困った人 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

人には必ずと言ってよいほど 困った人がおります。

心配な人 気掛かりな人と言うのでしょうか。

それは親だったり子どもだったり 兄弟姉妹だったりとそれぞれ

違っておりますが、必ず身内に一人はいるものです。


そういう場合 自分は幸せなのに、自分だけが幸せでいる事が

申し訳なく思ったりするもので、どうにかして気掛かりな人が

幸せになってくれないかなぁと常に心配し 気を揉まなければ

なりませんね。

人は本当は自分の事だけで精一杯なはずです。

けれど気掛かりな人の分まで 心配し気を揉まなければならないので

いつしか抱えきれない深い深い悩みとなって付きまといます。


身内だから放っておく事も出来なくて、自分ではどうする事もできない

事を心配して生きることは、とても辛い事だと思うのです。

でもね、わたしはいつも思うのです。

気掛かりな人は、本当はとても幸せなのかもしれないなぁと

思うのです。

その人は自分の事だけを考えて 自分の事だけを心配している

事が多いので、周りの事で気を揉む事もなく、周りがどれ程

心配しているかなんてあまり考えた事もないかもしれません。

本当は誰よりも幸せなのかも知れないなぁと思うのです。

何もしてあげられないと心配し気を揉んでいる周りの方が 

もしかしたら気の毒かも知れないなぁと思います。


わたしも20代からずっと身内の事で気を揉んでおりました。

困った人の行く末がどうなるのだろうと案じては 心配し気を揉み

けれど何も出来ない自分がいて、「心配」でも「何もしてあげられない」

いつもその事が頭の片隅から離れませんでした。

自分の家族はそれなりに幸せで 困ったちゃんさえしっかりして

くれたなら 心配する事はないのにとずっとそう思っておりました。

何でしっかりしてくれないのだろうかと腹立たしく思う事もありました。

でもね、ある日気付くのです。 

困った人を心配してる半面 本当は自分が安心したいから 気を揉み

たくないから ラクになりたいから自分の都合の良いようになって

欲しいと思っていたのだと

本当は自分がただ安心したいから、それを困った人に要求している

という事に気付いたのです。

それは永遠に合わないパズルを押し付けているようなものかもしれません。

それはね お互いにとてもしんどい事だと思うのです。




困った人がいる事は どうする事も出来ないのです。

あなたがどうこうする事なんて 出来なくてね

祟りだからと誰かに頼んで拝んでもらっても

カルマだ因縁だとお祓いをしてもね、それはどうする事も

出来ないのです。

そんな事では決して解決なんてねしないのです。


困った人と思っているのは、自分だけで当の本人は困っていないの

ですから、本当はその人は幸せなのです。

周りが安心しても 心配しても同じであるならば どうか気を

揉まずにいられたら良いですね。

必ず身内に一人はいるのだそうです。 

それは自分の魂の成長かも知れませんし、そこに捉われずに

上手に自分を安堵させる あなたやわたしの今世の宿題のような

ものかも知れませんね。





青い空とメタセコイヤの木がきれいで、信号待ちをしながら

写メを撮りました。

先日茨城のJさんに 「きれいなんていう木ですか?」と聞かれて

「ヒバか何かでしょうね」 と適当に答えてしまいました。

後から家族にメタセコイヤと教えられて 一度絶滅して化石の中から

生きた種子が見つかって いま沢山生息しているのだそうです。

あの木の向こう側が我が家です。

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皆さんが下さったリースや置物 階段の吹き抜けに飾っております

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寒い日が続くそうです、どうぞ風邪を引かないようにされて下さいね。

ありがとうございました。