真夜中のスピリチュアル整体小噺 | 尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

1回の時間はかけますが、やることはとことんシンプルに。
笑って良くなる整体院を目指しています。お客さんを通わせない、技術の出し惜しみをしない、楽になってもらいたい、という気持ちを忘れない。そういう思いで、整体をさせていただいています。

僕は本が大好きで。
この前も、高速道路の凍結の影響でか地道が大渋滞で、バスで15分でつくところ、1時間もかかってしまったのですが。
温かい車内で、ゆったりたっぷりと本を読むことができてラッキーでした(笑)。

いっつも本を読んでいるので、どの本が、ということではないんですが、読んでいるとその本とは関係ないことがぶわっと浮かんできて頭のなかで一つの文章になっていくことがあります。

ヒーラーさんに限らず、「すごいレベル」のセラピストさんになってくると「ああ、これは治らないな」と直感でわかったり「この人はこちらのエネルギーを拒否してるな」とかがエネルギーレベルでわかったりすることがあるらしいです。
そういうときにはヒーラーさんの側からお断りすることもあるのが、わかっちゃう高い?レベルにある人たち。
(ということがなにかの本を読んでいたときに触発されて思い出したんです)


幸か不幸か、僕にはそれがわかりません。わからないから、なにも知らずに「ご予約をお受けして施術をやる」。いや、わからないから「やることが(手を出すことが)、できる」のでしょうね。
で、やってみたら、「うまくいった!」なわけじゃなくて、結果が伴わないこともある。。。

でも、やることで学んでいるのではないか、って。物理的に「やる」ことで見えない心を表現しているんじゃないか、って。そう思ったりもするんですね。

「ああ、この人は治らない人だな」ということがわかってしまうのと、わからないのと。
わからないから、「良くなるかも」と心を込めて手を出すことができる。自分の見えない心を表に出すチャンスを与えられる。
わかってしまうと「やれない」ということもあると思う。「この人は治らないな・・・」とか「本当はここに来たくなかったんだな」とかわかってしまうと・・・・ね。

だけど、わからないから、「はい、がんばりますっ。きっと楽になりますから」って手を差し出していける部分もある。
それで楽にならなければ、自分が落ち込めばいいけど、やならければ始まらない。。。
また、やっていくことで、僕(たち)は自分の想いを外側に表現させてもらってるんじゃないだろうか。
施術にしてもセラピーにしても「わからない」から、「なんとかしてあげたい」という心が外側に(施術を通して)出せるんじゃないかな、とか。

もしかして、「わからない」って無限の可能性のこと?
そんなことを想ってみたり・・・。





寒くなってきました。
みなさんもお体ご自愛くださいね。