『春と修羅』序アラカルト(2)
                        『春と修羅』出版100年記念

 

 

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埼玉大学紀要 第25巻(1976)
   宮沢賢治の作品に見られる時間と空間
                ー修羅と天ー     萩原昌好

 

『宗教詩人 宮澤賢治』1996年10月
宗教詩人 宮澤賢治   
   大乗仏教にもとづく世界観   丹治昭義

 

山梨大学国語・国文と国語教育 第十三号二〇〇六年八月
    春と修羅研究 1     柏木 恵

 

 

 

埼玉大学紀要 第25巻(1976)
 宮沢賢治の作品に見られる時間と空間
              ー修羅と天ー        萩原昌好


(略)。佐藤勝治氏は、『宮沢賢治入門』において、『春と修羅』序詩の詳細な検討を試みておられる。これも、自分の序詩解釈に抵触することになる。それについては後に詳しく論ずることにする。ただ、佐藤氏が昭和二十三年という時期に既に序詩に取り組まれておられたことの意義は大きいといわねばならない。(略)。
 さて、序詞の解釈について論ずることにする。序詞の解釈は佐藤勝治氏ばかりでなく、山本太郎氏や梅原猛氏福島章氏等によっても試みられている。
 然しながら、それは語句の解釈にまで至るものとは言えず、その点で最も細かな論はやはり佐藤氏のものを措いては無いようである。さたがって、ここでは、佐藤氏の語句解釈と私の捉え方の違いを通して、諸氏の論とからませて行きたいと想う。まず序詩の第一連と第二連を挙げる。

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの靑い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの靑い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

