わたしは典型的なADHDだ
1歳過ぎのときわたしをみた小児科の医師が
母に、この子は育てにくいと言ったそうだ
周りからわたしは浮いていると核心したのは小学校
皆と遊べない
興味の対象が人と違う
人のいう事が理解できない
人が出来ることがわたしにはできない
とうぜん、なにをやらしてもだめ
でも、作文などや、俳句がわたしはうまかった
それだけは周りから秀でていた
ADHDの人はユニークだと好かれる人もいるのだろうが
わたしは排除された
無視からはじまり、いじめにあった
理由
かわっているから
へんな奴
口には出せない言葉の数々
みんなと同じにならなければずっとこのままだ
わたしは無理をした
わたしを助けてくれた子たちに必死にあわせた
誕生日会のプレゼントになにを渡したらいいのかわからない
本を渡したら呆然とされた
皆キャラクター者を渡していたから
しんどい
人に合わせて生きるのが辛い
なにがそんなに楽しいのかわからない
わたしの好きなことは本を読んだり野山や海で一人で遊ぶことだ
街に出て小物や服なんかみたくない
大人になったら落ち着いてきたが
わたしはADHDを抱えていきている
症状は軽いものらしいが
やっぱり生きにくい
じっとできない
人のはなしが理解しにくく、きけない
落ち着きがない
掃除なんてしようものなら大変なことになる
落ち着かせてひとつひとつクリアしていくのだ
当たり前の事が普通にできないのだ
いっつもそわそわ注意が定まらない
よく、社会生活できたと思う
でもADHDと躁鬱をあわせもっていながらも
生き延びれたことが
わたしの自慢でもある
これからも死の誘惑に負けないように
生きていきたいと思う