仙人誕生
そういえばクラブ時代には毎年この4・5月から時期にかけて「プロフィール集」の様なものが発行されていたのう・・・。
このブログを見てくれている読者諸兄の多くはワシより下の学年であろう。
ワシのNPPデビューについてはあまり触れる機会もないであろうと思うのでここで取り上げてみよう。(別にいらんか・・。)
今でこそ「合唱部」って最初から言っても抵抗感じる子が少ない時代になっただろうが、20世紀はまだまだ無理であった。故に、勧誘は「遊びに行こう」「履修の組み方教えてあげるから・・・」という騙し騙しの戦法で「何部ですか??」「いやー、それは・・・」というのが定説であった。
ワシも例外にもれず、「クラブの勧誘でしょ?」とたずねたが何部かは教えてもらえなかった。
あの時勧誘してくれたのが2人のおねいさんじゃなかったら付いて行ってなかっただろうな。
しかし、一度遊んでしまうと大学に入って間もないころなのでそこがたまり場になってしまう。
そして直に馴染んで行き、他の部を見たりする気も薄れてくる。
やがて同回生の一人・二人が先陣を切って入部届けを出す。
ワシも結構早いほうであった。回りがなかなか出さないので起爆剤になれば・・・と思ったのだが。
フェアウェルでもやったとおり、1回の頃はテナーはほぼワシぐらいしか練習には来ていなかった。
他の同回は下宿生ばかりで、バイトメイン。
1回の頃がある意味一番真面目やったかな・・・。楽譜に書き込みしたり。。。
それ以後はなまじ実力が付いて来たために、ある程度は直感や感覚で分かる様になり結構適当なところもあったな。
そんなクラブ生活が卒団とともになくなり、就職もし、仲間とも離れ離れになり、仕事も辞め、人付き合いというのが皆無なほどなくなり、家が山奥の方であることから「仙人」となったのである。
「仙人」という表現はかつて同回生の一人が部屋にこもりっきりであまり外出しない様を見て山厘君が発した言葉を起源としている。
今、再就職もし、山から出て都会にすんでいるものの、状態は仙人から脱出していない。。。
仕事と睡眠の繰り返し。。。
何とか打破して「休日」は「休む」ものではなく「楽しむもの」としたい。
やはり、連れや女を作ることか。。。。