 これが『春と修羅』序詩の第一、第二連である。但しこのような区切り方は便宜的なものである。先ず全体の解釈を通さなくてはこの序詩の構成を見ることは不可能なので、今そうするのである。佐藤氏は語句ごとに解釈されているが、私は、文の単位で考慮するのが正しいと思われるので、以下そのように行う。
 最初の「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」とはどういう意味であろうか。
 「わたくし」について佐藤氏は「作者宮沢賢治であると同時に、人間一般」であるとされる。また「現象」とは例えば花とわたくしたちの心とが接触して生まれ出た、「新しいあるもの」であり、「現象とはすなわち心象であります。」と言われる。「わたくしといふ現象」については結論的には佐藤氏の見解と異なるところは無い。ここでは「わたしは」でなく「わたくしといふ現象は」という表現に注目したい。
 この三行で、佐藤氏と私の解釈の相違は、「私という現象」がどこにかかって行くかということであろう。
 佐藤氏は「わたくし(といふ現象」は即ち因果交流電燈(または有機交流電燈)であるとされる。しかし、そこには無理があると思う。「わたくしといふ現象」は「青い照明」でなくてはならない。因果交流電燈または有機交流電燈によって映された「照明」(比喩的に言えば光として与えられた集合体)というべきものであろう。というのは、もし「わたくし」または「風景やみんな」が有機交流電燈だとすると、それぞれが光を放つことになる。「風景やみんなといっしょに/せわしくせわしく明滅する/」のは、それらが一個の光源によって投影されているからではなかろうか。「光源」として「在る」のではなく「光源によって仮定された現象」として「在る」ということなのである。
 それならば、「因果交流電燈(有機交流電燈でもよい。以下この区別をしない)とは何か。それは、佐藤氏自身が示された「五輪峠」の次の詩句が明確に証しているのである。(略)。
 これからも理解されるように、詩「五輪峠」はいわゆる五大(地水火風空)を「むかしの印度の科学だな」と呟き「心といふのもこれだといふいまだって変わらないな」と納得しつつ上の言葉となって表象されて行くのであり、「世界は畢竟ただ因縁があるだけ」という「因縁」というもの一つに帰結点が有るのである。
 而して「因縁」にはそれ自体実体がない。「もの」や「こと」の生成し住し消滅するその「あらわれ」の内に因縁があるわけである。それが「世界・人・心・霊・風・水・塵・エネルギー・わたくし・村の子供・岩」等々その質も形も進度も位置も時間もすべては、異なるにもかかわらず、というより異なるがゆえに「因縁」という同一の機能点 に収束されるわけである。
 小野隆祥氏は「単体の歴史」や、「五輪峠」の「真空異相」という言葉を用いておられる。私は、その言葉の意味を確かめていないが、詩「五輪峠」は主題と言うべきものが、まさに真空の異相であることはまぎれもないと思う。
 したがって、賢治は、自身及び世界は、「因縁」によって投影されたものと見ているわけでそれは、我々の世界観によれば「青い照明」即ち「ひかり」なのだが、その次元を離れれば、「かげ」にもなり得るゆえに、「わたくしといふ現象」は「仮定された有機交流電燈」の「青い照明」だと規定づけているのである。なぜ有機交流電燈は仮定されねばならないのか。それは、それ自体その存続を確かめ得ないものだからであり、「所感となっては/気相は風液相は水/固相は核の塵とする/そして運動のエネルギーと熱と電気は火にいれる。/それからそれもわたしもだ」(「五輪峠」)という「所感による外に確かめ得ないものだからである。
 以上の如く賢治という「わたくし」もみんなも同一の光源に(因縁即ち「因」による「縁」の派生、そこに生ずる果としての「ものや「こと)を考えれば、光源は「因果の法則」に相当するものと思われる)によって「ひかり」を与えられているわけで、「ひかり」のあたり方の差異が「わたくし」と他とを区別していると認識されるのである。ただ「わたくし」がなぜ「青い照明」なのか、それはもう少し検討する余地がありそうである。「青い」というのは、賢治の修羅意識と必然的に結ばれる筈であり、「いかりの青さ」(詩『春と修羅』の「青さ」とも「私の世界に黒い川がが速やかに流れ、沢山の死人と青い生きた人とが流れに下って行きます」の「青さ)とも取れる。賢治は「青い照明」の「青」を何気なく使っているかも知れないが、この「青は」「人間の世界の修羅の成仏」を希った賢治の意識をもう少し深く指していると思われ、掘り下げる必要のあることを認めざるを得ない。佐藤氏の「この詩の作者宮沢賢治は、色で言えば青であります。青はどのような人柄を象徴するかは読者の判断にまかせます。」という言葉にもこころ惹かれるものがある。
 次に「(あらゆる透明な幽霊の複合体」)について考えてみる。これは「わたくしといふ現象」があらゆる幽霊の共存する複合体である、というのであろう。先に出した手紙にも「沢山の死人と・・・(略)。」」・・・私は「幽霊」という言葉に欺かれてはいけないと思う。上は天から下は地獄までの目に見えぬーー私たちにはーー「生物」の群れを「幽霊」と言っているのである。佐藤氏は「流転する万物は元来一であって、それが諸々の因縁で多方面にあらわれて来るのだとわかりました。その「一なるもの」とは何でありましょうか。それが「透明な幽霊」であり「意識」であります。ヘーゲルは絶対精神といいました。それは実は、「ものともいえず、こころとも言えない」「透明な幽霊」であります」と述べておられる。佐藤氏の言は「諸々の因縁で多方面にあらわれてくるもの」という意味において正しい。但、私の場合、現実に賢治という人物によって知覚され、実在化されている「生物」それ自体、「意識」という域にとどまらず、確実な形をもって賢治と共存し、明滅しているのだということを強調したいのである。「あらゆる」とはそういう意味であり、かつ賢治自身も、視点を変えれば「幽霊」となり得るような形で複合しているということである。その時、賢治自身もまた透明体にならざるを得ないであろう。
