2024年2月3日(土)。誕生日なので、外で昼食をと思って家を出ました。軽くゴルフの練習をして、吉野家で昼食を摂って、マルイで晩酌の肴を仕入れる心積もりでした。

 ところが、駅に向かって2分と歩かぬ中に忘れ物に気付きました。吉野家の株主優待券です。取りに戻ろうかとも思ったのですが、面倒になって、外での昼食も晩酌の肴も断念しました。

 これが運の尽きだったのか、ゴルフの調子もイマイチです。復活したはずのUTの具合が、どうにも良くありません。半年くらい前までは不動の4番バッターだったのですが、何故か突然当たらなくなってしまいました。以来、試行錯誤を続けていますが、どうもパットしません。レッスンプロのコーチを受けて、その場では良くなるのですが、すぐに元の木阿弥です。この長いトンネルを抜けるには今少し時間が掛りそうです。

 昼食は、昨日同様、マルちゃん製麺に肉野菜炒めを載せた醤油タンメン風を頂きました。昨日は、豚バラを使ったのですが、今日は、もも肉が安かったので、これとミックス野菜を炒めました。食感的には、豚バラの方が美味しかった印象です。ちなみに、晩酌の肴は「キンメダイの刺身」398円で我慢です。

 真梨子さんの有料サイト「高橋真梨子 大辞典」の掲示板で「思い出のコンサート」の投稿を募っています。小生も、もうデイナーショー含めて、何百回と真梨子さんのコンサートに足を運んでいますが、意外に、これと云う、思い出のコンサートがありません。どのコンサートも、それはもう素晴らしいもので、甲乙つけ難いところかも知れません。

 真梨子さんコンサートに様々、思い出はあるのですが、ひとつ挙げるとするなら、1984年7月20日の神奈川県藤沢市民会館でのステージです。

 「MARIKO TAKAHASHI CONCERT VOL.8 我欄憧」コンサート。当時、小生は、仕事の関係で、神奈川県平塚市で暮らしていました。平塚に在る1年ほどは、真梨子さんに逢えないと思っていたのですが、偶々隣接する藤沢市でコンサートがあり、当時愛用の400CCバイクで駆け付けました。

 コンサートも大詰め、アンコールのシテージで、なんと、あの真梨子さんが「桃色吐息」を応援して欲しいと訴えたのです。「もうちょっとです」。「シングルの売れない高橋真梨子」と自虐ネタで笑いを誘っていた真梨子さんが、「桃色吐息」買ってと愁訴したのです。

 後にも先にも、真梨子さんが、自分の曲にセールストークをしたのは、これが最初で最後ではないでしょうか。ソロデビューから6年、シングルヒットに恵まれなかった真梨子さんの悲壮感が澎湃とファンの胸に響いた一コマでした。

 真梨子さんの想いが実り、「桃色吐息」は大ヒットし、NHK紅白出場も果たしたことは周知の通りです。ちなみに、翌年の渋谷公会堂でのコンサートでは、ダフ屋が露われるほど、真梨子さんは全国区になっていました。

 真梨子コンサートを空振り?した記憶も幾度かあります。1回目は、東京赤坂草月ホール「Monologue」。2度目は新宿厚生年金会館「Sweet Journey」だったでしょうか。