おはようございます、カイラです
突如新しく始まった「二本松ぶらり」
私は今年初めから半年を費やし(実際には5日)やっとある目的を遂行した。
なので、あとはのんびり観光をするだけです
私は駅前の有料駐車場に車を停め、二本松駅前にある二本松神社に参拝に行く事にしました。
【鳥居と社標】
本当に駅前で…
駅からテクテクと歩いているとあっと言う間に到着
地名が付いている神社なので大きい神社だろうなと参拝前から想像していました
【由緒書き(歴史)】
何となく・・・
私の記憶では畠山氏は伊達家に潰された記憶が・・・
ちょっとウキペディアで調べますか
下記の内容は二本松神社とは一切関係ない内容なので、参考程度で目を通してください。
「ウキペディアより」
天正13年(1585年)、伊達政宗が岳父・田村清顕と共に大内定綱を攻めると、定綱と姻戚関係にあった義継も政宗から攻撃を受けた。義継は政宗に降伏を申し出たが政宗は義継を許さず、二本松付近のわずかな土地を除いて所領をことごとく没収し、大名としての地位を維持できない状況にまで追い込もうとした。この条件は政宗の父で隠居の輝宗や伊達成実らの斡旋で緩和されたものの、政宗を深く恨んだ義継は、10月8日に宮森城に居た輝宗の許へ参上した際に、輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとしたが、途中の高田原で政宗に追いつかれ、輝宗と刺し違えて死んだとも、あるいはこの時輝宗もろとも射殺されたともいう(粟之巣の変事)。享年34。義継の遺体は政宗により斬り刻まれ、その上、藤蔓で繋ぎ合わせて無残に吊るされたという。
政宗…随分と怖い事をするな…
【二之鳥居】
こんな関係ない内容を載せてしまって大丈夫だろうか・・・
なので、二本松神社もウキペディアで調べたので掲載しておきますね
「ウキペディアより」
旧二本松藩の総鎮守として信仰され、熊野宮と八幡宮が合祀されていることから『御両社』とも呼ばれた。
社伝によれば、創建は久安年間とされ二本松に地頭として入った安達盛長が塩沢田地ヶ岡に居を構えた際に熊野権現を「熊野宮」として祀ったことに始まる。その後、奥州探題だった畠山満泰が田地ヶ岡から白旗ヶ峰に居を移し、二本松城と称した。この際、「熊野宮」も城内に遷座、畠山氏の氏神である八幡大神を祀る「八幡宮」と合祀された。
寛永20年 (1643年)、二本松藩の藩主として入った丹羽光重は扶持米80石と社領25石を寄進。祭神の霊夢を見て社領50石をさらに寄進し現在地に遷座させ、二本松藩の総鎮守として領民が誰でも参拝できるよう解放した。 光重はこの時、歴代城主の守護神であった八幡宮を下座である左側に、領民の守護神であった熊野宮を上座である右側に祀った。
寛政6年 (1794年)に火災によって社殿が消失し、文化3年 (1806年)に現在の社殿が再建された。参道の随神門は翌年の文化4年(1807年)に建てられたもの。
【祭神】
熊野宮…伊邪那美命・速玉男之命・事解男之命
八幡宮…品陀和気命・息長足姫命
【狛犬】
【石段】
神社仏閣はどの季節に訪れても映えますね〜
【隋身門】
さて、拝殿に向かいますか
だけど、本日は時間がないので申し訳ないのですが…
区切らせていただきます
「続く」
それでは本日も良き1日にしてください
全てに感謝です