 もう二つほど細かな解釈上問題になる点がある。それは「せはしくせはしく明滅しながら」という部分と「ひかりはたもち その電燈は失はれ」という点についての解釈上の差異である。
 「せはしくせはしく明滅しながら」というのが、倶舎論の刹那滅の思想によるものであることは前稿でも触れたので繰り返すのは避けたい。ただ、賢治が何ゆえに法華経以外にこのような論を持ち込んだのか、という疑念が生ずると思う。それは、妹トシさんの死をめぐって、賢治に輪廻転生に対する自覚が強まった結果であると判断している。既に小野隆祥氏がこの点に早く着目しておられ、私の考えもこれに近いのであるが、小野氏の、トシさんの死に対する「彼の傷心は妹の死後の過程を突き詰めなければ癒やされない性質のものであった。賢治自身の解脱の問題でなかったから大乗経典は法華経を含めて失格であり、アビダルマ仏教・小乗仏教的理論のみが問題解明の光を与えたといえる。(「青森挽歌」とヘッケル博士、『啄木と賢治』1976年新春号」)傍点の部分は言い過ぎのように思える。というのは、大乗仏教の教学は、小野氏の言われるアビダルマ仏教等小乗仏教的理論を基礎として成り立っているのであり、就中日蓮宗においても、天台教学をその基骨とする点からすれば、言うまでもなくそれらいわゆる小乗仏教的理論(この小乗仏教という言葉は好きでない)を包含するのである。
 また解脱に関してならば、悉皆成仏という言葉があり賢治の解脱は妹トシさんの解脱でもあるので、解脱という点では問題はなかったはずである。
 然るにそうした問題点を含みながらも小野氏の論が迫真的な力を以て私を捉えて放さないのは、小野氏が輪廻転生の問題として「青森挽歌」を取り上げた点にある。蓋し賢治が既に感じていた世界観が妹トシさんの死によって見事に覆されてしまったからではないか。もし、、賢治が正しく道を捉えていたのであれば、彼の信ずる方角から、妹トシさんの通信は届いてくる筈だったのである。然しそれがなかった。乃至は有ってもまやかしであった。正直な賢治は、自己の感ずるあり方に深い絶望と懐疑を覚え必死にその回復を図ったのである。その間の作品が、例えば「若い研師」及び「若い木霊」、そして「サガレンと八月」から「タネリはたしかにいちいち噛んでいたようだった」という作品群の変遷になると思われるのである。
 確かに、賢治の時間と空間に対する質的な差が、妹トシさんの死をはさんで異なっていることは疑えない。而して、倶舎論が登場するのも、妹トシさんの死以後のことである。そして、(略、「宗教風の恋))と自らを慰め、その前の部分では・・・(略)但し倶舎論を妹トシさんの死以後に至って読んだというと考えるのは正しく無いだろう。むしろトシさんの死を契機に、それらの、即ち「天」と「餓鬼」や「畜生」の持つ世界と「人間」の位置にある賢治の、世界に対する真の目覚めと必死の回復への努力がそうさせたと言ってよいと思う。
 そういう意味で私は「せはしくせはしく明滅しながら」という語の意味を捉え、「いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の一つの青い照明です」という文の意図を解するのである。「一つの」と彼がことわったのは、「風景やみんな」と等価に「わたくしといふ現象」を捉えたからであるのはいうまでもない。
 次に「ひかりはたもち その電燈は失なはれ」とあるのは、佐藤氏によれば「電燈は失はれても尚青いひかりはたもつーーー肉体は滅びても霊魂は尚ともりつづけます。宮沢賢治という肉体は失くなろうとも、なおその青いひかりーーー思想、芸術ーーー」は、私たちの中に強く未来永劫にたもちつづけるでありましょう。世界のつづく限りそのひかりは輝くことでありましょう。(同書p.71)。ということであるが残念だがこれには従うことはできない。第一に、仏教においては、六道輪廻と転生はあり得ても、霊魂の不滅はあり得ない。「無常」と言い「無我」と言うものは「我ー梵(アートマン」の否定から生ずるものであるからである。法としての常住を説く法華経の如来は、そのまま霊魂の不滅に連なるものではないのである。
 第二に、「青いひかり」の概念が前の「青い照明」とずれを生じている。「因果交流電燈のひとつの青い照明です」は、佐藤氏によれば、「わたくし」←「霊魂」になってしまう。これは佐藤氏の強く説かれている所であるのだが、やはり、「風景」や「みんな」と「わたくしといふ現象」も「在る」「もの」なのであり、そうした存在を照射しているのが因果交流電燈としたほうが素直である。したがって、(ひかりはたもち その電燈は失はれ)というのは、前稿にも記したように電燈即ち光源が過去の方角へずれてしまったからであり、それにもかかわらず、ひかりが保たれるのは記録されスケッチされたからである。「過去と感ずる方角から」というのは、賢治における過去・現在・未来という概念を質的な相違を認めない立場からの発言である。即ち、過去は、感ずるありかた(方向)において過去なのであって、その論を以ってすれば、現在も未来も「感ずる)ありかたによるものだということになる。佐藤氏は「これはまったく「宇宙感覚」とも言うべき、常識的時間、空間を超越した、宇宙を自分のものにした天才だけのよく感じ得るところであります(同書p.78)と述べておられるが、それについては傾聴すべきことばであると思う。
 これ以降について佐藤氏はあまり細かな分析はされていない。私もこれで自分なりの観点を明らかにしたつもりなので、以下序詩の述べるところに従って、その内容を吟味しておきたいと思う。

