「ペーパームーン資料室Ⅳ」。この「会報VOL.24」では、真梨子さんの10枚目となるオリジナルアルバム「MELLOW LIPS」中心に、真梨子さんのライブ活動が綴られています。

 当時の真梨子さんの全国ツアーは、最高潮に沸騰していたことが分かります。1984年、「桃色吐息」で、大ブレークした真梨子さんは、年々、公演回数を増やしていったのです。

 1985年の「triad」コンサートでは、全国主要都市80か所を巡り、1986年の「MELLOW LIPS」コンサートでは、全国90か所で公演したとか。単純計算で4日に1回、ステージに立っている勘定です。

 真梨子さんは、1981年の「Tenderness」「LOVENDOW」コンサートツアーでは、全国50か所、翌1982年は、「Dear」「AFTER HOURS」で、60か所、そして、1983年の「我蘭憧」コンサートでは、70か所と云った具合で、年々10か所の割合で公演回数が増加しています。如何に真梨子さんが、ライブ活動に重きを置いているかの証左だと思います。

 「桃色吐息」と云うシングルヒットで、真梨子さんは、「シングルもアルバムも売れる」歌手になったのです。全国各地から、真梨子コンサート開催のオファーが絶えなかったことでしょう。

 「MELLOW LIPS」云う、真梨子さんの記念すべき10作目のオリジナルアルバムは、「桃色吐息」の余韻覚めやらぬ、1985年にリリースされました。

 真梨子さんのアルバムは割と、無国籍テイストなものが多いのですが、このアルバムに限っては、アメリカ合衆国を前面に出した作りになっている様な気がします。

 ニューヨークと云う都市に対する、真梨子さんの特別な思いも相俟って、出来上がったアルバムだったかも知れません。

 「MELLOW LIPS」には、多くの名曲が収められています。シングルにもなった、ラブバラードの傑作「ジュン」、ファンの間で人気の高「迷い鳩のように」、そして、真梨子さんのニューヨーク愛を歌い上げた「New York, New York」。

 「迷い鳩のように」は、真梨子さんの詞で、アンカレッジに迷い込んだ伝書鳩に託して、大人の女性の恋心を切なく歌い上げています。

 余談ですが、当時は、航空機の航続距離の関係で、アンカレッジは重要な中継基地でした。「迷い鳩のように」は、その寒々としたアンカレッジの情景が浮かぶ佳作だと思います。

 ちなみに、小生は、「MELLOW LIPS」収録曲では、「ストライプ」に胸揺さぶられます。愛すればこそ、最愛の彼氏に最後通牒を突きつける、大人の女性の覚悟に涙を禁じ得ません。大人の心に刺さる、真梨子ワールドの傑作のひとつだと思います。

 記事の最後には、1999年?に亡くなった、ご母堂千鶴子さんと、愛娘である真梨子さんの絆が綴られています。

 真梨子さんの両親は、彼女が2歳の頃に離婚し、真梨子さんは、15歳の年に大好きだった父月夫さんを亡くしたとか。千鶴子さんは、女手ひとつで真梨子さんを育てますが、母の恋愛模様が娘を悩ませたとか。しかし、真梨子さんも年を重ねて母と和解出来たと云います。