。さらに頭ならズキズキ血管が脈打つ感じがしたり、肩ならうっ血した感じがしたり、もしますよね?
そうなんです、意(イ)のいくところに血(チ)が集まる、とも言えるんです。

イ・キ?イのチ?なかなか、言葉って面白いですね。気とはものを活かす生命力だ、って言った人もいましたが。

僕の手が暖かい、て言ってくれるお客さんもおられます。それは、施術中は軽く目を閉じて手や指先に意識を集中してるからだと思います。意の向いた先に血があつまるわけですからね。

そう考えたら、こんなイメージも湧いてきませんか?そこに意識を向けてしまうのは、痛いところに手を当てるようなもので、意識の手で患部をさすっているのだ、と。痛みやうっ血は、病気でいう白血球なんかの闘ってる様子なのかも、と。痛いから意識を向ける、気と血が集まる、さらに症状が激しくなる、けれど、それはいつかは良くなっていく、、、。

良くなっていかなければ、治療家達が、古くなった気や血を散らしてやる、揉んだり叩いたりしてね。すると、古くなったそれらは散らばり、空いたスペースに新しい血や気が流れ込んでくる。で、また古くなって、と(笑)。

僕は気を感じないのは、それほど「悪くない」から、か、痛くても「気にしない」からでしょうね、、、。

意の行くところに気が届く、なら、治療家が相手の患部に意識を持っていったなら?
案外、そういう理屈なのかも知れませんね。なーんだ。