いつもご声援ありがとうございます。
全日カウントダウン企画も最終日となりました。
ラストを飾るのは、同期のブログからもその威厳が垣間見える我らが主将、福永翔太(社4/光泉)です!
「俺の野球史」
お世話になっております。
主将の福永翔太です。
堅苦しい文章は書きづらいし、見にくいから、ここからは俺が思う野球史っぽい感じで書かせて下さい。
16年間の野球人生を振り返る。
俺が野球を始めたきっかけは父親と兄貴がやってたから。それだけの理由でいつの日からか俺もグランドに駆り出されてた。
小学校1年生の頃から近くの少年野球チームに入った。自分から入りたいって言ったんやろうけど当時はやる気も目標も無くてただグラウンドに連れてかれて空振りしてトンネルして、まさにボール遊びしてるガキやった。野球はあんまり好きじゃなかった。休み時間に友達と走り回るサッカーやキックベースの方がよっぽど楽しかったし好きやった。
その感じがだいたい2年くらい続いた。
俺が野球のこと好きになってほんまに頑張るようになったのは小3くらい。
3つ上の兄貴が小6でキャプテンやってたことが1番の転機やった。小6の兄貴はほんまに野球が上手くて、みんなにも好かれてるようなキャプテンやった。県大会で優勝したことないような弱小の少年野球チームやったけど、唯一兄貴の代は優勝した。3つ離れてるのもあるけど野球の知識、技術全部凄かったと思う。そんな兄貴みたいになりたいと思った。そこから本気で野球に打ち込むようになった。兄貴、俺に野球の面白さを教えてくれてありがとう。
そんな兄貴がいたこと、シンプルに部員が少なかったこともあって小4からは小6の試合に出してもらえるようになった。
「1番サード」これが俺の定位置やった。初めてもらった1桁の背番号は「5」やった。嬉しかった。そこから試合でも活躍できるようになって、家に帰ってからは素振りと壁当てを日が暮れるまでやり続けた。上達するのが実感できてただの素振りでさえ楽しいって思えた。
それから時が経ち6年になった。人数が少なくて6年になると近くの小学校と合併した。それでも6年生は2人だけやった。もう1人は今ではめっちゃ仲良いけどほんまに変なやつで当時はほんまに嫌いやった。なあ堀口。
6年の頃は4番キャッチャー。キャッチャーできる人がおらんくて人数合わせでこの頃からキャッチャーを始めた。
当時のチームは俺が休んだら試合負けるみたいなとこあった。自分でゆうのもおかしいけどそれくらい打ってた。
人数が少なすぎてスタメンも小3とかが出てて、前に飛ばされたら出塁みたいなことが多かったけど、最後のローカル大会では準優勝することができた。決勝は俺がピッチャーやった。四死球で貯めたランナーを長打で返されてコールド負けやった。そんな俺が今ではピッチャーに「それはなしやわ」ゆーてる。よう言えんな自分。
そんな感じでまあ小学校高学年からは順風満帆な野球生活やった。
中学になると、硬式でプレーしたいと思って兄貴が入ってたボーイズに入った。グランドが家から車で40分くらいかかる親の手を借りるチームに両親は進ませてくれた。グラウンドが2面あって、鳥籠ゲージもあるグラウンドで野球させて貰える環境が幸せやった。中1の初めの頃は「1番ショート」やった。あんま守備は上手くなかったけどとにかく打ったし、とにかく走った。いわゆる「バッキャラ」やった。
2年になると、キャッチャーにコンバートされた。中学は内野で勝負したいって気持ちがあったから最初は嫌やった。打たれたらキャッチャーが怒られてた兄貴の姿も見てたから余計嫌やった。
それでも中2の時、恩師ともいえるコーチと出会った。死ぬほど怒られたし、死ぬほど理不尽やったけど、野球に関することは全部吸収したいって思えるコーチやった。なんで打たれたのか、なんでその球を要求したのか。小学校では考えてこんかった野球の深さに気づかされた。キャッチャーのかっこよさに気づいた。キャッチャーが好きになった。間違いなくこのコーチの教えが俺の今のキャッチャーを創ってくれた。この1年で人としても成長できた気がした。
