今日はトラバ先からネタをお借りして。
腰痛の女性で「立ってるほうが辛くて、自転車にのってるほうが体重が分散されて楽だ」という方のお話がありました.武楽茶店diary七月三十日
二足歩行になったため、腰痛や肩こりは人類の宿命だ、という言葉があります。そんなことはないでしょ?というのがかいつう館の考えです。深い根拠はありませんが、そんな不完全な進化をするとは思えないんですよ。いろんな進化や適応を経てすべての動植物はこのカタチにおさまっているわけです。人間だけが、そんな中途半端な進化で生きてきた、というのでしょうか。つまり、立っている状態は充分楽になるようにできているはずなんですね。
であれば、二足歩行でも肩こりや腰痛のない生活がおくれるはずなのです(まあ、いまの社会を見ると、そうも言えないでしょうけど。「肉体的だけを見れば送れたはず」であって、、、)。または腰痛や肩こりに適応したスタイルも同時に獲得しているはずなのです。
さて、話をもどしますと。体重を分散する。これは、不自然な事なんです。分散したところに負担を請け負ってもらうだけのような気がするんですね。まっすぐ立つと、腰に体重が乗る、、、んでしょうか?例えば、等身大の巨大な鉛筆を一本、地面にまっすぐに立てます。このとき、鉛筆の体重?は人間の腰に当たる部分に集中しているでしょうか?または、同じ長さの鉛筆を二本立て、天辺に横に板を渡す。その上の真ん中にもう一本鉛筆を立てる。このとき、横に渡した板、つまり腰にあたる部分に体重?がかかる。かかるが、その体重は下の二本の鉛筆に渡されていきます。板の部分が一手に引きうけるわけではない。
問題なのは、何処に体重がかかるか、ではなく、どこに重心が来ているか、なんだと思うんですね。一本の鉛筆のケースでは、途中で逸れることなく地面に、そのまま地球の中心に重心が届いているわけです。だから、腰に当たる高さで重さがかからない。二本の場合も同じです。重心は二本の鉛筆の「間を通って」地球の中心に吸いこまれていくんです。このときは、なんの努力もいらずに立っていることができます。重力と一体化しているからですね。そう、イメージは天井からヒモを吊り下げた状態に近いんです。
これ、すごく大事なことなんです。たとえば、体を前に曲げる。その際、上半身を折り曲げて地面に手をつけようとすると思ったより曲がらなかったり、腰に無理がきたりします。それは、重心が足の「間」よりも前にずれて倒れようとするから、後ろに戻す力が働くんです。ならば、前に曲げる際にはお尻を後ろに突き出してやればいい。そうすれば、腰は足よりも後ろにあり、曲げた上半身は足よりも前にあり、、、結局、重心は足の「間」にくるので楽に曲がる。ラジオ体操で上半身を右に倒す動きがあるなら、「上半身を右に倒すと、重心が右にずれるので苦しくなる」。ならば、腰を左に出してやれば、(上半身は右にあるので、)結局重心は足の「間」に落ち着くので楽にできるんです。
つまり、極論すぎますが、重心が中心を通っていれば、「足裏以外はどこにも体重はかからない」。ように感じるはずだと思うんですよね。
では、yukariさんのケースでは。自転車の乗り過ぎで(笑)お腹を丸めるように筋肉が習慣づけられ、また実際にその状態で力を入れる(漕ぐ)ことが多いわけです。当然、腹筋がより縮む(お腹が丸い状態)ので、それを無理に伸ばすと、引き伸ばされた腹筋が悲鳴を上げる。その、引き伸ばされた状態というのが、、、漕ぐ姿勢から立つ姿勢への変化なわけです。無理に上下に伸ばされた腹筋はその状態(立つこと)に耐えられず、逆に、縮んだ筋肉をさらに縮めてやれば(座る、自転車にまたがる)、お腹はほっとするわけです。おわかりいただけたでしょうか。
もっとも、この方の場合、「それが人生」みたいですから(笑)。一種の「生活習慣病」といえるかも(笑笑)
最後に。こんな内容にもかかわらず、トラバを許可していただいたyukari様にこの場をお借りしてお礼をば。ありがとうございました。