第3連以下は次のようである。
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空氣や鹽水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記錄されたこれらのけしきは
記錄されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
 (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを變らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記錄や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
     大正十三年一月廿日  宮澤賢治

 以上が序詩の全文である。
 序詩の第一連は「わたくしといふ現象」を説き明かした本体論であり、第二連は、「心象スケッチ」の方法とその理由づけ(即ち「わたくしと)とすべてが明滅し同時に感ずるものであるが故に「心象スケッチ」なのだとする考えを明らかにしたものである。
 そして、「これらについて」ーーー賢治はなにゆえに心象スケッチが成り立つのか、詳論に入る。それが第三連、第四連であろう。「これら」とは「かげとひかりのひとくさりづつ、そのとほりの心象スケッチ」を直接的に受けているのであるが、意味上は「わたくしといふ現象」が「風景やみんなといっしょに/せはしくせはしく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の ひとつの照明」であるという、本体論を指している。ここで考えねばならないのは、「人」「銀河」「修羅」「海胆」という語句である。まずこれらの語句は、「銀河」から「海胆」に至る垂直な空間面を代表する生物であるように述べられていることである。しかも「人」を中心とした視点からとらえた場合の垂直面であるということである。「人」はさておくとしよう。それを除くと、銀河は宇宙塵を食べる生物、修羅は塩水や空気を呼吸する生物であるようだ。海胆が塩水を呼吸するのは当然としても、修羅が空気や塩水を呼吸する生物として捉えられているには、阿修羅として仏典に述べられている存在が、海に生きるからである。同時に天部に属するので「空気や塩水」と言ったものであろう。「海胆」はまったく海底に属する生物である。人としての意識を保ちながら闘争心を持つために海に生きる生物ーーそれが修羅の与えられた生物的位置づけである。私はそのような修羅を賢治に重ね合わせるときかれの言う「私の世界に黒い河が速やかに流れ」や「一躍十万八千里とか梵天の位とか様々の不思議にも幻気ながら近づき申し候」という手紙文の意識が、同時に、「いかりは赤く見えます」・・・(略)。
「それらも畢竟こころのひとつの風物です」と彼は本体論を「心」の風物として帰結する。その「心」の本体も、つきつめれば「青い照明」の流れしかあり得ないので、そこにいわゆる実体となるべきものは無いのである。したがって、見る者の立場が異なれば、「虚無」になってしまう。けれども、「たしかに記録されたこれらのけしき」は、虚無ならば虚無という形である程度まではみんなと共通する筈のものである。なぜなら、私の中の「みんな」と「みんな」の中の「私」とは相互の重なり合いの中に存続し合っているのだから。(略)。
 第四連は、「正しくうつされた筈のこれらのことば」が、二十二箇月という「わづかその一点にも均しい明暗のうちに、その組立や質を変じてしまう」ものの、「わたくし」も印刷者もそれ(=正しくうつされた筈のことば)を変わらないとして感ずることは有り得ると彼は言う。変わるものを変わらないと感ずる傾向とは何であろう。それは、賢治の時間意識と深く関わることばだ。現象として推移変転するものの、正しきものの本体は永遠に変化すること無く持続するーーという意味であろうか。私は、ここにやはり倶舎論の時間意識を見てとることが可能ではないかと思っている。(或いは「無量義経説法品第二)の一切の諸法は念々に住せず、新々に生滅し、即時に生住異滅すると断ずるありかたに由るもので、この方が、より妥当かも知れない。)即ち、常にものの形や質は即時に生・住・異・滅の諸相をを以て変化しつつ持続することを「傾向としてはあり得ます」と述べているのである。
 「けだし」と彼はその「傾向」を自己に引きつけて主張する。まず、感官や風景や人物を感ずるのは、ただ共通に感じているというものという認識でしかないように、記録・歴史・地史というものも我々が感じているに過ぎないと断定する。これが賢治の発想の真面目を伝えるところで、その拠るべき所は仏典のみならず哲学・科学の何かと思われるが、未だ断定することを躊っているところである。
 この辺から、賢治の時間の意識は急速に拡大されて行く。例えば、感官や風景人物を 共通のものとして感ずるのは、瞬間のことである。ところが、記録や歴史や地史といったものは、途方もなく長い時間の集積を意味する。その瞬間と無料劫ともいうべき時間を結びつけるのは、「かんずるやうに」という「やうに」によってである。時間は、それが瞬間であるように「永遠」なのだ、ということであろう。これを我々の世界を測る一軸とすれば他の一軸は「空間」を測る一軸となるはずで、「みんなは二千年くらゐ前には/靑ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ/新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を發堀したり/あるひは白堊紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を發見するかもしれませんという巨大な空間と時間の交錯する華麗としか言いようのない世界観が吐露される。ここの「二千年ぐらゐ前」とは、現在を指す。その現在の時間に対応する空間には「青空いっぱいの孔雀」や気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりからすてきな化石あるいは、白亜紀砂岩の層面(白亜紀相当の地質面のことであろう)には「透明な人類の巨大な足跡」を発見するかもしれないと説く。ここで、賢治は現代を基点として、未来の時間(時空の制約を解き放たれた時間でなくてはならない)より測られた時空的現在を想定している。彼によれば、現在のいわゆる時間は「時間的制約」のもとにある。けれども賢治は、その時空の制約を自ら解き放したのである。したがって、かれはこの我々のいう現在においても、「青空いっぱいの孔雀」や、気圏最上層の「すてきな化石」を観ることができるのである。同時に白亜紀砂岩の層面からは、「透明な人類の巨大な足跡」をも発見することができるのである。つまり、賢治の言う現在には、未来と過去の時間と空間とが、同時に巻き込まれているのである。現在の内に未来と過去が包含されている状態とは、何であろう。そこには、時間に進行はない。空間もあるのかないのか超えてしまっている。私たちの視点で言えば、無限大であり、無限小である世界である。つまり空間もない。空間も時間も一体化した「時空」を感ずる時、「瞬間」と「永遠」とは体験的に止揚され、合一するわけである。賢治が巨大な生物の群れに着目する時、時間は未来と過去(その相違は「感ずる方角)の違いによる)にわたって飛躍的に延長され、同時に無限に近い空間が現出する。而して、賢治の眼が自然や風景や「みんな」の明滅に着目すると、極微の世界に立ち入ることになるのだ。
 こうした賢治の「心象スケッチ」の主張は「こころのひとつの風物」としてそのまま表現することが、その正しさを証する唯一のものになる筈である。賢治は、その主張(=命題)を納得させるような方法に苦慮し、さらに「心象スケッチ」なるものの本質を果たして万人に共通なものとして、捉えてくれるものかどうか自身でも危んだに違いない。結果は、その危惧どうり、あまり芳しいものとは言えなかった。けれど、谷川徹三・草野心平を始めとする、当時最も洞察力を備えた諸氏に迎えられたことは恰も法華経方便品の仏三請の場面を思いうかべずにはおれない。会中の比丘・比丘尼・優姿賽・優姿夷の五千人は、如何にも座を退いた。そしてこの罪を罪根深重及増常慢として、世尊は黙然として制止給わなかった。恐らく、やがては再び帰正することを兼てより知り得た仏の一方便であろうと解するのが、経の根本に通うものと思うが、それを賢治に即して考える時、必ずしも、賢治の「心象スケッチ」がその理解の困難性を罪根深重及増常慢の故と決めつけられてはならない、とも考えずにはおれないのである。何が正しく評価され得たか、は別として、何を理解し得たか、という点になると、私も未だよくわからないのである。ただこの序文の主張するところを忠実になぞって行く他に道はないとしか考えていない。「心象スケッチ」の難解性は、賢治がこれを用いたその根本に根ざしていると思われる。ただ、彼は、それをそのままその通りにスケッチすることで、「心象」や「時間」それ自身の性質として、自ずと主張され、解決されると考えたのであろう。末尾の「以下スケッチの各項は 四次構造に従います」の二行は、蛇足めいていて嫌ったのであろうが、「スケッチの各項」とは、それぞれのスケッチ、即ち各詩作品を指していると想われる。とすれば、賢治の幻想場面、例えば「真空溶媒」や「小岩井農場」などに見られるそれは、賢治の言う「四次構造」を持つものとして、意図的にそこに在るものと言わなくてはならない。私は、幻想の本体が何か、を考える前に、何ゆえにそこに幻想が在るのか、そして、それは賢治の意図とどう関わるのかを精しく調べるべきだろうと思う。そうすることによって、詩集『春と修羅』の「四次構造」が明らかにされるものと思うのである。
 以上、賢治の序詩を中心に、その時間と空間の意味を探ってみた。それは、大局的に見れば佐藤勝治氏の説かれるところに帰結する。小異はあくまでも小異であろう。而して、一方で佐藤氏とは異なる観点から、即ち倶舎論の刹那滅における「時」と「本体」との関わりを私は検討した。ところでこれは、小野隆祥氏の説かれる輪廻転生というモチーフと密接に関わってくるものである。
 そこで、ここでは、もう少し賢治の時空意識を具体的に探ることにして、論を進めて行きたいと想う。 (以下略)。



『宗教詩人 宮澤賢治』1996年10月
宗教詩人 宮澤賢治   
   大乗仏教にもとづく世界観   丹治昭義


わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの靑い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの靑い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)


