歪みにも存在価値が | 尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

尼崎の矯正しない整体院・かいつう館です(^^)

1回の時間はかけますが、やることはとことんシンプルに。
笑って良くなる整体院を目指しています。お客さんを通わせない、技術の出し惜しみをしない、楽になってもらいたい、という気持ちを忘れない。そういう思いで、整体をさせていただいています。

紹介で来てくださったお客さんからお聞きしたことなんですけど。
腰痛であるサロンさんに行った時に、「どれだけ歪んでいるか」を自分の目でチェックされられて。
「コレだけ歪んでます。これを今から直していきますからね」ということで施術がスタート。
終わってまた自分の目で「ほら、これだけまっすぐなったでしょ」と言われるも、「そうかなあ、そういえばそうかもなあ」と思いつつ終了したらしいです。

で、帰りの車から降りられないくらいに腰が痛くなってたんだそうです。

この因果関係は僕にはわかりませんが。
僕がいつも言ってるのは、「歪みには理由がある」ということなんです。
歪んでいるのは、歪んでいるほうが楽だからです。
なんで楽かという理由もちゃんとあるんです。

問題は、その理由を考慮せずにまっすぐにしちゃうこと。
これをしてしまうとうまく行くときはいいんですが、場合によっては、「その理由」が原因でまた痛くなってきます。

よく使う例ですが、下痢をしてお腹が痛いときには背中が丸くなります。これも歪みです。
「この歪みを取ることで、下痢を治そう」という発想が、なんか変なのはわかっていただけますよね?
むしろ、背中の丸さをとることで腹痛感が増すことも考えられます。

歪み自体は、痛みを庇うために発生してくることが多いみたいなんです。
その歪みをとってしまえば、痛みがむき出しになります。

なので、歪みにとらわれず(いえ、歪みはとてつもないヒントなんです。どこを庇っているか、という)痛みを解消していくこと、が重要課題なんだと思うんですね。

歪みに関連してこんな話も。
またあるお客さんは、
「足の長さが違う」と言われて終わったときに「ほら、揃ってますよ」と言われ。
そういうことが何度かあり、あるとき自分で見てみたらすぐに元の状態に戻った気がしたんですって。
それを伝えてみたら、
「骨はまっすぐになっても今までのクセが筋肉についてるからですね~」といったニュアンスのことを言われたんだそうですよ。
それはそれでちゃんとした説明ではあるんですけど。
そうなると、骨をまっすぐにしようと思ったら、「筋肉」をなんとかしないといけないってことになってきますやんね。
別に足の長さが違ったって、痛くなければとりあえずは良いと思うし、逆に足の長さが揃っても痛みがあれば意味はないのでは?って僕なんかは思うんですが・・・変でしょうか?

なんていっても、お客さんが歪みを直してくれ、というのは究極のところでは「体を楽にしてくれ」ということですよね。
まず、体が楽になるように。が大事なんじゃないのかなあ。

そして、悪寒が体温をあげる前駆症状として、発熱が風邪菌を殺す機能として、咳や鼻水が殺した菌を排泄する作用としてあるように、「歪み」は↑これらと同じように見た目は忌むべきものかも知れないけれど、痛みから体を守ってくれている作用のような、、、気がするんです。

長々と書いたものを読んでいただき、今日もありがとう。