3年になるとキャプテンに選ばれた。
キャッチャーのことに加えて、チームに対しての責任も芽生えた。一個上の代が全国大会に出てることもあって多少比較もされた。しんどいことの方が多かったけど、逆に燃えた。朝グランドにボールが落ちてたら、グラウンドの外周タイム切り走から1日が始まった。ほんまに憂鬱やった。幸い長距離走は得意やって練習にはついていけた。
仲間もおもろいやつばっかで、なんだかんだ週末がいつも楽しみやった。
当時の俺は今よりも打つし今よりも投げれた。俗に言う全盛期やった。当時から背は低かったけどクリーンナップを打たしてもらってた。そこに至るまでには朝早くから夜遅くまで練習に付き合ってくれた父親がいたから。間違いなく父親が生涯で1番の指導者やった。感謝してるありがとう。
最終的に中学では3つのメダルを貰った。そのうち優勝は1回であと2つは準優勝やった。嬉しいようで悔しいそんな複雑な気持ちを2回も味わった。
その時に優勝は野球のうまさだけでは達成できひんもんやって身をもって教わった。これが春リーグ前、口酸っぱく言ってた優勝にふさわしいチームになろうとの根源。
3年の後半にはボーイズの滋賀選抜に選んで貰った。自分では全く歯が立たんくらいレベルが高かったけどその環境で野球できたことがちょっとだけ自信に繋がった。
きつい練習ばっかりやったけど、色んな人に刺激をもらいながら人として大きく成長できた中学野球やった。
高校は「光泉」を選んだ。
シニアで有名やったやつとかボーイズで見たことあるやつとかも多くて戦力はすごい集まってた。そこから併願組も合わさって同期は32人いた。思い描いていた通り順調な滑り出しで1年生大会では県3位という成績を収めることができた。
食育とかにも力を入れてるチームで、3年間で体重は10キロ弱増えた。大盛りの弁当や間食を作ってくれた母親のおかげで足の速さと引き換えにパワーがついた。ありがとう。
「絶対に甲子園に行く」当時はそのことしか頭には無かった。
高2の夏、準決勝の滋賀学園戦で2点ビハインドの延長11回ノーアウト1、2塁で代打で使ってもらった。いわゆるバント要員だった。が2球ミスった。頭の中が真っ白になった。球場はラグビー部や吹奏楽部、OBの方、一般の方で埋め尽くされてた。満員やった。色々なことが頭をよぎった。勝負球はスライダーやった。とにかく必死に食らいついた。結果バスターでライト前に運ぶことができた。その後、キャプテンのサヨナラ打で試合に勝つことができた。結果オーライやけど、ブルペンキャッチャー要員の俺が唯一チームに貢献できた瞬間やった。嬉しかった。たしかその日は試合がテレビ中継されてて、たくさんの友達がインスタのストーリーでメンションしてくれた。リアルにあの日だけでインスタのフォロワー50人は増えた。
その勢いのまま決勝に臨んだ。
決勝では近江に0-1で負けた。あと1つが勝てへんかった。あと1点が届かんかった。また準優勝やった。
あと1つが届かん歯痒さ、悔しさ。そんな感情はもう2度と味わいたくないと思った。
次の日からは新チームが始動した。監督からはキャプテンに選んで貰った。
早々に肩を怪我した。秋はなんとか出れたけど、初戦で負けた。悔しいというよりあっけないくらい普通に負けた。肩はずっと痛くて冬はほぼノースローやった。なんとか春に間に合わそうと思ってたけどなかなか治らんかった。そこからバッティングの状態も上がらずしんどい時期が続いた。今思うと野球人生1のどん底やった。
