7/21日曜日

青春18切符で
特に行き先を決めない日帰りの旅の
続きですニコニコ


気まぐれな旅で…
何もわからず写真に残していましたが

ブログを書く事で
あとから調べたり考えたりして
色々な事がわかって楽しいですニコニコ


松阪駅でランチを食べてから

名松線(めいしょうせん)に乗って
終点駅の

伊勢奥津に行きました
名松線の途中の駅は小屋のようでしたが
この駅は大きくて綺麗ですニコニコ



名松線はどうして名松線というのか
不思議でした
名古屋と松阪…でもないし

調べてみると

ハート

名松線は松阪から名張までを結ぶ計画だったことから、両地名の頭文字を取って名松線と名付けられた。1929年に松阪―権現前間が開通したが、翌1930年に参宮急行電鉄(近畿日本鉄道の前身)が先に名張―松阪間を別ルートで開通させた。そのため名松線は、1935年の伊勢奥津間までの延伸を持って、名張までつながることなく、終わってしまった。

都市間を結ぶ構想がついえた名松線は利用者が伸びず、国鉄時代には廃止対象となったことがある。その後も利用者は年々減少の一途をたどり、被災前の家城―伊勢奥津間は、1日の乗車人員わずか90人という全国屈指の赤字区間だ。

そこへ2009年10月に台風が直撃。線路内への土砂流入や盛土の流出など被害は甚大で、復旧費用が膨大な金額に及ぶことは容易に予想された。被災後はバスによる代行輸送が行なわれていたが、このまま復旧されないかと思われたが、「鉄路を残さなあかん」と5900人の沿線住民が立ち上がった。

復旧に向けた運動は三重県全体に広がり、2009年11~12月に11万6268人の署名が集まった。沿線人口をはるかに超える数字だ。

沿線住民の要望に対して、JR東海は「鉄路の維持は社会的使命。赤字という理由だけで廃線にすることはない」としながらも、「鉄道を元通りにするだけでは安全運行できない」と、懸念を示した。「家城―伊勢奥津間は山林を含めた周辺部が鉄道に与える影響が大きい。治山、治水対策は、県や自治体が責任を持って復旧してもらいたい」。とした。

工事は2013年5月にスタートし、被災から6年5カ月かかって再開。費用総額は17億1000万円だ。三重県が5億円、津市が7億5000万円、JR東海が4億6000万円を負担した。

ハート東洋経済オンラインより部分引用ハート

長くなるので
記事を3割くらいにまとめました


名松線は歴史ある鉄道で
たくさんの人の思いがこもっている事が
わかりました
2016年に運転再開とか
最近の事だったのですね
今回乗る事ができて良かったですニコニコ


伊勢奥津駅は
駅前の観光案内所では
電動アシスト付き自転車が
無料貸し出しされています

売店ではお茶やあまごの燻製なども
販売されていました

冷たいお茶もいただきました照れ

伊勢奥津の滞在時間は35分間です


駅の近くに不思議な建物があるので
近づいてみました

こんな立て看板もあります

給水塔

蒸気機関車に水を補給し蒸気を沸かした
全国でも数が少ないもので
最盛期の名残が写真で偲ばれます

と書いてありますニコニコ

昔はここまで蒸気機関車が
走ってきたのでしょう


伊勢本街道
奥津宿が何軒かあります

伊勢本街道とはなんだろう…
と調べると

大坂玉造稲荷神社から各所を経由し、奥津津市)経由で最終的に伊勢にいたる街道。

ハートWikipediaより

大阪からのお伊勢参りのルート
だったのですね
お伊勢参りは
江戸時代にブームとなったようです

それでいくつかの奥津宿も
残っているのでしょうね

雲出川
水の色が綺麗です



この辺りは
まるで時代村のようです


宮城橋

昭和元年十月と書かれています

この橋がない時代は
川を歩いて渡ったのでしょうか

河鹿とは
鹿の声のような鳴き声のカエルのようです
恋の歌が歌われていますニコニコ



伊勢奥津を出て
帰りの車内で

突然電車が止まり
警笛が鳴り続けていました

なんだろう?と思って
前に移動すると

鹿が二匹、線路を横断していました

携帯で写真を撮る私に配慮してくれたのか
少しの間、警笛は鳴りやみました


不思議そうにこちらを見る鹿
可愛かったですラブ照れ


松阪から
名古屋、岐阜、滋賀の米原
を経由して

青春18切符の1回目を満喫して
帰りましたニコニコ

ニコニコニコニコニコニコ