解決していない課題は

遠慮なく毎日にとぐろを巻いてます。

そこにまだいたのかと追い払えないもののように

積み残しのない毎日を送りたいけれど

おろし忘れのない過ごし方を邪魔しているのは

 

「オンオフ」であり

「出し入れ」であり

「使う、使わない」の切り替えが

とてもややこしくなりました。

 

でも、前提大きな流れは間違っていないと思うので

安心してください。

 

流れは間違っていない

ただ、今するべきオールの漕ぎ方が

あっているのかどうかのところです。

 

激流であっても、ふとさかのぼり

通過すべきポイントを逃していないか

 

でも、今年ブログを書き始めたときに出している

結論。

 

よけて通っても

時と人と場所を変えて繰り返されることは

腑に落ちているので。

 

今一番の課題として

わたしが見ている社会は

ものすごく偏っている自覚が増えたということです

 

自分の思っている以上に

ネットワークに触れている

 

情報や確認やコミュニケーションでアクセスする分には

道具として便利なのだけれど

 

視界に入る情報が

自分の意図以上に偏っているなあと

とても感じます

 

それは良い部分では快適

でも落とし穴もたくさんある。

 

目にしても確認せずに意識に刷り込んでいる

要素が

 

かなり多い

 

「あれどうしてそうなったっけ」と

振り返りができているようで

できていない。

 

細かく言うと

個人の振り返りはできていても

全体の面で把握しているところが

とても「手に負えなく」なっている気がします

 

なぜならば

加速度がついた認識は

「そのこと」を会話しようとしても

すでに通り過ぎ去っていて

誰も気にしない

気にする暇もない事象が起きている。

 

それは「よっぽど暇なのねこんなニュースを」と真逆に

毎日毎日「更新情報」を耳にして目にして

 

無意識に

私たちは、あるいは私は

 

最新情報を気にする時間が長いと

麻痺していく

自分の頭や心に従来と同じような密度で

物事をとらえたり、記憶することが

だいぶんできなくなっていると思っています

 

なので、あえて細かく

あの時からの「あれどうなった」を

細かく追いかけて

書いてみることにします

 

あの時のあれとは

 

「特措法発令のときになぜ霞ヶ瀬は一文を加筆したの」

 

を話題にしたのは4月の一週間だけでした

そのあとは触れずじまい。

 

「地方は都度国と相談をする」

引用元は元大阪市長橋本氏の記事からでした

 

わたしは次男の挙式キャンセル問題の解決に

経産省から消費者庁、都庁、府庁、公正取引委員会と

事例と進捗をおいかけながら

 

どこに行政のつらいところ、問題点があるのかを

見つけようとしていた頃の話でした。

 

その半年後により密接に行政と関わることになるとは

思っていなかったけど

 

私たちのビジネスシーンでは契約文言は

合意にいたるまで何度も双方でチェックはするし

条件についても修正もする。

 

でも、国が地方に相談することはない

 

「書いてある」からと

にべもなくないた事業者はこの数十年でも

やまほどいるだろうし、その多くはチェック不足とも思う

 

私たちの暮らしの「不安」などの根底に

「公的」な物事の進み具合は

少し距離がある。

 

なんなとく近く思うのは

メディアの記事が毎日毎日

手元に届くから近い気になっているだけで

そのほとんどはコミットできていない

 

ひとつひとつを積み上げて

会話をするにも

相手がそれを知らなければ

 

なかったことと等しい。

 

そして、知らないことに対して人々は

まず「受け入れる」ことは少ない

 

よく認知の獲得と言われるけれど

この認知のエリアが

 

大きくルール変更されている去年だったと思います

 

吐露はいずれかに整理を目指します

今日一日や明日の心構えに昇華していきたいと思います