3.本体・実体の否定
 宗教の位置を換えねばならないのは、現在の宗教が誤った人間観の上に成り立っているからである。宮澤賢治が序で主張したのは宗教の返還を促す正しい人間観であった。彼は序の第一節で、おおよそ次のように三つの命題を主張していた。
一、わたくしという現象は有機交流電燈のひとつの青い証明である。
二、わたくしという現象は風景やみんなといっしょである。
三、わたくしという現象はあらゆる透明な幽霊の複合体である。
 一見したところ、これらの命題は何もことさらに「わたくしという現象は」などと言わなくとも「わたくしは」だけでもよいように見える。実質的にそう理解している人も多い。しかしそれでは根本のところで賢治の思想を理解していないことになってしまう。「わたくし」が現象であることこそが、これからの命題の根底を貫くキーワードである。「わたくし」は現象にほかならず、現象以外に自己とか自我とか呼ばれる本体とか実体は存在しない。このことは「わたくし」だけでなくすべてのものについて言える。全てのものは現象であって、本体としては存在しない。そうでなければこれらの命題は成り立たないのである。
 西田幾多郎は『善の研究』の序で「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである。個人的区別より経験が根本的であるといふ考から独我論を脱することができる」といっている。この考え方は特に賢治の命題の《一》と《二》を述べていることになる。経験が根本であるというこの考えは、私たちの常識をひっくり返している。普通私たちはまず人が存在し、事物も存在し、その事物を見たり知ったりすると考え、その見聞覚知を経験と呼んでいる。しかし事実は全く逆であって、まず経験があり、その経験の自覚として「わたくし」が知られるのだ。この『善の研究』の立場も、経験に先だって自我や事物が実体としてあることを認めない。だからこそ独我論を脱して、「わたくし」が風景やみんなといっしょに真に生きてあることができるのである。
 これらの思想は原則的には大乗仏教の「無我」の思想と同じである。大乗仏教でいう「無我」とは、自我に本体や実体がないことである。無我というと「わたくし」が存在しまいことではないかと誤解する人が多いがそうではなく、「経験」を通して「わたくし」が個人として本当に成立することである。(略)。
 本体や実体がないということは実は大変なことである。今までの常識や哲学や宗教をすべてご破算にしなければならないからである。歴史や宗教の返還もこのことから起こる。
 さらに大変なことがもう一つある。本体や実体がないということは、世界の体系や秩序のなかからただ本体を除けばよいというものではないからである。実体である神を除けばすむという問題ではない。それだけであれば、百八十度の変換にすぎないので、単なるニヒリズムになってしまう。ニヒリズムは、私たちが本物だと確信していたものがなくなり、その確信が揺らぎ、その確信が抱懐することである。この確信の抱懐感覚が虚無感であり、その感覚に浸った時、ニヒリズムになる。賢治の詩に虚無感が漂い、仏教がニヒリズムと呼ばれ、厭世的、ペシミズムと呼ばれるのは抱懐感覚を伴っているからである。(略)。
 根本問題である現象について言えば、現象から「仮のもの」「偽りのもの」という意味や価値を完全に除かねばならないことである。それこそ不当に現象に追わされた意味であり、価値であるからである。もしこのような意味付けをしないで現象が本当に現象として実感できたとき、つまり本体へのとらわれを心から完全に払拭し、本体と比較しないで現象をあるがままに経験した時、現象こそが本物として現れてくるだろう。
 仏教ではそれを諸法、すなわち現象の実相と呼ぶ。実相と実体はことばは似ているが、意味は全く違う。実相は本体のように現象の背後に潜み、現象をうつしだすものではなく、現象そのものの本当の姿、現象そのものである。賢治が行ったのは、そういう現象の実相のスケッチである。自我は本体としては存在しない、と賢治が主張していたことは、序の第三節からあきらかである。

(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
(略)。光の照明は現象の真に適切な比喩といえる。光は光以外の電燈などの事物とは全く異なるあり方をしているからである。まず電燈や草木などはある特定の場所を占め、時間的空間的な一定の形や大きさを持って存在している。そういうあり方が実体にあたる。私たちはそういう静止し固定し、量的にきまったものを本当に確かにあると考える。それに対して光の照明はある場所に静止したり大きさがきまったりしたものではない。「せはしくせはしく明滅しながら」、一瞬もとどまることがない。その点では、光は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という流水の比ではない。光は無常そのものである。賢治は「ひかりはたもち」というが、それは光の明滅のつらなりにすぎない。実体として静止して保っているのではない。
 さらにこの光の無常さは決して空しいとか虚ろなとかいった消極的な無常、無常観ではない。無常観は者の消滅という虚無感であって、抽象的な永遠と相対化されることによって歪められた無常であり、理屈の上では日常的な時間の一瞬である刹那滅となる。それに対して真の無常は夜空に煌めく星の輝きのように、一瞬たりとも一カ所にとどまることなく、ひたすらに今の一瞬の輝きをつらねて、無限の闇を走りつづける光芒のようなものである。本当の無常はこの光の無常性にある。だから光は日常的な時間の流れのなかでは静止して、自己同一的に存続する電燈などの物体の死せる実体性よりもはるかに生き生きと光り輝く。
 それだけではない。光がなければ、すべてのものは暗黒の虚無のなかに消滅する。ものはすべて光に照らされて明るい輝きをもった生命となって現象する。光の側でいえば、光は光だけで輝くことはない。光は闇を照らし、他のすべてのものを照らしだすことを通してのみ、自らを光として現しだす。この光が他を照らして自らを輝かすという性質も、わたくしという現象が、すべてのものの現象を内容としながら、自らをも自覚として現すという、現象の構造を示すであろう。

