海舟と西郷の無血開場談判といえば
教科書などでも見られる
結城素明の「江戸開城談判」(聖徳記念絵画館所蔵)が
有名だ。
結城素明は本名を貞松といい、
海舟の命名であったと伝わる。
素明が描いたと伝わるもう一つの無血開城絵図が次の
「 西郷・勝会談の図」(『海舟遭難画帖』)。
海舟の斜め後ろから描いた構図となっており
西郷の背後からは薩摩藩士らが様子を覗いている。
海舟は後に『氷川清話』で当時の様子を次のように語っている。
「この時の談判がまだ始まらない前から、桐野などいふ豪傑連中が、大勢で次の間へ来て、ひそかに様子を覗つて居る。
薩摩屋敷の近傍へは、官軍の兵隊がひしひしと詰めかけて居る。その有様は実に殺気陰々として、物凄い程だつた。
しかるに西郷は泰然として、
あたりの光景も眼に入らないもののやうに、談判を仕終へてから、おれを門の外まで見送つた」
まさしく、その風景が描かれた作品になっている。
これと同様の作品に二世五姓田芳柳が描いた
『明治天皇紀附図』の「 江戸開城談判」がある。
このふたつは構図が異なるだけで部屋の掛け軸から
置物に到るまで、全く同じ景色が描かれている。
二世五姓田芳柳は冒頭の結城素明の「江戸開城談判」をはじめ「聖徳記念絵画館」の壁画を制作するため、
その下絵を描いた人物だ。
(「江戸開城談判」の下絵は下記サイトに画像あり)
当サイトでは、このほか
様々に描かれた無血開城談判の絵画を
コレクションを中心に、紹介していく。