◇好きになるとは何なのか
 
「好き」と一言にとても色々な段階があります。例えば、チョコレートが好きなのと、野球が好きなのと、お母さんが好きなのと、彼氏が好きなのとでは意味合いが変わってきます。
チョコレートが好きなのはその味を欲しているからですね。その甘さを感じたい。なぜその甘さを感じたいのかというと癒されるからとか幸せを感じれるからですね。このように一言で好きと言っても掘り下げてみると理由が違うことがわかってきます。
 
では異性を好きになるとはどういうことか。これは2つ理由があると思います。
1つは繁殖です。人間はどれだけ頭が良くなっても動物の一種であることに変わりはありません。ある程度の年齢に達すると子孫を残せという指令が本能的に出されます。本能なので「私はそんなこと思っていない」というのは関係ありません。心臓は動かそうと思わなくても勝手に動いているのと同じです。勝手に子孫を残さなきゃ、と指令が出るので異性に近付きたくなる。それを私たちは好きになると解釈するわけです。
 
2つ目の理由はエンターテイメントです。彼氏や彼女ができるとデートに行きますよね。デートの行き先はカップルによりますが、遊園地に行ったり映画を見に行ったり、食事に行ったりと1人の時よりも色々な場所に行きます。これがまさにエンターテイメントな訳です。1人だったら絶対に行かなかったような場所や、男性あるいは女性だけでは入れなかった場所に行くことができたりもします。もちろん、場所だけではなくて思想の部分でも学びがあります。全然違う考え方に興味を持つことが「好きになる」ということに繋がります。今の彼氏・彼女はなぜいいのか?と聞かれれば「一緒にいて楽しいから」と答える人が多くいます。これはただ単にゲラゲラ笑うことではなく、『魂が喜んでいる』というのが正確な表現だと思います。「こんな場所あったんだ!」「そんな考え方もあるんだ!」ということに対してウキウキしているのです。そういった状態の時にも「好き」と認識するのでしょう。こういった経験は人生の中でも重要な経験値になります。そういったことを求めているのか偶然そうなるのかは分かりませんが、結果的に異性と付き合うとエンターテイメント性が発生し、その先には気付きと経験があるのです。
 
 
◇浮気して当たり前
 
このように、動物的な繁殖と人間的なエンターテイメント性という異なった2つが組み合わさって「あの人が好き!」と感じるようです。そう考えると同じ異性とずっと一緒に過ごすことは無理な話なのです。
繁殖という面では、子供ができるとオスもメスもお互いに必要なくなります。オスはより多くの子孫を残したいので他のメスを探したくなります。メスの場合は、子育てに集中するのでオスはいらないわけです。ということで、子供がある程度に成長すると家族は解散します。エンターテイメントの面でもやはり、男性も女性もお互いに飽きてきます。どれだけ好きな映画でも何十回も見ていればさすがに飽きてきます。たまには他の映画も見てみたいし、ジャンルも変えてみたいですよね。さらに、付き合っている異性から得ることのできる気付きや経験が少ない場合、気持ちが冷めてしまうのも速いでしょう。
ということで、付き合っていようが夫婦関係であろうが、他の異性に惹かれることはごく自然なことです。もちろん長期間円満でいれるカップルもいます。それは、お互いに、あるいは片方の精神レベルが高くて学ぶことが沢山あるのでしょう。あるいはソウルメイトの可能性も考えられます。しかし、人生で初めて付き合った人が以上に精神性の高い人であったり、ソウルメイトである場合はごく稀です。それよりも、いろんな人と色々なことを経験していく方が自然でしょう。
 
本来は、付き合っている人がいながらも別の異性に惹かれることに対して罪悪感など持つ必要はありません。それに対して罪悪感を抱くのであれば、お腹が空くことや眠ることに対して罪悪感を覚えるのと同じことだと思います。一方で、今の社会では浮気はダメなこととして捉えられているし、不倫(配偶者がいながら他の異性と恋愛関係を持つこと)に至っては違法行為です。生命として自然な行為に対して社会はそれを禁止している。これはしんどいですよね。
 
 
◇自分の人生は自分だけのもの
 
世界中の人々が浮気は罪なんかじゃないんだと気付いた時、それは新人類の誕生を意味するでしょう。ある意味で人が乗り越えなければいけない壁であり、人として次のステップにつながるポイントでもあるのです。
物事には本質という隠れた重要な智慧があります。浮気にもその本質があって、その本質が人類にとって非常に重要だからこそ、逆に乗り越えなければいけない試練として存在しているのでしょう。では浮気に隠された本質とは何か?それは「自分の人生は自分だけのもの」ということです。
 
彼氏や彼女、旦那や妻が浮気をしているのを知ると普通は激怒します。裏切られた、捨てられたなどを思うわけです。そもそもなぜこうなってしまうのでしょうか?それは無意識でパートナーを所有物として扱っているからです。あなたが持っているカバンや靴とか車とか家と同じです。その物品の中に彼氏や彼女、旦那や妻も入っています。
例えば、自分の車を勝手に他人に使われたらイヤですよね。もし、自分の車が意思を持っていて「僕はこの人に使われても構わないよ〜」と思っていてもイヤですよね。それは私のだからです。大金を出して購入した、苦労して自分のものにした物なのになんで勝手に使ってるんだ、となるわけです。それはパートナーも例がではありません。結婚指輪や婚姻届はまさにその証拠ですね。私の物だというマーキングを指輪や書類で行なっているのです。愛が支配に変わってしまうのです。
 
自分の所有している物は自分の好きに使えますよね。そうなると、人であり生命である自分のパートナーでさえ、自分の思い通りにしようとしてしまいます。私の、俺の物なんだからずっと私の物だ。ずっと隣にいろ=浮気(所有権を失う)なんて許さ(れ)ない、と… これは冷静に考えてみるととんでもないことです。パートナーの人生を自分の物にしているからです。自分の人生は自分の物であり、自分だけに何をどうするか決める選択権があります。しかし、それを無視してしまうのが結婚なんですね。さらに複雑なのは結婚をするとお互いの選択権を交換しようとします。旦那の選択権を妻が持ち、妻の選択権を旦那が持っている状態になるのです。旦那や妻はお互いに浮気しちゃダメだぞ、と自分の人生ではなくパートナーの人生の決定をお互いに行なっている。旦那の選択権が妻に、妻の選択権が旦那に移っています。人間はこういう物事をややこしくするのが得意な生物なんですね。
 
 
浮気の本質には『人生とは誰のモノ?』という問いがあるように思えます。これは人にとって非常に重要なことですね。毎日が忙しかったり、感じた感情そのままに生きているとわからないことですが、いつかは気付くことだと思います。結婚や浮気に対する考え方にも重要なメッセージが隠れています。日々が学びですね。
 
 
 

【KAITON’S コラム記事】

 

 

KAITON (フリーライター)

高校で人生最大の絶望を経験。それをきっかけに視野が広がり始める。世界を知る中で、現代社会の限界に気づき、精神世界に人生の本質を感じる。一度は就職活動をするものの、また新たなるチャレンジ、内定を辞退し、本当の自分の人生を歩み始める。

コラム発信への想いは、こちらにて紹介しています。

 

 

【関連記事】

人生の法則

辛い出来事に対しての向き合い方