そんな矢先のことやった。コロナが流行って春の大会も学校も俺らの当たり前やった生活がコロナに奪われた。なんとも言えへん悔しい気持ちでいっぱいやった。これまでの努力が水の泡になったと思った。それでも支えてくれた人に恩を返すため。自身の高校野球にケリをつけるため独自大会に向けて前を向いた。
初戦が近江に決まった。チームのモチベーションは最高潮やった。それでも屈辱は晴らせず昨年と同じ0-1のスコアで負けた。現西武の山田陽翔に打たれて抑えられた。自分の結果は3打数2三振やった。悔しかったけどなぜか野球に対しての未練は湧かへんかった。
大学に進んだら野球はいいかなって思ってた。
そんな時に数少ない対面授業で坂木(社4)に出会った。他愛もない会話から準硬式野球部に誘って貰った。悩んだ挙句、一旦夏休みは地元で遊ぶことにした。そこから地元の友達に別れを告げて入部を決めた。あの時坂木が誘ってくれてなかったら自分は本気で何かに打ち込めない大学生になってたんやろうなって最近になってよく思う。
坂木ありがとうな。
結局、秋リーグ終わりに入部した。生意気やったけど2個上の先輩たちには特に可愛がって貰った。永田さんの代の春リーグの最後の節ではスタメンで出して頂いた。たまたま結果を残した。そこからチャンスを掴むことができた。2個上の先輩が引退してからは、5番を打たして貰った。チャンスで回ってきたら絶対打てる訳分からん自信に満ち溢れてた。2回の秋リーグではあと2点で打点王やった。春こそいけると思った。でも春はびっくりするくらい打たへんかった。それでも試合にはいつもスタメンで起用し続けてくれた幹部の皆さんには感謝してる。ありがとうございました。1個上の代ではあと1つで清瀬杯のところで負けた。勝てる展開やっただけに悔しかった。けど涙は出んかった。小手先だけで出れるほど全国は甘くなかった。
次の日から新チームが動き出した。主将選挙でキャプテンに選出して貰った。「関西1のキャプテンになる」ってゆう根拠のない漠然とした目標を立てて新チームが始まった。色んなことがあった。結果が出んことも。采配で迷うことも、後輩と言い合いになったことも。秋リーグは自分の力不足で迷惑かけたし、チームとしてもまだまだもろさがあった。それでも同期がいたから立ち直れた。みんなのおかげで頑張ろうって思えた。春リーグになると竹下(政策3)が怪我から戻って来てくれた。そこに藤澤(政策4)が加わって最強の2枚看板ができた。この2人が安定してゲームを作ってくれた。お前ら2人がおらんかったら間違いなく勝てて無かったありがとう。
藤澤に関してはピッチャー以外にも守って打って走っての大車輪やけど、このチームは紛れもなくお前中心のチーム。全国でも暴れてくれよ。
竹下の1番の武器は、投げてない時でも輝けるその明るさ。人柄。気持ちの強さ。全国も持ち前の元気でチームを助けてくれよ。もちろんピッチングも期待してる。
春リーグのベンチには小松(文4)がいた。なんだかんだリーグ戦前の試合になると結果を残すやつやった。声に関しては、紙一重なところあるけど、いつもこいつの声に乗せられる自分がいた。
スタンドにはいつも優しくて仲間想いな4回生がいた。
秋リーグ、春リーグでベンチに外れた4回生、こんな薄情な俺を許して下さい。外れても毎試合球場に来てくれて大きな声で応援してくれたみんなのおかげでチームはあるべき方向に向かうことができた。ほんまにありがとう。
起用に偏りがあったり、後輩たちにも色々思うことはあったと思うけど、それでも幹部を信じてついてきてくれた。後輩のみんなもありがとう。
そんな感じでみんなのおかげでリーグ優勝、全国出場まで上り詰めることができた。スタメン、ベンチ、スタンドメンバー。みんながそれぞれの役割を理解して動いた結果が全国大会に繋がった。みんなで創り上げた最高のチームのキャプテンをさせてもらえることが最高に幸せ。
