○○の呪い | 尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

1回の時間はかけますが、やることはとことんシンプルに。
笑って良くなる整体院を目指しています。お客さんを通わせない、技術の出し惜しみをしない、楽になってもらいたい、という気持ちを忘れない。そういう思いで、整体をさせていただいています。


ある施術家に、体をほぐしてもらったとき、「背骨の湾曲がなくなってますよ」と言われたことがあります。
私はそれ以来、腰に重さを感じるたびにそのフレーズを思い出してしまいます。

でも、考えたら365日のうち、腰が痛い、重いと感じるのはせいぜいのべ30日くらいなんですよね。
残りの期間は背骨の湾曲が治っていたんでしょうか。

さて、なぜこの話を出したかというと。
最近のお客さんで、首痛および足・臀部痛の方が来られたからなんです。
その人も昔に立てないくらい足が痛くなって病院に通ったとき、原因を聞くと
「昔からの積み重ねでしょう。だから、今は良くなっても、いずれ何年後か何十年後かにまた痛くなりますよ」
といわれたんだって。

今回、痛くなったのは反対の足らしいんだけど。ちゃんとお医者さんの言葉を「覚えている・思い出している」んです。
これを私の友人は「白衣の呪縛、呪い」と表現していました。
現代に「呪い」なんて、とお思いでしょうけれど。

呪いって、自分だけがわかっていても「発動」しないんです。
相手かまたは第三者が納得しないと呪いになりえない。
相手だけが勝手に納得するのも可、です。

私が今、松阪投手を呪っているんだ、と言ったところで誰が納得します?そういうことです。
でも、明日に松阪投手が交通事故で再起不能になったら?第三者のなかで納得する人がでてくるかもしれません。
もし事前に誰かが彼に「君は呪われているらしいよ」と伝えてあれば本人もそう思い込むかもしれません。
これで「正式」に呪いが発動します。

私が誰かにふられた。その際に「これからあなたが誰かを好きになるたびに絶対呪ってやる」と捨て台詞を吐いておけば。
彼女がデートの日にけつまずいてヒールが折れて遅刻した、彼が怒って帰ってしまった。
このときに私のセリフを思い出すかもしれません。この時点で呪いはこれ以降に(次になにかあるたびに)発動します。
イヤナコトがあるたびに私の言葉を思い出す。
現象は一緒でも常に私の言葉に「縛ってしまう」。これが呪いの本質だと思います。でも、、、
彼女が私のことさえ思い出さずに「まあ、いいか」と軽く流したとしたら?


話をまとめなきゃ(汗)。
私たち白衣を着る者は無責任な予言者になってはいけないと思うのですよ。
現に上の例えの「私」も呪う行動はしていないんです。捨て台詞を吐いただけ。これでも受け手次第では呪いが発動するんです。
仮に、正論であっても、それが患者さんの心を縛るような言葉は吐くべきではない。
なんでか?
患者さんを解放するのが目的でお仕事をしているから、です(にっこり)。

追伸 私のケースは「同業者」同士だからいいんです(苦笑)。