
マナカードとかヨガとか、
僕がスピリチュアルに傾倒していると見る人も
いるかもしれませんが、
もともとはスピリチュアルのスの字もないというか、
スピリチュアルなんて
胡散臭いと思うタイプでした。
お寺の幼稚園に通っていたり、
心が優しい祖母の影響で、
仏壇の前にきちんと手を合わせる子どもだったし、
神社仏閣は好きでしたが、
取り立ててスピリチュアル云々みたいなものを、
意識したことがありませんでした。
そんなとき、ふとした流れでヨガに触れ、
心身の変化(特に心の大きな変化)を経験したことで、
スピリチュアルという領域を強く意識し始めました。
心身共に整った状態になってきたとき、
不意に友達からマナカードのレッスンに誘われ、
マナカードが何なのかもわからないまま、
ふたつ返事で参加しました。
マナカードを通じて、
ハワイの哲学について勉強していくうちに、
物質世界と精神世界の境目が、
僕の中ではもともとないから、
だからわざわざ「スピリチュアル」みたいな
特別視をしていなかったことに気づいたのです。
「スピリチュアル」みたいな言い方で、
崇め奉ったような取り扱いをすることは、
僕の中でちょっとした違和感を感じます。
今までマナカードやヨガを始めてから、
さまざまな人に接してきましたが、
現実逃避や言い訳のために、
この単語やその世界を使う人も
少なくないと思っています。
先日、とある方からお仕事絡みで、
かなり横暴で失礼なメールをいただいたのですが、
とにかくその横暴さを
スピリチュアルで誤魔化している文面に、
正直、うんざりしました。
物質世界と精神世界の境目は、
人間が勝手に作りだした錯覚だという意味を持つ、
鳥の羽根のカード(25 Hulu)が、
マナカードの中にもありますが、
僕はその感覚がしっくりと来るのです。
だから、スピリチュアルというものを、
現実逃避のツールに使うこと自体、
僕には理解できないわけです。
僕がお世話になっているヨガの先生たちも、
物質世界と精神世界の境目がない、
バランスが絶妙な方ばかり。
知らず知らずのうち、
そういう先生を自ら選んでいたのだと思うのです。
精神世界に傾倒してしまっているもの。
物質世界しか観ていないもの。
どちらも僕には、無理です。
マナカードもスピリチュアルなエッセンス満載で、
怪しげな演出をしようとすれば、
いくらでもできるでしょう。
でも、僕にはそれができません。
最近、脳科学や精神医学の本を、
ちらほら読んだりしている中で、
そういう境目がないことをさらに実感しています。
ハワイ生まれのマナカードと
シャーマンの石で、心のマッサージ。
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