風景やみんなといっしょに
 ここで命題の第三である「わたくしといふ現象」は「風景やみんなといっしょである」に入ろう。
 わたくしが透明な幽霊の複合体であることは、世界のなかにいる私という一個体が複合体というのではない。私という現象は、見聞きする主体としての私だけでなく、私をとりまく風景や私と出会い語り合うみんなを一つに含んでいる。その現象のなかで、私も一つの照明であるが、風景やみんなもそれぞれ照明であって互いに照らし合っている。それが相互に依存し合っている本当の姿である。(略)。

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

 風景といっても農場や牧場などの自然の田園風物だけではない。私たちが文化とか学問、芸術、宗教とよんでいる事象も皆明滅する心象の照明である。序の第二節では、詩集『春と修羅』そのものを彼の現象の立場でとりあげているが、それが彼の主張する文化や学問などのあり方を示す好個の一例となっている。
 詩集『春と修羅』というとき、私たちは普通その書名の本を思いうかべる。本も風景の一部として明滅する。(略) 。彼が序文を書きおえたのは、大正十三年一月廿日のようである。詩集に収録された「心象スケッチ」は大正十一年一月六日頃、約二十二箇月前から書き始められたとのことである。それを現象の明滅の立場で説明すると、その二
ヶ月間、それらは紙とインクのせわしい明滅をつらねて、「過去とかんずる方角から」流転し継起して、序を書いた時まで、「たもちつゞけられた」ものとなる。
 このような『春と修羅』もまた時とともに変わる。諸行は無常である。一度書き留められたそれは、未来や現在に相依り、相俟ってのみあるものとして、刻々とその意味や味わいを変えていく。だからこの詩は常に新鮮なのだ。

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空氣や鹽水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記錄されたこれらのけしきは
記錄されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

 この第三節などで賢治が本体論を主張し、展開していると主張する人々がいるが、そうではない。それどころか、全く正反対の思想を述べているのである。人が空気を呼吸しているように、銀河は宇宙塵をたべ、海底に住むという阿修羅や海胆は塩水を呼吸しながら彼らはみな本体論を考えている。人類のこれまでの宗教や哲学の歴史は、賽の河原に石を積むように、次々に造っても崩れ、造っても崩れる本体論、実態論の歴史であった。未だ本体の呪縛から解き放たれた思想はないといっても過言ではない。仏教の「空」の思想は唯一の例外であるが、それにしても仏性とか法界とか言った実体的原理がひそかにしのびこみ、むしばんでいる。
 本体論を考えるのは人だけではない。阿修羅も考える。あるいはここで阿修羅というのは賢治自身のことかも知れない。ここで海胆が登場するのは、当時の進化論者ヘッケルの助手、ドウリーシュの実験を念頭に置いたらしい・・・。(略)。
 彼がここで主張していることはそういう本体論「それも畢竟こころのひとつの風物」にすぎない。本体論も現象であり、心象のスケッチであり、一即一切ということも現象においてのみ成立するのだ。
 ここで注目すべきは、彼が本体を否定しているだけでなく、虚無という本体、虚無が実体としてあることをも否定している点である。このことは彼の命題が仏教の根本的立場である中道の立場であることを示す。中道は本体(仏教では伝統的に自性と呼ぶ)の否定を通して有と無とを離れた実践の道であり、「有でも無でもない」という否定で示される。宮澤賢治はここではそれを肯定的に積極的にとらえ、「記録されたそのとほりの」けしきである現象の心象として認め、虚無をも心象として否定していない。時にこの時節本体論を展開していると誤解されるのは、本体を否定した上で現象として本体論を認めているからだろう。

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
 (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを變らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます

 私たちは『春と修羅』は今も昔も変わらないと考えているし、未来にも変わることなく存続すると思っている。そう考える心の傾向性を仏教では煩悩と呼ぶ。確かに賢治は心象を正確にスケッチしたであろう。その「正しくうつされた筈のこれらのことば」は一瞬の間に「組立てや質を変じ」ているのである。このような変化はもちろん『春と修羅』だけではない。文化も学問も芸術もすべて同じである。

それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
靑ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
發見するかもしれません

 私たちが『春と修羅』を読むということは、スケッチを通して賢治と同じ心象を甘受しているのである。この一節は『春と修羅』についていっているだけであるが、第四節では風景も歴史もすべてが共通感覚として成立することを明らかにしている。

けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記錄や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません

 みんなが主体的で共通に感ずるなどということは、当たり前のことであるというであろう。それは人の世の事実だから当たり前と思うのであって、人間を実体と考える哲学や宗教では、理論的にあり得ないことである。ということは、人と人とが主体的に出会い、共に感ずる者であることこそが、実態論が誤りであることの証拠なのである。誤りであるだけでなく、事実を歪めてしまうところに問題があるのである。誤りであるだけでなく、人間を歪めてしまう一例として、私たちはインドの自業自得の業の理論をあげることができる。自分の行為の結果は自分が受けるというこの考え方では、他人は本当は無視されている。殺生、殺人という悪い行為の場合も自分が報いを受けるということだけが問題であり、慈悲(布施)も自分が受ける果報だけが目的となって、殺されたり、慈善を受ける人々は視座に入っていない。それらの人々の幸せや命のかなしさは本当には考えられていない。人はおのおの本質的にはばらばらで、穏当にまじわることなく孤独の道をいくことになる。実体論者、デカルトが自我以外の者を精巧なロボットかも知れないといったのは、実体の立場では本当の他者が成立しないことを示しているといえよう。(略)。




山梨大学国語・国文と国語教育 第十三号二〇〇六年八月
    春と修羅研究 1      柏木 恵


(略)。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの靑い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの靑い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

