いつもご声援ありがとうございます。


全日カウントダウン企画も残り半分を切りました。

9人目は、強面フェイスの人格者、坂木勇太(社4/三田学園)です!




 ​数々の苦悩と少々の輝きを添えて


こんにちは!

こしたんたんと全日ブログ閲覧数部内1位を狙っています坂木です。

一生懸命に書いてみたので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


野球を始めたのは、小学2年生の冬でした。友達に誘われたことがきっかけで体験練習に何度か足を運び入団を決意しました。小学生の頃の私はというと三振やエラーする度に泣き、さらに父から怒られて泣くといった泣いてばかりいた記憶があります。しかし、野球を始めたことで友達も増え、放課後にはプラスチックバットとグローブを必ず持って遊びにいくほど、野球をどんどん好きになっていたことは間違いありません。



中学生になり、三田リトルシニアという硬式のクラブチームに入団しました。同級生に知り合いはおらず、上手な先輩や同級生がたくさん居て、不安だらけの幕開けでした。そんな不安とは裏腹に、野球に対して前向きに取り組むメンバーたちに感化されるような形で、元々引っ込み思案だった自分が成長できたきっかけになりました。ただ、良い思い出だけではありません。全員正座した状態で1人1人愛のご指導があったり、厳しい上下関係、練習試合ですらなかなか試合に出る機会がなかったりと数々の理不尽や苦悩を堪能させていただきました。そのおかげなのかは定かではないですが、学校生活でも生徒会役員を務めるようになったり精神的な成長は少なからずあったと思います。最後の学年では絶対に指導者や周りの人たちを見返してやると腐らず練習に励み、最後の夏の大会ではレギュラーを掴み取り、ホームランを打つことができたり、チームの4番として全国大会に出場したりと最後の最後で一花咲かせることができました。三田シニアでの3年間は今の自分を形作った大切な期間でした。



高校は文武両道を実現するために三田学園高校に入学しました。毎朝の小テストや、朝練などで朝4時半起きが多く、家から約1時間半かかる通学中に勉強したり、寝たりとギリギリの毎日でした。野球部入部当初は、中学最後だけの栄光を引っ提げ、俊足、強肩、強打の外野手としてやっていく予定でした。大切なのでもう一度言います。その"予定"でした。当然ですが、そんな死亡フラグは即回収され、高校に入学し1年生の頃はほとんど試合に出ることなく、ボール回しがきっかけでイップスになり、周りへの罪悪感で自主練の時間をネットスローに費やすもバグりにバグった投げ方のせいで、肩を壊し、そこから現在までちゃんと腕が振れて、指にかかったボールを投げられた試しがありません。頼みのバッティングも結果の出ない日が続き、野球の残酷さを改めて痛感させられました。さすがにこの頃は本格的に野球部から離れたいと思う日が続いていました。けれども、仲の良い同級生や家族の支えもあって、「どうせやるなら、楽しまないと損する」と考えるようになり、なんとか前を向いて練習を重ね、コロナで大会がなくなりはしましたが、高3夏の代替大会では、満塁ホームランを打つことができ、色んな人から祝福してもらいました。当時の情景や打った感触は、今でも鮮明に覚えていますし、今までの苦労やがんばりもなんとか報われたかなと思えました。





そんなこんなで高校生活を終え、大学へ入学した私は、三田学園野球部での恩師がかつて所属していた準硬式野球部へ入部することになります。一時期は学年リーダーを務めることになったり、リーグ戦でベンチ入りできたりと様々な経験をさせていただきました。ベンチに入れた時には、試合に出る可能性はほとんどない私に向けて、スタンドから「坂木、肩作っとけー!」と全くもって意味のない声援を飛ばしてもらったりしていました。こういう声が何気に嬉しかったことを覚えています。最高学年になってから1年間はある試験へ向けて勉強をするため、部活にはほとんど行けなくなり、それまでボールやバットを握っていた右手はシャーペンを握りしめる日々へと変化しました。私が机に向かっている間に、チームは春リーグ優勝、そして全日出場まで決め、そんな関大準硬を見て、私も頑張らないといけないなと力をもらったと同時に、野球人生ラストイヤーを棒に振って良かったのかと自問自答したり、躍進するチームへの羨ましさもありました。迷いながらではありましたが、結果的に私も試験に合格することができ、関大準硬に入って、ここまで野球を続けてきて良かったと今では心底思っています。





​チームへの想い

まずは、最後の1年間を関大準硬部員としてチームに居させてくれてありがとうございます。1年前の関関戦で同期の幹部たちに事情を説明したことが懐かしく感じている今日この頃です。練習では、中継までスリーバウンドで投げたり、ボール3つの場面でボールはサードの頭のはるか上を通り過ぎたり、本当に迷惑ばっかりかけました。決してわざとしていたわけではなく、自分の右肩と指先が言うこと聞かないのが諸悪の根源です。つまり、自分のせいなので改めて本当にすみませんでした。後輩の皆もこんな自分と仲良くしてくれてありがとう。これから思い通り行かへんこともあると思うけど、あと一歩踏ん張って頑張ってほしいです。すばらしき同期の皆へ。文字通り皆のおかげで今まで野球を続けることができました。この学年ならではの強みが最大限発揮された結果が全日出場なのかなと思います。その雰囲気を作ったのは間違いなく福永を中心とした幹部や同期の皆やと思うし、だからこそ純粋に尊敬してるし、この学年の一員でいられたことを誇らしく感じてます。大切な1年間に何の力添えできなくて申し訳ない。他にも色々と迷惑かけました。だから余計に最後1年の身の振り方がこれで良かったんかどうか正直分かりません。それでも、将来この1年間があって良かったって胸張って皆に言えるようにこの先もがんばろかなと思ってます。この8月を最高の夏にできるようにスタンドから精一杯応援します!

最後に勝手ですが、ひとつお願いがあります。

自分はリーグ優勝したときに胴上げに参加できていませんでした。この全日で、日本一決めて胴上げっていう最高の瞬間を皆と迎えたいです!