海川山野 漁人

海川山野 漁人

四季折々酒肴探求

林道犀鶴線、赤倉山(標高549M)周辺には

赤倉みはらし広場が整備され駐車場、木製のテーブルとベンチが設置されて居る物の近年では経年劣化激しく

林道を国見集落方面に降ると右手に国見山散策路入口の標柱。

(標柱から数百メートル集落側に駐車スペースアリ)

この秋に方々で見掛けるシバ栗のイガの小ささが気になる所

此処の所の雨続き

各種雑ゴケ(きのこ)の発生目立ち

下草も良く刈られ灌木も切り倒された手入れの行き届いた散策路

国見集落では古来「蛇」に纏わる伝説、伝承多く平沢川最源頭は蛇谷と呼ばれる土地柄。

数年振りにマムシに遭遇、この程度の距離の場合一瞬で飛び掛かつて来てカツンと当ったと感じたら既に咬まれているので要注意、足回りはファッション性よりもマムシを弾くゴム長靴が最強アイテム。

沿道の植生は似た標高の倉ヶ岳、戸室山、キゴ山と比較すると最も人の手の加わった里山要素が濃厚でブナは見られず、辛うじてミズナラ、朴ノ木、スギ植林、林床はツバキ類目立ち、ススタケも見られず、赤松混じりの広葉樹林が特異的とも感じ。

国見山山頂の三等三角点(標高556.7M)

送電線巡視路も兼ねて居て電力会社設置の看板が送電線手前にアリ

国見集落を経て平集落に降り、以前立ち寄った「山のパン屋さん」は残念ながら盆休の様子、弘法の水で喉を潤し。

加賀二俣地区然り、市街地からほんの20分程進んだ山間集落に伝わる民間信仰や伝承の数々が今まさに消え去ろうとしている瀬戸際の感。

大師像(地蔵菩薩)の下の銘板に刻まれた地元伝承が興味深く。

世間様では連休後半、13日が自分的4連休初日。

特にする事が無いので2022年の小松の水害時崩落した林道犀鶴線に4年振りに出向き。

路盤ごと完全に崩落した金沢側登り口の熊走りの小沢付近、想像以上に元通りに復旧して居り驚き!!

砂防堰堤の落ち込みの溜まりはさすがに埋没。

水場付近の小屋は撤去され畑と物置のみ残存。

この位置から望む戸室山とキゴ山は同じ様な山容に見えるのが面白く、、、

医王山系の山並みの全貌を把握し易いのもこのエリア

水葉山前衛、若かりし頃熱を挙げた尾ノ谷、中ノ谷、ジュウロ谷を見下ろしつつ思い返し、、、

犀鶴線林道延伸により分断、埋没した蛇谷の大滝は落差60mで以前は金沢最大級の知られざる名瀑、その名残りを真近に眺め。

大聖寺散策の帰途

国道8号線沿いには飲食店が少ないので県道292号より国道305号線に入り

昭和食堂様にて昼食。

夏休みの家族連れで大変な盛況。

暑いこの時期自分的にはラーメン一択!!今回は塩ラーメンにライスとギョウザ。

夕刻自宅に戻ると天井の蛍光灯が遂に故障。

取り敢えず取り外し、無資格の電気工事は火災保険が利かない等リスク大きく、簡単な作業ながら一考。

今回の大聖寺散策

日程が詰まったので中屋宇吉郎雪の科学館はまたの折とし

深田久弥 山の文化館に程近いエリアに絞り

長流亭

長流亭横の江沼神社の境内などは整備すれば多くの人を惹きつける宝と感じ。

江沼神社 何やら勝負事にも御利益がありそうな。

戦国時代溝口氏(新発田城も溝口氏)が築いた大聖寺城

幕末の動乱を経て

今は訪れる人も稀

大聖寺の城下町を一望する眺望

今期始めて見た彼岸花

本丸の鏡石が往時の名残り

城下町としての知名度が低い大聖寺。

金沢城の様に再建したらどうなるだろうか?と妄想に浸り。

金沢に住んで居ると意外と出向かぬのが大聖寺。

中世以前は金沢よりも拓け吉崎御坊など北陸全体に影響を及ぼした程、江戸時代には大聖寺藩10万石と独自の文化を感じる土地柄。

8月11日の山の日に訪れたからと言う訳では無いにしろ

この機会に深田久弥 山の文化館様に足を伸ばし。

明治43年に「山長株式会社」として建てられた立派な建物で、石倉と門は国の登録有形文化財。

文学者であり俳人であり登山家でもある深田久弥

史料分権室(九山山房)は圧巻の蔵書。

愛用品の展示、国土地理院地図の使い方に唸る。

鎌倉文壇との交流、自分的には高校生の頃愛読した日本百名山

その成り立ちの過程が興味深く

山と高原の連載によって完成した事を知る。

石倉の展示の所縁の品々に見入る。

喫茶 聴山房には山で果てた深田久弥の多彩な人との交流や人となりがうかがえる展示。

こぶしの花と木蓮、自分もこぶしが好み、さらに親しみを感じ。