帰り道 |   Life-size

  Life-size

          
~ありのままで~

 
大会帰りにちょっと立ち寄りました。
 
 

 

 

いい感じな空気。

 

昔、大学のころ

走り屋が集まるところにともといったり、1人でよく行ってたなー。

 

テンション上がりました!

 

 

 

 

日光サーキットの決勝のギャラリーよりw

 

 

 

80。

 

80スープラです。

 

あと残りは省略して、数字だけある場合はそういう名称で車詳しい人はそんな

感じでよくいいます。

 

35

 

 

僕が、RCを買うとき最後まで迷ったのが、35でした。

 

かっこいいよね。

 

僕のVR号、S15まさにこのエンジン。

まあほぼゼロ走行で、エンジン全損しましたが。

 

 

 

これはたぶんニスモチューンで2000はします。

 

34

 

GTRなら、こいつも2000万レベル。

 

70.

 

めったにみなくなりました。

 

僕が浪人のときに確かデビュー。

親戚のイケメンお兄さんがこの70のワインレッドを

乗ってきて、かっけーーーと思ったなあ。

 

 

こいつも久しぶりに見た。

XXです。

 

 

この話も生まれて初めてします。

 

 

実は、私はなりたい職業が中1のときに、

ありました。

 

カーデザイナーです。

 

 

授業中、暇なとき、車の絵を描いていました。

 

僕が、中2で豊橋に引っ越した来て、

4月に、車の絵を自分のオリジナル作品を描いていた。

 

その絵を描いた後、その年に

 

このXXがデビューした。

 

そっくり、本当に横からまったく同じだった。

 

言っても誰も信じないだろうから、

誰にも言わず、

 

今初めて伝えます。

 

カーデザイナーになりたかったこともほとんど

誰にも伝えていません。

 

ほんとうにびっくりしました。

 

 

 

 

衝撃、100、このオープンカー生まれて初めて

見ました。

 

ワンオフで作ったんでしょうね。

 

 

 

240かS30か、

 

小学校1年のとき、大好きでした。

 

小学校1年で、あと好きだったのが、

 

後、シボレーコルベットスティングレイ。(周り誰も知らんけどね。)

 

これが小学校1年のとき大好きでした。

 

 

父が小1のときに初代セリカ1600GTを買った。

 

それも好きでした。

それを40年くらい乗ってました。

 

僕が起業する前、ポルシェを売って、

車がゼロになった2年弱、この車を借りて

物件探し。

そこから開拓塾が始まり、

開拓塾南校にに毎日通ってました。

 

ブレーキが全くきかず、

 

国道1号で、ブレーキ音をキーーと鳴らして

なんとか止まったりすること、何度もしました。

 

車ゼロからのスタートでした。

 

 

 

 

 

なんじゃこれ?

 

すごかったです。

 

 

一人で4人集まってるところに迷わず

突っ込んで、いろいろ話を聞きました。

 

 

 

 

マスタング、当時はムスタングと言ってました。

 

 

写真ではわかりづらいですが、

見たことがない太さです。

 

オーナーの人も、タイやサイズわからんと。タイヤ表示もされてなくて。

 

少なくともアヴェンタより太いということです。355以上はあること確定と言われました。

 



鬼の深リム。

 




初代ソアラ。

これは父の友達がいきなり新車買って

うちに遊びにきた。



乗せて!と言って乗せてもらいました。


衝撃でした。





FCのカブリオレ。


これも当時憧れてたなあ。



かっこいいなー!


乗りたいなー!



そんな少年でした。




こういう場所に来ることもゼロでした。



学生のころ、

上にも書いたけど、


1人で峠飛ばして、

走り屋が集まるところで

いろいろやってたなあ。


麻雀やりまくり、

ナンパしまくり、


あとは峠。


峠は1人で行くことが多かった。


飛ばしたいだけ飛ばせるから。


死ぬなら1人で。

的なのもあったしね。


たまに、友達を横に乗せて

ぶっ飛ばしてました。


23でポルシェ買って、


下道で次長や広田を乗せて

230キロかそこら

飛ばしてました。


めちゃくちゃです。


峠ではないですけどね。

もちろん。

直線長くないと無理なので。

浜名バイパスとか。



血が騒いだー。




大会で疲れまくって

負けもひきずって

朝から決勝最後まで

見て、


ここに1時間以上軽くいました。



楽しかったー。




 

 

 そういうことで、

帰りは、

新幹線をやめて

真生君を横浜まで送って、

帰ってきました。

 

 

朝から決勝の日光サーキット。

 

サーキット出たのは、午後4時すぎ。

 

自宅に着いたのは深夜2:30です。

 

めちゃハードでした。



車、なぜかわからんが


本当に大好きだということを

この日に感じました。



金持ちとして見せつけるため

とかではなく

純粋に大好きです。


いろいろな車が欲しくなります。



こういう古いスポーツかーから

最高急スポーツカー、

オープンカー、


いろいろですね。

















最後にプロカメラマンから頂いた

写真。



ドリフトは間違いなく

僕の人生の一部。



車は幼い時から

ずっとずっと大好きなまま。



車は僕の人生です。



元気である限り、

一生好きさは変わることはありえないです。