魂と精神 | 光の記憶 魂の記憶 まさよのブログ

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不思議なこと、光のこと、愛のこと 神さま綴り 

わたしはお会いする人に「魂と精神は違うよ」ってよく言います。



そうすると、殆どの人が「えぇ~~わからない」って言われます。



魂と精神は違うというと、みなさん「難しいね」って言われます。


(魂と精神を 心理学でいう潜在意識、顕在意識と同じと言っていいのか、

わかりません。  ただわたしは、魂と精神と言っています。)



わたし達は、自分の体を持って生まれてくるまでは、光の中で愛とひとつでした。



その時まで、自分がなんなのかを、わたし達の魂は知っています。


自分が誰なのかを、魂は知っています。


全ての感情を創ったのも、愛(神さま)で、心地よい感情も、時に


苦しい感情ですら、愛なのだと 魂は知っているのです。




生まれて来るとき、わたし達は記憶を消して生まれてきます。



そうしないと、愛がなんなのか再び知ることが出来ないから 愛を知って感動する


ことが出来ないから、 だから記憶を消して生まれてきます。

(体を持った瞬間から、魂ではなく精神が中心になります。)





「うれしい愛も、苦しい愛も全て経験して、再び自分が愛だった


ことを思い出したい。 愛を知り再び感動したい。」




そして生まれてくるとき、約束をして生まれてきます。




「あたなに心地いい愛を与えるよ。あなたに愛の感動を与えるよ。」



「あなたに意地悪して、あたなに人を憎いと思う愛を与えるよ。


憎いという感情に悶え苦しむことを経験させるよ。」




「だけど、忘れないで いつもいつでも、あなたを愛しているよ。」



「どうぞ 体を持ったとしても、自分が光だったこと、愛だったことを 


必ず思いだして。」



そういって約束して、全て選んで生まれてきます。





わたし達は、誰かに意地悪されたりすると、その人が嫌いに


なります。 


自分を わかってもらえないと怒りを感じます。


大っ嫌いって思います。  あんな奴いなくなればいいのに


って思います。 顔も見たくないって思います。




それは、頭で考える いまの体の精神(意識)です。


精神がもたらす感情です。




精神は、あの人が嫌いって思う そのことでクタクタになります。


精神は、体を支配しているので、その精神の疲労で体まで


辛くなります。





けれども魂は、すでに知っているから、あの人が意地悪する


ことは、すでに約束して決めてきたこと。 


あの人が嫌な役を 引き受けてくれてたことを既に知っているのです。




そして魂は、自分が愛だと既に知っているので、優しくされたり


愛されたり、誰かを愛したりすることに、感動で魂は震えます。


愛に触れることで、魂は感動で震えるのです。




そうしてわたし達は、いろんな愛を 日々の生活の中で


常に経験しているのです。  光に還るその瞬間まで。




そして光に還ったとき、神さまに伝えるの「愛を再び思い出せたよ。」


「たくさんの愛をもらったよ。」 「たくさんの愛を与えたよ。」


「たくさんの感動で震えたよ。」 

 



わたしたちの目に映るのも全てが愛ですね。





昨日は、いちごわんわんの病院の日でした。



病院の待合室に、よたよたと歩くワンちゃんがいました。


きっと、もう年老いているのかも知れませんが、心臓も悪い


ようでした。




わたしとそのワンちゃんの距離は、1mくらいだったのですが


目の前で遠隔でレイキを流しました。




遠隔で流す場合は、普通は自分の体に手を当てて流すのですが


1m先のワンちゃんだったので、そのまま気付かれないように、


ワンちゃんに手を向けて流していました。



そしたら、ワンちゃんがわたしの方をじっと見ているんです。



そしてワンちゃんとわたしの1mの間に、きらきらとしたものが


見えたのです。


キラッキラキラキラッキラキラて、たくさんのきらきらが見えて、きれいだなぁ


って思ったんです。



動物もわたしたちも 同じ光なんだなって、同じ愛で出来ている


んだなって再び教えてもらいました。




ぼ~んやりのお天気くもり


今日の日も 大好き、感謝でありがとうドキドキ


お手数をお掛け致しますが


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