私は現在、住宅型有料老人ホームの施設長として働いています。
介護歴は約10年くらいになります。
なぜこの介護の仕事についたか思い返してみると、
本当にきっかけは単純な興味からでした。
介護保険法ができ、「福祉」という分野がクローズアップされ始めた頃、私は中学3年生。
母「高校どこ行くの~?」、 私「ん~…近くの高校でいいかな~。福祉科に行ってみようかな~」
となんとなく「福祉」の道に興味をもっていました。
結局、高校は近くの福祉科に進んだのですが、
高校で学んでいくうちに「もっと学びたい!」と福祉に興味を持った私は福祉大学へ進み、
そこで、ご自宅で生活する障碍を持った方々を支援するボランティアサークルと出会いました。
様々な高齢者・障碍者の方たちと出会い、「ご自宅で生活する障碍を持った方々をもっと助けていきたい。」
そういう気持ちが強くなっていきました。
「支える仕事」「助ける仕事」それが、福祉の仕事。
実際に福祉を、介護を仕事として働く前、本当にそう思っていました。
大学を卒業後、私は迷うことなく介護の仕事、最初は訪問介護に就職しましたが、
新人介護士として勤務する中、数週間で…そんな私の福祉に対するイメージが変化しました。
実際に仕事をしてみて、「支える仕事」「助ける仕事」という言葉ではなく、
「相手の考えていることや思いを読み取る仕事」「相手の体の一部になる仕事」
それが、福祉の仕事。深い「福祉」という世界に衝撃をうけました。
「こうしたいのに動けない。」「これを買いに行きたいのに自分では行けない。」
その気持ちを私が読み取り、理解する。思いを実現させる。 コミュニケーションを大切さを感じ、相手と私が通じ合えた瞬間に心が満たされる、なんとも言えない気持ちをはじめて味わえた時のことを今でも覚えています。
そんな私が在宅の訪問介護から施設の仕事に転職したのですが、
私の転機になった出会いをお話をします。
私が訪問介護担当したのはご高齢なご夫婦2人暮らし。
ご主人は脳血管性認知症、奥様は少し血圧が高いが元気な方で、今では、珍しくない「老老介護」でした。
認知症が日に日に進むご主人。いつもは奥様が支えてくださっていましたが、
元気だった奥様にも徐々に異変が起こります。普通にこなせていた家事ができなくなったのです。
奥様が病院にいてみると、病名は 「レビー小体認知症」。
幻覚がみえたり、時間がわからなくなったり・・・。「主人が愛人を2階に住まわせているの!」、と騒がれることもあれば、
外に出て、道に迷って、帰れなくなることも・・・そんな、毎日が続きました。
そしてご主人にも変化が訪れます。「胃癌」が発見され、ステージはだいぶ進んでいました。
訪問介護は毎日、数時間の訪問。「他の時間帯は、2人でどのように暮らしているのだろう?」と毎日考えました。
訪問介護のヘルパーは非常にやりがいもあるけど、それと同時にできることの限界を感じました。
まもなくご主人は亡くなられ、奥様は施設へ。
これを機に、私も在宅から施設へと働く先を変えました。
ご夫婦と過ごした数年間を思いながら、24時間接することのできる施設へ。
今まで在宅のときには入り込むことができなかった時間帯。
施設で働いてみても病を持ったお客様と向き合う大変さ、難しさに驚くことばかりです。
24時間接することがどれだけ大変なことも感じています。
経験から様々なことを学び、学ぶことで私は、変化してきました。変化し続けた結果、どうなるのだろうか?
いつもふとあのご夫婦のことを思い出します。
ご主人がなくなったことを忘れている奥様。
「あの人は、どこに行ったのかしら?」と笑顔混じりでご主人の話をしている姿。とても幸せそうだった。
訪問介護で貴重な体験をさせていただき、施設介護でも24時間接しているお客様が幸せそうに笑っている人たちと共に時間を過ごすことで、
私は、生きることに幸せを感じています。だから、私にとって、今の仕事は、「天職」です。
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