1、漁婦の後姿に見えるもの


ざぶんざぶんと小波が打ち寄せる冬の浜辺で、体を九の字に曲げながら、ひたすら貝を海水で洗う漁婦の後姿。その背には真冬の冷たい夕陽が当たっている。沖には漁を終え、港に向かう小さな漁船の姿。それはだれが見ても、真冬の有明海ののどかな風景であるのだが…。


その写真は、甲斐さんのインタビューが載ったという佐賀新聞のホームページに見つけた。「有明海・干潟をみつめて」という写真連載記事に掲載されていたその写真には、撮影者のコメントが短く掲載されていた。


“「近くでとれた貝を洗っていると思ったけど、岡山県から仕入れたものだと聞き、なんだか寂しくなって」。干拓事業問題で環境も大きく変化。有明海に携わる人たちの苦労が少しでも表現できればと女性の背中に思いをにじませた。”


漁婦が洗っていたのはアサリだったのだろうか。しかし、それは地元の海でとれたものではなかった!干拓事業の影響で海流の流れに変化があり、貝が取れなくなった。そのために漁で生計を立てる漁婦はやむなく岡山県から貝を仕入れ、有明産として売りに出すことをはじめたのかも知れない。当然のこと、海の水で洗ったくらいでは有明海とその貝との関係は生まれない。それは言ってみれば、漁婦の気休めに過ぎない。おそらく一抹の良心の呵責を感じながら、「少しでも有明の海の水に馴染んでくれよ」とでも貝に言い聞かせるように、ざぶざぶと海水で一心に貝を洗っていたのだろう。身をかがめるその後姿が、なぜかいじらしく感じられる。これも悪徳な食品偽装と言えるのだろうか・・、そんな思いが胸をよぎった。



2、農山漁村は地域まるごと食空間


食全集を紐解くと、どの県の本でも必ずめくるページがある。取材場所の地域ごとに、「農林漁業とたべものの」について、聞書きした家の屋敷まわりや近くの田畑や山川、海などの農山漁村空間を絵で描いた見開きページである。そこには、屋敷まわりに植えられた食べられる野草や実のなる木、鶏などの家畜、自給畑で取れる様々な野菜や田んぼの米や畦豆、川魚の数々や山でとれる山菜やきのこ類、獣肉の数々、海で取れる様々な魚貝類や海藻など、本当に豊かな食いものの数々が様々に書き込まれている。以前、結城登美雄さんが宮城県北上町で食材の調査をした折、現地の人たちが「ここは何もない町だ」と言っていたのに、母ちゃんたちが一年間に栽培したり、採取したりする食材を集めてみたら350にもなったという驚きを語っていたが、大抵の村では似たりよったり、この絵のように生活空間の内外に様々な食いものをたくさん確保していたのだ。


しかし、この豊かな食材を生む農村空間は、とりわけ昭和40年代以降に加速化した農業や生活の近代化の中で、少しずつ姿を消しつつあった。典型的なのが田んぼ空間。構造改善事業で区画整理が行われ、機械が入りやすいように直線的な畦が出来上がった。田んぼは効率よく稲を育てる場所となり、畦まめのような「邪魔なもの」はいつの間にか植えられなくなった。田んぼ脇の小川もU字講が埋め込まれ、ドジョウやコイ、フナ、タニシなどの姿が減り、農薬の影響もあり、ホタルの幼虫の餌になるカワニナの姿も見えなくなった。当然のこと夏のホタルの姿も・・・。



3、個性的な食空間を引き継ぐために


近年、「食育」や「地産地消」が叫ばれ、企画からすると20年かけてコツコツと編纂されてきた食全集の世界が、その原点として大きな注目を浴びるようになってきた。そこには、地域の自然が生み出した四季折々の素材を、調理し、加工し、あるいは保存して使った食事づくりの知恵と技が暮らしとともに描かれており、地域の個性的な自然と人間の労働が織り成す、地域地域の個性的な食空間が現出している。


しかしながら、その食の個性的な空間を支える、地域の自然空間が大きなダメージを受けている。先の構造改善事業しかり、河川工事しかり、植林しかり、海の公共事業しかり。そのすべてが、産業振興や地域保全の名のもとに行われてきた。その結末が、先の有明海の漁婦の後姿となる。だから、「食育」を言うならば、まずはあの漁婦の後姿の寂しさを繰り返させてはならない。地域地域の個性的な自然の姿をもっと大切に守り、引き継いでいかねばならない。そして、地域の自然を繰り返し、繰り返し手入れし、家産として引き継いでいく農林漁家の営みを守っていかねばならない。


時あたかも、豊かな田園環境を再生する取り組みや田んぼの生きもの調査に見る「豊かさ」の指標見直し、河川における多自然型工法の採用、林業分野では山の多面的な生産力に注目した山業・森業の動き、漁業における東京湾再生など豊かな海づくりの動きなど、地域の個性的な自然を再生し、守る動きも少しずつだが施策化されてきた。これらは本来、山-川-田畑-海という水循環の中で手を取り合っていくべき動きである。


食全集のあの屋敷まわりの絵に見るように、それぞれの空間を一つにつないでいく要になるのが、地域地域の個性的な「食」なのではないだろうか。先日の研修を終え、そんなことを思う今日この頃である。