貴重な大学の4年間に準硬式野球を選んだ自分を。63人のみんなに。心の底から感謝してる。ありがとう。
63人のメンバー、スタッフの方々、応援団、ヘリオス、吹奏楽、関スポ。
俺は「関西大学」としてみんなと日本一に駆け上がっていきたい。
以上が俺の野球史。しんどいことの方が多かったはずやのに、今こうやって振り返ると良いことばっかが蘇ってくる。
俺は小中高大、全部キャプテンやった。4つのチームに向き合って来て、どのチームにも良さがあったけど、大学の今のチームが1番素敵なチームやなって思う。
ほんまに優勝したい!勝ちたい!みんながそう思ってくれてる。それぞれの役割をまっとうしてくれてる。
関西1のキャプテンにはなれへんかったけど、おかげさまで関西1仲間に支えられるキャプテンになれたと思ってる。
長くてまとまりのない文章をここまで読んでくれたみんなありがとう。
ちょっと自分の事書きすぎたけど、ここからはチームへの想いを綴らせて下さい。
チームへの想い
1回生へ
入りたてで分からんことだらけやったと思うけど、周り見て動く力の備わった君らならきっとチームを強くしてくれると思う。力を貸して下さい。あとは遅刻癖なんとかしよか。
2回生へ
2回生は不思議な感じのやつが多いけど野球に対して熱い気持ち持った選手が多くていつも刺激もらってます。まだまだ良いとこ吸収させて下さい。
3回生へ
3回はとにかく芯があって自分の気持ちを素直に伝えれる学年やな。
お前らがおらんかったら絶対全国の舞台立ててへん。ほんまにありがとう。
最後まで頼りまくるで。よろしく
4回生へ
書きたいこといっぱいあるけど、まずは途中入部の俺を歓迎してくれて、輪に入れてくれて、信じてくれてありがとう。
しんどい時も4回が側にいてくれたおかげでいつも力貰ってたし、仲良くていい学年やなっていつも思ってる。大好きだぜマイメン
全体へ
7年ぶりの全国大会の場に立てることに胸を張ろう。自分たちがやってきたことを信じよう。
1週間戦い抜こう。
日本一獲ろう!!!
追伸
幹部の3人へ
まずここまでわがままな俺について来てくれてありがとう。ぶつかることもあったけど、俺らってほんまに絶妙なバランスで丁度いいんやなって最近になって気づいた。
いつからか。みんなを支える側の俺が、いつもみんなに支えてもらってた。
うちの幹部が1番や。
藤澤 プレーで引っ張るスタイルの駿平はみんなの憧れやった。バッティングであかん時はピッチャーで貢献して。またそれの逆もあったり。散々な起用しかしてこんかったけど全国でもそれは変えるつもりないで笑
色々幹部のことでも助けてもらってありがとう。お前が副キャプテンでほんまに良かった!バッテリー組めて良かった。最後まで頼らせてくれ!
日高 日高は幹部で唯一冷静って感じ。
采配で困ったらいつも聞いてたし、組織のこともあかんとこはあかんってはっきり教えてくれた。最後までお前らしさでチームを救って欲しい!
すみれ まず3学年1人でここまでチームを支えてくれてありがとう。チーム状態の良し悪しに関係なく、ずっとみんなのファンでいてくれたことは間違いなく選手全員の力に変わってた。最後までみんなのファンでいてくれ!
柿沼 お前が主務になってくれた当初はほんまにどうなるんやろってみんなが思ってたな。でもそんなことに臆せず、毎日みんなとコミュニケーションを取りながら確立したお前の主務のスタイルはお前にしかできひんと思った。お前が主務で良かった!最後まで頼んだよ!
自分へ
初めは嫌々やった野球も今や大詰め。あの時野球を選択したこと。16年続けてくれたことに感謝してる。
野球を選択したおかげで、色々な人と関わって成長することができた。
今ではこんなに多くの仲間ができた。
自分を育ててくれた「家族、仲間、野球」に恩を返そう。
さあ頑張るか。













