仕事が休みの土曜日、早起きしてスポーツクラブへ…。
朝イチでアクアビクスのレッスンを一本だけ受けた後、歩いて戦争遺跡「熱田空襲跡の碑」を見に行きました。
先週末から小さなことでくよくよしていたので、ジム帰りの「道草」で気分転換です。
曇りでしたが、歩き始めて直に汗が…。
キャップ、忘れた…。
ハンドタオル片手に歩くか!
土曜日の午前中とあってか堀川沿いは人通りもなくとても静かです。
普段騒々しい職場で働いていると、穏やかな水面を眺めながら歩いているだけで心が落ち着きます。
これも「道草」の効能でしょう…。
熱田空襲について調べてみました。
熱田空襲(あつたくうしゅう)は、名古屋大空襲のひとつ。第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)6月9日、名古屋市熱田区の愛知時計電機船方工場・愛知航空機(現愛知機械工業)工場周辺にアメリカ軍が行った空襲。攻撃は旧日本軍の隙をついた形で行われ、多数の犠牲者がでた。
当時、アメリカ軍の爆撃機がマリアナから大阪・名古屋に来るときは、都市を避けて琵琶湖を目ざし、琵琶湖上空で大阪方面なら西南、名古屋方面なら東南へ進んだ。熱田空襲の6月9日、アメリカ軍爆撃機130機が琵琶湖方面へ向かうのを発見した旧日本軍東海軍管区は空襲警報を発令、その後爆撃機が西南(大阪方面)へ向かうのを見送り空襲警報は解除された。 ところが、130機のうちの40機は突如進路を東南(名古屋方面)に変更、その日は気象条件も良く名古屋まで一気に急襲した。空襲警報解除から約1時間後の午前9時30分頃、流星等を作っていた軍用機メーカー愛知航空機の工場ならびに住友金属工業名古屋工場などの船方町(現一番町周辺。交差点名は残っている)、白鳥橋周辺を爆撃した。思いもしない突然の空襲に旧日本軍も対応が遅れ、空襲警報解除に安堵していた人々も逃げ遅れた。 結果、愛知時計電機・愛知航空機工場で働いていた従業員や動員学徒約2万2000名のうち1045名が死亡、重軽傷者約3000名、周辺住民も数十人死亡した。従業員や周辺住民あわせて約2000人が死亡、重軽傷者約2000名との説もある。国宝に指定されていた熱田神宮など文化財も被害を受けた。
今年は学徒動員で被災した先輩方のために中京高校の生徒さんが慰霊に訪れたと新聞でも報道されていました。
中京大学附属中京高校の生徒会役員11人は、熱田空襲から77年となる6月9日、名古屋市熱田区白鳥橋の「千年プロムナード」にある慰霊碑を訪れ、平和への思いを新たにしました。
今回の慰霊は、本学100年の歴史を調べていた生徒が、2000人を超える熱田空襲犠牲者の中に学徒動員で従事していた本学の先輩(中京商業学校)98人が含まれていたことや、毎年現地では慰霊祭が行われていることを知り、生徒会として慰霊を行うことを提案して実現しました。 慰霊祭当日は、始業前に生徒会長の和泉星来さん(2年)が全校放送で平和へメッセージを送り、全校生徒で黙とうしました。その後、慰霊碑を訪れ献花しました。 参加した生徒は、「今回、熱田空襲跡の慰霊碑などを見学することで、戦争の悲惨さを認識し、全校生徒で平和な社会を永遠に築いていく気持ちを高めたい」と語りました。
「世界中の戦争がなくなりますように…」
私も合掌しました。
歩いていろんな景色を眺めていたら小さなことでくよくよ悩んでいたことが少し吹っ切れました。
これも「道草」の効能です。
更に悩みを吹っ切るには「食べる」こと!
お昼ごはんは名鉄神宮前駅横にある博多ラーメンを頂きます。
お隣は「ハリガネ」を注文していました、強者です。
「黒わらび」はとてもモッチリとしたわらび餅、
「ほうじ茶 きよめ餅」はほんのりほうじ茶味と、
どちらともとても美味しかったです。
「道草」効果でとても良いリフレッシュができました。
これからも「道草」で、小さな非日常を楽しみたいものです。