 まず賢治は、「わたくし」は「現象」であり、それも「交流電燈」の放つ「ひとつの青い照明」であるという。「わたくし」は、感覚によって捉えられるもの、光であるという規定は、序を読んでいく上でひとつのキーワードとなる。
 「仮定された有機交流電燈」から発せられる「ひとつの青い照明」が「わたくし」である。電燈は「仮定された」存在に過ぎず、「わたくし」そのものではない。電燈はまた「有機交流電燈」、「因果交流電燈」とも表現されている。
 この「有機」、「因果」という言葉は、両方とも周囲との関係を表す言葉であるが、それぞれの言葉が指しているものは同じではない。「有機」とは有機体、命あるもの、成長する全てのものを指す言葉である。それはつまり、多の存在なしには生きることのできないもの、言い換えれば養分を摂取しなければこの世で生きていくことができないものを示している。その場合の養分とは、ほとんどがほかの命を指す。「因果」とは原因と結果、特に人間の行為と報いを示している言葉である。この二つの言葉を比べてみると、「有機」はより物質的なものを示し、「因果」はより精神的事柄を示していることが分かる。だからこそ、「仮定された」という表現が「有機」という言葉の前につくのだろう。命あるものは、永遠に存続するものではなく、その身体は必ず死によって消失する。決して絶対的なものではないからである。(略)。
 光はまた、「せはしくせはしく明滅」するものである。この光を発するものが「交流電燈」である以上、それは当然のことであるが、なぜ「風景やみんなといっしょに」明滅するのだろうか。「わたくし」である光が明滅するからである。「風景やみんな」照らし出す光が明滅すれば、対象もまた同じように明滅する。この世は「わたくし」が捉えたようにしか映し出されない。「わたくし」は、自身も周りの世界も、クオリア(現象)としてしか体験することができない。(略)。
 この連において、賢治は自らを「現象」であると規定した。その「現象」は「青い照明」として表現され、しかもそれは「明滅」する存在であり、また保ち続けられる「ひかり」でもあるというように、新たな表現を得ていく。さらに、「わたくし」は「あらゆる透明な幽霊の複合体」と言い換えられ、「有機交流電燈」の光から「因果交流電燈」の光へと至っている。こうした「現象」のイメージは「ひとつの青い照明」として一貫しているが、様々な言葉によって言い換えられるたびに、その言葉自体の持つイメージが新たに付与されることによって揺らぎが生じている。このイメージの揺らぎは、「現象」と物質である「電燈」との対比とともに、従来の音韻ではなく、イメージの展開という新たなリズムを詩に生み出している。

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

 第二連では、「これら」、『春と修羅』に収められた作品の数々は、序を書いている現在(日付は大正十三年一月二十日)から「二十二箇月」と感じられる過去の時間の中で、紙の上に言葉として記されたもの、「心象スケッチ」であるという宣言がなされている。その「心象スケッチ」は、明滅する「わたくし」と世界をそのまま写し取ろうとしたものだということが「かげとひかりのひとくさりづつ/そのとほりのスケッチです」という部分から読み取れる。(略)
 明滅する光に照らされた「風景とみんな」に現れたひかりとかげを、目をそらすことなく見つめたものが「心象スケッチ」であり、そしてその「心象スケッチ」は「すべてわたくしと明滅し/みんなが同時に感ずるもの」、つまりそれ自体明滅し、「みんな」が「わたくし」によって照らし出されたものを共有するためのものであると賢治は言う。
 感覚で捉えたものは、何もしなければすぐに消失してしまう(滅)。 このように考えると、「心象スケッチ」は必ずしも「非創造性」ではなく、まして「わたくし」という現象を、完全に写し取ることなど不可能であると言える。つまり、この第二連では、「心象スケッチ」とは「心象」そのものではなく、「心象」に向かって限りなく志向するものであるという宣言がなされているのである。ここに、賢治の抱えていた問題意識が、ひとつ浮かび上がる。第一連に於いて提示された「現象」と実体である「電燈」との対比は、第二連において「心象」と「スケッチ」という言葉によって新たな関係性が示されている。

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空氣や鹽水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記錄されたこれらのけしきは
記錄されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

 「これら」、「わたくし」という照明によって照らし出され、明らかにされた問題提起に触れることで、「人や銀河や修羅や海胆」は、それぞれの領域から問題を解決する方法、この世に存在することの意味を考えたりするだろうが、そこで考えられた事柄もまた心の中の出来事でしかないと賢治は言う。すでにこの世に存在する理論や思想はすべて誰かの心の中の産物であり、それは決して絶対と呼べるものではない。どんなに考えてみたところで、それは「こころのひとつの風物」を超えることはできない。「わたくし」が考えたことは、その主観性から切り離すことは出来ず、「みんな」とはお互いに断絶したものであると述べられている。(略)。
 「人や銀河や修羅や海胆」はこの第三次元の世界に属している限り、何らかの制約を受けている。それが、生きることによって生じてくる問題の原因であり、修羅で「人や銀河や修羅や海胆」は、それぞれ修羅を背負っているものである。その修羅から逃れることは、現在に於いては無理であると賢治は言う。それは、「人や銀河や修羅」が、そこにあり続けるためには、「宇宙塵」という共通の食べ物を摂取し、「空気」あるいは「塩水」を「呼吸」することが必須だからである。「宇宙塵」や「空気や塩水」が無限にあるものでない以上、それらを摂取していると言うことが、他の生命を存続の危機に追いやっていることにつながっていない、とは言い切れない。(略)。
 「すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/みんなのおのおののなかのすべてですから」とは、この世の全てが「わたくし」の心のなかに結ばれた像でしかないように、「みんな」のおのおのの心のなかにもそれぞれの世界の蔵が結ばれており、そこで「わたくし」が感じる問題は、自覚されていないだけで「みんな」にも同様にあるのである。ここでは、クオリア(現象)の普遍性という問題が言及されている。「わたくし」と「みんな」とをかろうじて結ぶものが、言葉である。その言葉によって「ある程度」は共有される問題となるのが、すべての存在が「わたくし」と同じようにその問題を把握できたとき、それは真に「みんな」の問題となり、そこで初めて解決策が得られるかもしれないという賢治の希望が表れている。

