夢の中にて、僕は沼の側にたち、沼の中に居を構えている


大学の後輩と差し向かい、話をしている。


「こいつだよ、こいつクックと名づけてやってくれ。」


後輩は迷惑そうな顔をして言う。


「なんでクックなんですか、ただのカエルでしょう。」


くわあ、なんじゃこりゃあ、足元に一匹のカエルが鎮座。


どす黒くてかりながら、切なそうにこちらを見ている。


僕は続ける。


「わかった、じゃあキングだ、キング。王様。」


「そんなことをして何になるんですか?」


いい質問だ。僕は続ける。


「キングを飼う。養殖する。この沼なら簡単よ。丸儲けじゃないか。」


「いやです。そんな仕事。金持ちになったって。」


「うはあ仕事に上も下もなかろう。ほれ、やってみ。」


生産性のかけらもない押し問答は続く。


やがて夢はゆっくりと消える。



寝る前に見た「おくりびと」の影響だろうか。


映画内における広末涼子の良妻っぷりったらなかった。


アイデン&ティティの麻生久美子にも匹敵する賢母っぷりだ。


目が覚めると、静謐な土曜日が室内をただよっている。


何をしようかと逡巡して、まだここにいる。


六時半、新宿。いざゆかん。

商店街の一角に昔ながらのダンボール詰めのまま


野菜を売っている昔ながらの八百屋がある。


そのお店には、一匹の飼い犬がいて、


いつも店番、のつもりか知らんが店の前に鎮座している。


今日もその犬は道路の中央からやや左側に所在を構え、


世の無常を達観していたわけだけど、


そこに一台の車が差し掛かった。


逃げたまえ、犬君。そこは危ないよ。


と思っておると、当然のように犬は微動だにせず、


車が右に寄りつつ、自然に通過していった。


犬一匹を車が避けた、という事実。


なぜか心がすっとした。

ひとつ、問題を羅列した際に際立って存在感を


放ち続けるのは俗に言う生活リズムの乱れたる


聞きなれた語感を伴うそれであって、


一体どうゆうことじゃいって言うとこういうこと。


会社が終わって、帰路に着く。


電車の中では虚脱していて風景が四方を流れていくのを


見向きもせずに本を読んだり音楽聞いたり、


非常にもったいない事をしながら家に着く着く7時半。


そこから仮にご飯、まんまを炊いたとすると、


できあがるのが八時、食すのにゆっくり時間をかけたとして


時刻は九時。そこから家事洗濯諸々の雑事をこなしていると


あっという間に短針が頂点に上り詰めそうになって、


慌てて就寝。翌朝意識をもうろうとさせながら、


出社におもむくこの生活リズム。ね。問題ありげでしょ。


だから僕は決めたよ。そう決定した。


苦渋、泣く泣くの決断だけどね、こうするしかないの。


そう、外食する。すると、くわあ、今度は栄養の偏り、


たるこれまた聞き飽きた響きの次なる問題が出来して、


こらあどうにもなりまへんわ、と世界に絶望した後、


いつもより少し早めに快眠ベッドへと滑り込んだ。