この物語の謎は、ボッテイチェリの遺作が次々に贋作にされてしまうところにあります。その犯行の首謀者こそがサヴォナローラです。

 そうです。あのドミニコ派の修道士です。彼は、1482年にフィレンツェのサン・マルコ修道院に転任しました。これは、当時、フィレンツェの実質的支配者だった、ロレンツイオ・メデイチの招きによるものだったとも云います。

 サヴォナローラは、ローマ教皇の世俗化やメデイチ家によるフィレンツェ独裁を厳しく糾弾し、市中の不満分子の支持も得て、遂には、フィレンツェからメデイチ一族の追放に成功します。

 しかし、彼の厳格な神権政治は、ローマ教皇から破門と云う憂き目にあい、市民の支持も次第に喪われていきました。フィレンツェ当局は、遂には、かれを拘束し、絞首刑の上、異端者として火炙りの刑に処したのです。

 そのサヴォナローラが今、時の犯罪者となって、ボッテイチェリ作品を贋作にして回っているのです。

 霜根田鶴、いや、シモネッタが向かった先は、丸紅ギャラリーでした。そこには、ボッテイチェリの筆になる、シモネッタ自身の肖像画が所蔵されています。日本にある唯一のボッティチェリ作品として、1969年に英国から輸入して以来53年間、丸紅が所蔵してきました。

 丸紅ギャラリーは、地下鉄東西線竹橋駅下車徒歩2分です。ちょうど、その「美しきシモネッタ」の特別展が開催されていたのです。

 「遅かったわ」。田鶴の中のシモネッタが彼女に云いました。「どうして?」。田鶴は、自分の中のシモネッタに問いました。

 「あれは、私じゃないわ」。シモネッタは、肖像画に描かれた人間の魂が宿るのだと云います。「この絵の中に私の心は宿っていないわ」。

 シモネッタの想いは、田鶴の思いでもあります。田鶴も、シモネッタが贋作だと指摘する絵画に全くと云ってシンパシーを感じることはありませんでした。

 「でも、なぜ、その修道士は、あなた、いや、私の肖像を贋作にしたの?」。田鶴の問いに、シモネッタは、「それは・・」と暫し躊躇します。

 「それは、彼が私を殺したからよ」。「ええ!!」。田鶴の悲鳴に、周囲の目が集まりました。田鶴は、恥ずかしさに頬を染めながら、その場を去りました。

 「私の死因は、肺結核と伝わっていますが、実は、あの修道士に殺されたのよ」。シモネッタは、あらためて、田鶴に告げました。田鶴の頭の中は大混乱です。

 田鶴は、なぜ、サヴオナローラは、シモネッタを殺さねばならなかったのかと考えています。そして、それこそが、彼が、ボッテイチェリ作「美しきシモネッタ」を贋作に変えた最大の理由だと思い当ったのです。「そうよ」。シモネッタは云います。「あの修道士は、絵画に宿った魂を力に変えて、己の権力を取り戻そうとしているの」。