いつもご声援ありがとうございます!

最終日となる本日は1年間チームを率いて下さった主将:今村優真(経4/関大一)です✨

想いの詰まったブログ、2部に分かれているので後半も是非お読みください!

今日まで読んでくださった皆様、ありがとうございました‼️


「野球人生で見た景色」

前編

このブログを読んで頂いている皆様

前主将の今村優真です。


引退ブログを書き終えると本当に終わってしまうんやなと感じています。自分でブログがラストということで、少しプレッシャーを感じていますが、これまでの野球人生について、あの日、最後の試合でフィールドから見た景色について、堅い言葉ではなく、分かりやすいように書いたつもりなので、書きたいことが山ほどありすぎて長くなるのですが伝えさせてください。


13年間の野球を振り返ると、野球を通じて、たくさんの仲間に出会えてよかったっていうのが引退した今1番思うところです。



小学校時代

 物心ついた時から父の草野球に駆り出され、小3から野球を始めることになりました。弱小チームだったので、下級生の頃から試合に出させてもらい、最上級生になると1番バッターで1打席目はセーフティーバントを絶対したり、盗塁をばんばん決めたりと、準硬のみんなが当時の自分を見ると驚くぐらい足が速かったのを覚えてる。またこの頃からエースとして肩肘がボロボロになるまで投げてました。

 しかし、試合が嫌いになったのはこの頃からなんかなと思う。大会で自分が不甲斐ないことをしたり、チームが負けたりすると、父親が自分の近くに寄ってきて、フルスイングビンタ、どつき、ハイキックなど今の時代では有り得ないことが毎試合のようにあった。家に帰って怒られたくないから家の外でバット振ったり、走ったりしたのも、今となってはいい思い出です。



中学時代

 中学では、「大阪和泉ボーイズ」という硬式のクラブチームに入部しました。中学時代の仲間は、今中日ドラゴンズの味谷選手や、青学でキャプテンをしてるやつ、社会人が決まっているやつ、名門校に進み後に甲子園に出る仲間と同級生になった。

 自分はというと、投手として、コントロールはいい方やったけど、球が遅く案の定ピッチャーとして活躍することはできず、控えピッチャーとしてほとんどの試合をベンチで眺めていた。

 転機が訪れたのは中2の冬、ピッチャーとして限界を感じていた自分は内野手に転向。今の基礎を作ってくれたのは間違いなくこの時やと思う。内野手としてレギュラーになる為、夜遅くにグラウンドで車のライトだけを頼りに父親と何時間もノックをしたり、手がボロボロになるまで羽打ちをしたりと、野球人生で1番挫折したのは間違いなくこの時期。

また、中学時代の監督には今の人間力を作って貰えた存在です。「目配り・気配り・思いやり」野球する前に人としてどうあるべきかを教えてもらい、今も覚えているほどその言葉が印象に残っています。見ていないと思いますが本当にありがとうございました。



高校時代

 高校は教育者の母親の勧めもあり、大学が附属である関大一高に進学しました。嫌だった丸刈りにし、病むほど苦労した高校時代の幕開け。

 入学してすぐ試合に出させてもらえることなった。しかし、中学を上がってすぐの自分には考えられない変化球、球速、打球の速さを実感した。特に変化球に対応できなく苦しんでいた自分に、野球をしていなく、ゲームの野球しかした事がない弟に「カーソルを合わせたいいんちゃう」という今考えるとそんな甘くないわと思うけど、その時打てへんくて、悩んでいた自分はなぜかそれを聞くと、そこから高校引退までノーヒットの試合が両手で数えるぐらいまでミート力が上がるぐらいの言葉になった。大樹ありがとう。

 1年の夏からレギュラーとして大阪大会を戦い、当時3年生の榎本さん、森田さん、久保さんなど、どの面においても勝つことのできない先輩達と一緒にプレーをし、迷惑をかけないようについていくのに必死でした。

 自分の代では野球人生で初の主将になった。今となってはいい思い出に変わったけど、当時は毎日がほんまにしんどい時期でもあった。今まで誰かに着いていくことしかしていなかった自分が先頭に立って行動する。誰よりも声を出してチームを鼓舞する。自分のプレーに集中できず、土日の試合で監督に怒られ、平日の練習は5日間とも入れてもらえず、グラウンドの外から一生声を出す生活、しかし、また土日になると練習をしていないのに試合に出場し、また怒られ平日の練習は外から眺める。この生活が約1ヶ月続いた。追い討ちをかけるかのようにこの時期に前代未聞のキャプテンクビ&右手の人差し指骨折。両親にもさすがに心配され、学校では友達に気を使われ、あの時期だけはどんだけお金を積まれても戻りたくないな。その後実はもう1回キャプテンになり、2度のクビ宣告を喰らっているのは全国の高校を見ても自分1人やったと思う。監督が怖く、みんなで監督が練習に来るかビクビクしながらアップしたのもいい思い出です。夏大前には、鮫のブログにも書いてた通り、精神的に追い詰められ、体調が悪くなり、小便が茶色になったことや、監督に練習メニューを聞きに行くと、なぜか怒られ2時間ぐらい雨が土砂降りの中外に立たされたりと、大変な思いをしました。(その時同級生の鮫島、森川、中村、松岡、金田、今までファーストでお世話をした1個下の清水がラップバトルをし、俺が帰ってくるのを呑気に待っていました。その時本気でしばきたかったです。)

 高校最後の夏は自分が最後のバッターになり呆気なく引退した。自分が作り上げたチームがこんな簡単に負けてしまう、みんなと野球ができひん、勝てると思っていたところに1点差で負けてしまう。この時から1点差で自分の野球人生は負けてしまう運命だったのかもしれません。

 ちなみに池田は高校で自分が引退する時号泣してた。やのに今回負けた時あいつは泣いてない。許さんで。どんなけお世話した思ってんねん

あと大智が怪我してなかったら最後の夏はベスト8ぐらいまでいけてたよな?みんな?アメフト部が引退したらまたみんなで野球しよう!

