先日のボクシング世界タイトルマッチ、井岡VS八重樫、すごく良かったです。
試合は才能で圧倒する井岡選手がジャブで距離と空間を制圧します。
素人が見ても、八重樫選手は試合をコントロールできていない、組み立てられない、この試合で八重樫選手が勝てる可能性は・・・ない、
はれ上がった顔がそれを物語っています。一目瞭然です。
その時、八重樫選手が見せた姿は「必ず勝つ」という姿。ボクサー生命を失いそうだった時に支えてくれた妻と子供に「必ず勝つ姿を見せる、世界一の俺を見せる」という姿。
どうみても敗色濃厚な八重樫選手は、「負けた・負けている・負けるかもしれない」という考えを持っていない、勝つつもりでいる・・・・・
そこに熱を感じる、伝わってくる。こんな雰囲気を持っている人が私はすごく好きなんです。
スポーツや格闘技は何かを教えてくれます(=⌒▽⌒=)
個人的な雑感として、極限状況において人間社会でのサバイバルに必要な能力は「勝ち抜く能力」ではなく、「周囲から必要とされる能力」。
必要とされた時に、その人間が持っている可能性の最大限・あるいはそれ以上の力が出せるのではないかと思います。
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私が数学講師としてまだ経験が浅いころ、
「問題を解くという事に現役でいる事」
と教えてくれた方がいます。
常に生徒視点でものを考えるようにすることと、自分の技術・知識を継続して維持しておくこと、社会一般の勤め人とは違う方向性の努力を求められるのが、数学講師の仕事です。
今日は、早朝から京都大学医学部の過去問をまとめて演習しました。
いわゆる難関大学であっても必要とされるのは「論証力の強化(論理的思考の力)」「基礎的な計算力」「図形的判断力」であり、非常に基本的な事で定義・公式・記号の意味を理解しておくことが求められます。
ベクトルや微積・行列などの問題を見ても取り立てて難しい問題はなく、一方で誘導のない設問は増えており、論理の構成を求められている問いが増えたかなと思います。
数学を勉強することは、思考と論理の力を磨いて判断能力を高める事であり、その部分が求められています。
もっとも学生であれば、受験期でもいろいろともっと自由にやっていたいと思うかもしれません。
ただ、ある程度年齢を重ねると
今の社会での「自由」とは「自分の未来をあれこれ想像出来る事」だと思います。
具体的に想像することのできる限界がその人間のできる事の限界です。逆説的に考えれば、どんな環境であっても捉え方を変え、置かれている状況に対しての自分なりの考え方を見つけることができれば、可能性は無限に大きくなってきます。
想像力を持つためには、自分の中に「軸」が必要。積み重ねたものが必要。自分自身をコントロールすることが必要。
数学はその一助になります。
(8月23日、KAI算数数学教室稲毛校をオープンします!)