【当たり前だと思ってないことをどう示すのか?パート1】 | 自分軸&人生コンサルタント 中島未来

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思い込みと思考の枠を外す方法と自分軸、
決断力を手に入れる方法をお伝えしています

 

中島 みきです。

バージョンアップしたコンセプトで
投稿をしていきたいのですが、
カチッと固まらず(悩)

しかし、こういう柔軟な形で
進めてしまおうと、ぼちぼち投稿を
再開しました。

本日のお題はこちら。
【当たり前だと思ってないことをどう示すのか?パート1】

当たり前って?

あなたには「当たり前」と感じていること、
毎日を365日、1年生きる中でどれぐらいありますか?

朝、歯磨きをすること
朝食を食べること
学校や会社に出かけること
そこで過ごすこと
友達や同僚と話すこと
お昼を食べること
トイレに行くこと
電車で帰宅すること
家族が家にいること
夕食を食べること
お風呂に入ること
パジャマに着替えること
寝ること・・・・・


↑ いかがでしょう?
カテゴリーで分けると、もっと細かく
もっとたくさん出てくると思います。

極端に言えば、今こうして生きていることも
当たり前のひとつかも知れません。

でも、本当に当たり前なのでしょうか?



当たり前は誰かが作り出している
私の中での最近のホットワードは「当たり前に思ってるんじゃない!」です。

でもこれは、なかなか危険なワードで、
同じように「それを言うならお前もだ!」と言い返されません。なぜなら、
こちらだって当たり前と思っていないことを表現してなくて、
相手の静かな怒りを買ってる場合があるから。


そう、そういう私自身も実は怒っているし、
この怒りは普段は心の奥底にしまわれていることが多い。


全ての人に、日頃の自分の行動や思いをここで振り返ってみて欲しい。
私たちは、家族の愛や思いやりからの行為を「当たり前」と受け止めていないでしょうか。

今までも「家族だから当たり前」「母親なんだから当たり前」「父親なんだから当たり前」
「子供なんだから当たり前」という表現を沢山聞いて来た気がします。

でも当たり前のことなんて、本当はこの世の中にはひとつも存在しません。
日常の行動であれ、仕事であれ、その行動には自分の身体の健康というものが大前提であり、
少なからず誰かの何か思いが込められています。

以前も一度書いたのだけど、
ワイシャツやTシャツの襟首が白いことが当たり前ではない。
どれほど性能の良い洗剤や洗濯機が出来ても、襟首の部分がスッキリ真っ白になるなんてことはなく、
その証拠に各社がまだどうしたら洗剤だけで襟首が白く洗えるか試行錯誤しています。
それだけ手間がかかるのですよ、襟首の部分を真っ白にするのは。


数枚ワイシャツがあったら、朝の忙しい時間、10分程度は部分洗いに取られる。
この10分程度を「大したことない」と言う人は、あまり家事をやらない人物だと自信を持って断定出来ます。
ポテトサラダを「簡単に作れる」と想像で言うのと同じこと
(そして多くの共働き女性を敵に回すことになることも断言します)
この白い襟首は「愛」そのものなのです。


一人暮らしをしていたとしても、安心、安全に住める家があるのは
その家を建てた人のお陰で、その家を建てようと考えた人のお陰で、
その家を維持している人のお陰であります。

朝ごはんに食べようと、スーパーかコンビニで食材を買ってあったとすると
その食材を作った人のお陰だし、運んだ人のお陰だし、
お店で売っている人のお陰なのです。

要は、自分以外の人の手がかかっているものは、
全て自分以外の誰かのお陰なのです。働きのお陰なのです。



当たり前に感謝する、感謝の先にあるもの
当たり前が自分の中で当たり前ではなくなったとき、
そこには「感謝の気持ち」が生まれます。出てくるでも
良いかも知れません。

『そうか、自分では出来ないことを手掛けて
もらったんだな。ありがとうございます」という
会ったことはないけれど、自分の人生に確実に関わった誰かに
ありがとうの思いが沸き上がります。

ラクに朗らかに生きていくための大事な要素は、
この「感謝」です。誰かの存在に、行いにありがとうと
感じることがどれだけ多いかで、自分の充実した人生が
左右されるのです。コレは本当のお話。


感謝の気持ちはあらゆる行動、思考を派生させます。
会ったことはない、自分の生きるを支えてくれる沢山の人は
もしかしたら今、電車内で自分の隣に座っている人かも知れません。

駅の階段ですれ違った人かも知れません。
先頭に行かないと見られないけれど、乗っている電車の運転士さんも
今まさにオンタイムで自分のために動いてくれている人です。

自分以外の全てのこと、モノが誰かのお陰だと思うと、
もう四六時中感謝の気持ちで忙しい。この状態こそ、幸せフローの状態。
あなたには理解してもらえるでしょうか?


ありきたりの一言ではぴったりの表現が出来ませんが、
感謝を自分の中に持って生きている人は、
普通の人よりワントーン明るくて、小型の太陽が
生きて歩いている、そんな感じです。

正直、多くの人が存在する東京でも、ほとんど
会ったことありません。感謝を感じたときに、
一瞬そうなる人が一般的です。
しかし、生きること=感謝で作られていることを
理解して生活している人は、一瞬でなくてずっと
小型の太陽状態です。


小型の太陽になったときに現れる現実
分かりやすく、反対の「感謝を忘れた状態」になったとき
どのような現実が現れるのかの話をしましょう。
これは、ある人に起こった実話です。


ある人が転職をして新しい職場に入りました。
初めの1週間ほどは、その人らしく朗らかに仕事しました。
しかしある時、その人は自分が周りの同僚から
当たりが強いと感じます。
「自分は何も悪いことしてないのになんだ!」

その日から、その人は周りの人に疑問を感じ、
仕事の内容に不満を感じ、怒ったり、文句を言ったりの
毎日になります。「我慢ならない。こんなところ
早く辞めてやる」

それから数日後、仕事の帰りの雨の日、
不運にも濡れた階段で転倒。
翌日に人から勧められた病院は休診。
怒り狂って病院を勧めてくれた人に
文句の電話を掛けます。

労災の申請をしたいのに、世の中はGW、
連休に入ってしまい診察が受けられない。
この全ての元凶は新しい会社だ、
自分に当たりの強い同僚だ・・・そんな不満から
会社にも行かなくなってしまいました。

現在、この時点で止まっていますが、
今後何が起こるのかと、ハラハラします。
嘘かと思うかも知れませんが、不運な状況は
周りのせいだ!と思い毎日を過ごすのと、
色々起こったとしても、様々なことに感謝し、
比較的フラットな気持ちで過ごすのとでは、
自分に起こる出来事は180度変わります。


何かの責任にすることも簡単ですが、
不運な状態から、感謝フローに変えるのも
実はそう難しいことではありません。

人生を幸運にするも不運にするも
自分の心の在り方、行動次第です。


感謝フローの良いケースの事例もあります。
近くその事例を直接お話する機会を作ろうと思います。
ご興味がありましたらどうぞ。

感謝をどう示すのか?をパート2で書きます。



中島みき