あと翔誠飯行こや



大学時代

 本気で高校時代に野球をし、大学では楽しい野球をしたいと思い関大準硬に入部した。

 1年の関関戦でいきなり4番DHを任されるも5タコ。その後もバッティングの調子が上がらず、秋は守備固め。結果的に2個上の先輩達は2次トーナメントで1つ勝てば清瀬杯が決まる試合で最終回1点差でサヨナラ負け。

 福永さんの代になり、肩の脱臼もあり、最初の秋リーグは1試合も行ってません。本当にあの時はすみません。春リーグでは優勝も経験させてもらい、関西選手権準優勝、全日出場とたくさんの思い出ができた。やっぱり準硬1番の思い出は全日初戦。自分が最終回ツーアウトでトンネルをし、同点に追いつかれた。藤澤さんごめんなさい。大学まで野球をして初めて野球が怖いと知った。1球の重みを感じた。2回戦では2年連続で1点差負け。高校時代から含めると3年連続での1点差負け。

 新チームでは主将に選ばれた。

「関西一のチームを作る」を掲げ、迎えた秋リーグ、チームは全然勝てず、毎週悩む日々、チームを引っ張ることのできない不甲斐なさ、結果も出せない。福永さんとは違い、チームの士気を上げる声も苦手な中で、自分になにができるかって考えたのがとにかく結果を出すことやった。必死に食らいつき、率を残す。守備でも泥臭くプレーをする。みんなに認めてもらいたくてとにかく必死やった。福永さん偉大すぎるって(足の速さ以外)

この時今でも大事な試合前などは電話やLINEをしている佐竹が相談相手となり、毎晩チームのことについて、どーゆーキャプテンになって欲しいかをめっちゃ話したな。生意気やし、電話した時も勝手に切りよるし、タメ語で話してくる後輩は今の準硬ではお前ぐらいしかおらん。舐めんな。でもほんまにありがとう。お前に助けられてばっかりやった。



秋リーグが終わり、感じたのは、チームが全然まとまってない。このままではバラバラのまま終わってしまう。上下の垣根を無くし、全員がチームの一員ということを理解してもらう。その為に、冬の練習では今まで準硬でした事のないランメニューに取り組んだ。案の定みんなから大バッシング。毎日文句が聞こえ、「今日なにするんですか?」を何十人にも聞かれ、競走をすると梅ちゃんのチームが絶対最下位。チーム決めんの大変やったんやで梅ちゃん。人のこと言えんけど、ちょっとは速くなりや笑

でもバッシングを喰らっても俺は本気で関西一になりたかった。このチームが本気を出せばなれると思った。

 みんなに関西一の景色を見せてあげたかった。それでも、最後の春リーグでも結果は変わらず4位。関六は簡単に勝てるほど甘くはなかった。1次トーナメント初戦、2回戦と負けかけながらなんとか勝ち進めた。チームの団結力をほんまに感じた。

迎えた決勝戦。先制され、それでもなんとか食らいつくメンバー。初めて打席で聞こえてくる、スタンド、ベンチメンバーの声もあり同点タイムリーを打つこともできた。ほんまに勝てると思った。あとアウト1つ。サヨナラ負け。やっぱり野球は怖い。その瞬間グラウンドに倒れ込むメンバー。あの景色、光景は2週間以上立った今でも夢に出てくるし、これからも忘れることのできひんものになると思う。



福榮強くなれよ。俺も去年やらかしてるから。この経験がお前を絶対成長させてくれる。

佐竹、後輩の面倒見たれよ。もう俺らおらんぞ

山ちゃん、サボってたらあかんで。お前の野球に対する姿勢は全員が見てる。

あの時グラウンドに立っていた3人やからこそ、新チームになっても伝えれるものがあるやろうし、その責任がある。頑張れ!


あと、今までお世話になったファーストの先輩である磯さん、山本さん、水島さん、今ではファーストが「ゴミ箱」と言われることはなくなり、死語となりました。清水、友田、桔平、俺おらんなってまたゴミ箱とか言われてたら知らんで!



5月24日 1人で関西地区2次トーナメントを見に行った。グラウンドでは関六のキャプテン達、立命の駒井、関学の舟川、同志社の佐藤とネット越しに話した。

本音を言えば、ネットを挟んでではなく、グラウンドの中で話をしたかった。

吹っ切れていたと思っていたけど、関六の仲間の試合を見ると、なにか心の底からモヤモヤとした感情が蘇ってきた。やっぱり負けたら悔しい。

3人ともまだこっち側来たあかんで

同志社、立命は全日、関学は清瀬で勝ち進めるのを祈ってます。頑張れ!



後編⇩