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
 (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを變らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記錄や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)

われわれがかんじてゐるのに過ぎません
「けれども」と第四連ははじまる。解決策が見えるかも知れないという希望を述べた後で賢治は現実を見つめる。第四連後半では、「みんな」が問題を共有するために用いた言葉の持つ有限性について語られている。
 冒頭部分「けれどもこれら新世代沖積世の」の「これら」とは、何を指す言葉なのか。この部分には、もう一ケ所「これら」が使われている。「正しくうつされた筈のこれらのことばが」の「これら」である。この二つの「これら」は同じものを指し示すものではない。後者である「正しくうつされた筈のこれらのことばが」の「これら」は『春と修羅』に収められているすべの作品について言葉であるが、前者、「けれどもこれら新世代沖積世」の「これら」は、以下に続く「新世代沖積世の/巨大に明るい時間」を指し示す言葉である。「新世代沖積世」とは哺乳類が発達し、人類が現れはじめる時代であり、すなわち心象の始まりである。「巨大に明るい時間の集積」とは、「新世代沖積世」から現在までの約一万年を表現したものである。明滅する心象は現在と過去にしか存在せず、全ての光は未来に向かって保ち続けられる。そのため、集積された時間を現在から過去にむかって見ると、電燈を失った光がたくさん明滅している過去は「明るい」のである。
 時間の積み重ねは、現在から過去という方向でしか存在しない。過去から現在へと至る一瞬一瞬に生まれた心象を「正しく。書き記していったはずの言葉が、「わずかその一点にも均しい明暗のうちに/(あるひは修羅の十億年)/すでにはやくもその組立や質を變じ/しかもわたくしも印刷者も/それを變らないとして感ずること」がありうると賢治は言う。(略)
 また、時間とは、人によって、時と場合によって、さまざまに感じられるもの、心象の世界に属するものである。だから同じ時間を「わづかその一点にも均しい明暗」に感じたり、「あるひは修羅の十億年」に感じたりすることがありうるのである。それは、わたしたちがこの世界に於いて自身の感官や周りの風景や人物を、何も考えないまま感じているだけのように、わたしたちが絶対だと思って受け入れている歴史、いろいろな記録というものも、その証拠となる出来事は、わたしたちの心の中の出来事でしかないのだということと同じなのである。わたくしたちは、心で感じたことという、これ上もなく不確かな事柄を、何の疑問もなく受け入れ、あたかも絶対であるかのように感じているに過ぎないということが、「因果の時空的制約のもとに」という一言に現れている。わたくしたちは、この世界で生きていながら、全ての物事の由来を知り得ない。誰かの心象から生まれたものがこの世界に存在する理論であり、その理論の由来である心自体がまだ解明されていないものである以上、この世の全ての答え・原因を知ることはできないのである。

おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
靑ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
發見するかもしれません

 第四連後半で賢治は、現在から二千年の時が経った未来について思いを馳せる。この序を書いている現在と二千年前を比較してみても、その中で起きた変化は激しいものがあり、次々と非常識が常識となっていったのだから、これから二千年先における世界は現在とはがらりと変わったものである可能性、現在の世界を支配している「因果の時空的制約」から解き放たれた世界である可能性は十分ににある。。未来では現在とは異なる新たな論が流布し、その論に従って「靑ぞらいっぱいの無色な孔雀」や「気圏のいちばんの上層」「きらびやかな氷窒素のあたり」の「すてきな化石」や、「白堊紀砂岩の層面」の「透明な人類の巨大な足跡」を発見するかもしれないと賢治は言う。(略)。
 この、過去から現在へ、さら現在から未来へという志向によって、『春と修羅』は時間・空間を超えるものとして位置づけられた。この『春と修羅』での問題提起は、地球上に限らず、存在するすべての「みんな」の問題として捉えなおされるだろうという見解を示している。賢治は、現在乗り越えることの出来ない課題が、未来では解決されることを確信している。そのような未来を実現させるために、今ここに『春と修羅』を作り上げたという自負である。

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
  大正十三年一月廿日  宮澤賢治

 「すべてこれらの命題は」、つまり『春と修羅』全体で問題提起されている、普遍的な課題は、「心象や時間それ自身の性質」、心象によって捉えられたものとして、「第四次延長」という現空間(三次元)を超えた空間への無限の広がりのなかで主張され、乗り越えられていくものである、という宣言が最後になされている。
 心象によって、人間は、この世に存在する以上「みんなが抱えなければならない修羅に気付いた。この修羅を超えていくためには、「因果の時空的制約」を超えなければならない。「因果の時空的制約」とはつまり、言葉の持つ有限性である。言葉で表現することには、どうしても、全てをそのまま表現することはできないという制約が付きまとう。だからといって、言葉で表現することを諦めてしまったら、自体は進展しない。賢治は、そこで立ち止まらずに、言葉を「心象」へと限りなく近付けていくことを第一としたのである。ここでは、現象と実体との対立、そしてそれぞれのイメージの展開によって、この『春と修羅』序が、賢治が言葉での表現という方法を用いて、心象に限りなく近づいていこうと試みていることを明らかにした。その根底には、言葉と現象(クオリア)との関係に表れる問題への意識がある。それは、修羅という問題の解決方法が有限から無限への志向にあるということを示唆していると同時に、「みんな)をそこへ導く役割を果たすものとして、この詩集『春と修羅』が位置づけられていることを示している。                                                    (了)