祈りによって交通事故から幾度も守られる | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

交通事故

86年頃、私の信仰の友が東京より来て証しをして呉れた。

彼の息子さんが友達3、4人を車に乗せてドライブしていて、ガ-ドレ-ルか何かにぶつかって車は大破したが、幸い誰も怪我は無く、神様に感謝したとの事であった。

それを聞いて私は自分の過去色々の交通事故を思い出して、

(それでは私はどう言って神様に感謝を捧げれば良いのだろうか?)

と考えさせられた。

私は車を運転しだしてもう30年以上になるが、その間当てられて少し傷がつき修理してもらった事はあるが、自分が加害者になった事は一度もない。

と言っても事故は何回も起こしているのであるが、事故にならないのは左記の通りである。


(1)もう20年位前の事であるが、軽四に牧師さんを乗せて神戸市内を走行していた。

道の悪い所で、突然車が1m位左へすべった直後、右側すれすれに大型トラックが通り過ごして行った。

何故左へ滑ったのか全く見当がつかず、車を停車させてタイヤ等色々みたが、判らなかった。

只、結果的には、もし左へ滑らなかったら、大型トラックに追突されていた事は確かであった。


(2)前記と同じ牧師さんを乗せて乗用車で大阪郊外を夕方走っていた。

交差点で右折車が私の車とぶつかり、その車はかなり大破した。

私の車とぶつかったのは確かであるが、私の方は全く傷が見つからず、同乗していた者全員、不思議に思うだけであった。

次の日、明るい時、良くみたらバンパ-の鋲の頭が5ミリ位すり減っており、バンパ-も少し曲がっていた。車同士がぶつかって一台は大破し、もう一台は鋲の頭がすり減るだけの事故はあるだろうか、と非常に不思議に思った。


(3)大阪市内を走っていて、ダンプカ-と側面からぶつかった。

バリバリと大きな音とショックがあったので、お互い車を停めて破損状況を調べたが何処にもなかった。

私の車のドア-には横に帯状に泥が付いていたが、拭いたら全く跡形も無くなった。

ダンプカ-があわてて車を停めて調べる程のショックと音があったのは事実だし、どんなに良く見ても何の傷もないのだし…。


上記の事を思い出して、教会で証をしたが、殆どの人が信じていない様であった。


追記 00/N

(4)ワンボックスカ-に乗っていて、私は誤って教会のガレ-ジに突っ込んでしまった。

ガレ-ジの入り口は車高よりも5~10センチ低いので、いつもは入り口に停めてあった。

ガリガリと大きな音がして、あわてて車を引き出したのだが、車の屋根には全く傷はなかった。筋すらついていなかった。

階段から良く見える所であったので、4、5人の人は見ていたのだが(長さ1m位、屋根が凹んでいて当然なのだが)。


97年9月

教会の老婦人が天に召された。

葬儀の時、遺族が遺品の話しをしてくれた。

かなりの年月にわたり、教会員の車の運転者全員をノ-トに書き出し、毎日祈っていたとの事であった。

その時、私の不思議な出来事の理解が出来た(この人の祈りがあったから)。

その後、何度も車を当てたりこすったりしているが、不思議は全く起こらない。